フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

自由が欲しいと彼女は言った

2006-09-11 01:05:25 | today's focus
今年のメルボルンは、奥さんと子どもは7月末から行っていましたが、私は2週間に縮まってしまいました。あまりいろんなことをするわけにはいかないことはわかっていたので、毎日、論文書きをしていたわけです。最初の週は知り合いの15歳の子も来ていたので、4人で昨年と同じ家具付きフラットで生活していました。

彼女は親に厳しく幼い頃から勉強を義務づけられて、言いつけられた通り勉強はするけれど、他の一切のことに関心を持たない子になっていました。関心を持たないので、勉強以外はなにもできないし、笑うことすら稀れなのです。さすがに親も心配になって、もう15歳なのにまったく精神的に大人になっていない、どうしたらよいか、と相談してきたのです。それでとにかくあずかることにして共同生活が始まったのです。最初は英語学校に通わせる話もあったのですが、そういった「勉強」ではなく、自然とのふれあいや体を動かすことを第一にしてみようとうちの奥さんが考えていました。だからバスの一日ツアーで動物を見に行かせたり、ジムのネットボールの練習に参加させたり、あるいはお皿を洗わせたりしてみたのです。

しかし一向に彼女から自主的な行動や笑顔も現れません。そこである時、キッチンでぼくも参加して梨の話をしました。

君は梨を自分では剥いたことがないね。ない。剥こうとしないの?剥こうとしない。食べたくても剥かないの?そう、剥かない。でも剥かないまま腐ってしまってもいいの?いい。なぜ剥かないの、だれかがやってくれるから?そう。じゃ、もし君の両親が死んでしまったらどうするの?そのときは剥くと思う。ふーん(思わずため息を吐きました)君は変な子だね。とっても変だよ。変じゃない。いや変だよ。じつはぼくも変だけどね。<彼女:少し笑う>いや、じつはね、ぼくも梨を剥くようになったのは23歳でアメリカに行って自炊を始めたときが初めてだったんだ。うん。それまでは誰かがやってくれたからね。アメリカでは誰もやってくれなかったから、自分で始めたよ。そう。でもね、自分で梨を向けるようになったとき、なんか自信がついたんだよ。なぜかって、梨が自分で剥けるっていうことは、自分の好きな時に好きなように食べられるということだから。ふん?何かが出来るようになるってことは、自由を手にするってことなんだよ。自由?そう。梨が剥けるようになると、自由が手に入るわけ。君は自由が欲しい?ほしい。何が?自由が欲しい。今は自由がないの?私には自由がない。

彼女とぼくはそんな話をしたのです。

考えてみれば、奴隷は自由な時間を与えられても何もしようとはしません。与えられて何をしようかと考えるのは少しでも自由を持っている人なのです。彼女にとっては動物を見に行くのも、ネットボールに参加するのも、勉強と同じく、させられていたにすぎなかったのだと思います。

うちの奥さんはじゃあ、あなたの自由を応援しましょう、と言って、彼女のしたいことを聞きました。梨談義の前までは何もしたくないと言っていた彼女でしたが、このときはお買い物に行きたい、デザートを作りたい、と言うのでした。

残りの1週間が少しだけ明るい共同生活になったのは言うまでもありません。
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2 コメント

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短編小説 (石本裕之)
2006-09-12 07:48:37
帰国されてたんですね、皆さんお元気そうで何より。

休暇地の短編小説、といったお話でした。

私は井上靖『孔子』を再精読中です。

豪州の人が短期間ホームステイする話はまた今度します。

こちらは最低気温が一桁になってきました。

上の写真のような朝の青空です。

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お褒め頂いて... (村岡)
2006-09-13 00:36:01
ご無沙汰しています。キッチンのよこに梨(洋なしのラ・フランス)が置いてあったので梨談義になったのですが、英語だったからこんな話ができたのかもしれません。



ところで原田治さんのブログご存じですか?春楡と原田治をキーワードに検索すると見つかります。
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