フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

ルールを規範とする接触場面

2006-09-17 23:54:27 | NYC after 25 years
写真はタイムズ・スクウェアーの近く、Port Authority Bus Terminalを出たところからの通りの眺め。ビルの壁面に垂れ幕が垂れていてコマーシャルの白人とアフリカ系のモデルがこちらを見つめています。ニューヨークでもこの垂れ幕はかなり大きい方に入るかもしれません。ずっと左に行けばブロードウェイがあります。

左隅のほうに人が写っていますが、見えますか?アフリカ系アメリカ人の若者たちの意味深な動作。その背後によく分からないながらいろんな人々が見えます。バスターミナルに近いからか、一人は旅行鞄を引きずっているようです。

バスターミナルに行ったのはマサチューセッツ州アマースト行きチケットを購入するためでした。電車の駅がペンステーションなら、バスはこのターミナルが中心です。人々はここからアメリカのさまざまなところへと旅立ちます。そんなことで、英語を頭で組み立てながら、カウンターの人と客との会話を見ていると面白いことに気がつきます。係員はじつに気むずかしい顔をしながら客の話をあいづちもまったくせずに聞くのです。きっと思いもつかないような要求やら希望やらが客にはあって、出来ること出来ないことの選別をしているのでしょう。しばらくするとカウンターのおじさんは権威のある様子で、頷いたり首を振ったりして裁可するのです。

カウンターの人の様子は、だれが来ても同じです。外国人でもアメリカ人でも構うことはなく、要求の内容で決断を下していきます。つまり、バスターミナルのカウンターでは、英語の母語かどうかといった言語的基準で場面が出来ているわけではなく、バス運行のルールに沿って、裁かれていくと言えるでしょう。言語に基づいた場面分類よりも、明示化された社会文化に基づいた場面であり、そこでは言語も社会言語の規範も潜在化されている、そんな気がします。明示化された社会文化とは、文脈や暗黙の理解とは正反対の、ルールとして確定した事柄という程度の意味です。

これはカウンターという仕事の、交渉的コミュニケーションの一種に過ぎないけれども、カウンターのおじさんの態度はニューヨークでのエンカウンターの特徴とも共通しているかもしれません。

しかし、ではこれが移民国家アメリカなのか?というと、そう簡単には言えないのでしょうね。むしろ、世界のメトロポリタンの1つのあり方なのであって、ロンドン、パリ、シンガポール、香港、などあらゆる人種と言語が混じり合う地点の接触場面の類型なのだろうという気がします。
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