フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

冬の日曜日を歩く

2009-01-11 23:55:01 | Weblog
今週は新年最初の授業がいくつかあって、久しぶりで筋肉痛になる。やはり力が入ってしまった。

連休土曜日はものすごい風が吹いて寒かったが、日曜日は一転して雲一つ無い晴天。

最低気温1度でも風がないと日射しは暖かい。そこで午後から家族で散歩に出かける。まず駅まで行ってそこでスペイン料理のレストランで食事。年末に銀座で寄ったスペイン・レストランに引き続いてスペイン料理だった。スペイン・レストランは壁に闘牛のポスターが貼ってあったり、模様の綺麗なお皿が掛かっていたりするし、ウェイターも白いブラウスと黒いチョッキなどきていかにもスペイン風なのが面白い。

しかし、ランチを食べながら、あ、これは中間言語ならぬ中間文化なんだと思い至った。レストランを開くオーナーはスペインにきっと造形があるだろうし、銀座の場合のようにものすごく固い規範を持っていて1つの方式しか認めないような感じの場合もあるけれど、それもこれも、日本人が理解した限りでのスペイン料理でしかない。じつは日本社会にはいたるところに中間文化が花開いている。1つの外国文化を極めようとして極めきれない場合もあるし、自分なりにアレンジして勝手に作ってしまった場合もあるわけだ。

そう言えば、金曜日に学生と相談をしているときに、外国人居住者のネットワークを考えていた。そのとき、同じ出身国同士のネットワークと、日本人とのネットワークという2つのはっきりと異なる世界があるわけではないということを話していた。接触場面と母語場面、母語話者と非母語話者といった二項対立はわかりやすいけれど本当ではない。

外国人居住者も、同じ時期に日本にやってきた同国人のネットワークと最近日本に住むようになった同国人のネットワークとでは関係が異なるし、日本人と言っても、共有する知識や経験のある日本人(たとえばその国の俳優のことをよく知っているとか)から共有するもののほとんどない日本人まで、やはりちがった付き合いがそこには見られる。共有できるレパートリーが最大から最小へと連続していく中にネットワークが作られていくわけだ。こうしたネットワークのあり方もある種の中間性を示しているのではないか?

電車に乗って2駅行き、そこからバスに乗って海岸沿いへ。花の美術館。そこからマンションまでおよそ3キロの海岸通りを歩いて帰ってくる。花の美術館を出たのが4時、太陽も傾いていく。途中から防風林を横切って海岸に出てみる。

海は凪いで、そこに黄金色の太陽の帯が反射している。ラジコンのヒコーキを飛ばしている人が、二人、三人。両翼1メートルもあるグライダー型のヒコーキの翼をもってぐいっと勢いをつけるとヒコーキは空に舞い上がっていくが、あとは空気の流れにのって静かに空を飛び続けるのだ。

かれらのヒコーキを感心して眺めながら歩いていくと、大きな扇風機みたいなものを背負ったおじさんを見つける。そのうち、手助けの人が後ろからパラグライダー用のふかふかした翼(キャノビーと言うらしい)を持ち上げたので、どうもこのおじさんは空を飛ぼうとしているのかなと思いはじめた。でもあんな扇風機で飛べるのか?

ところが扇風機のエンジンを吹かしてゆっくり海に向かって歩いていくと、驚いたことに体が浮き出したのだ。そして少しずつ空に昇りはじめ。10メートル以上も浮かんで快適そうに、われわれの頭の上をいったりきたりしたあと、エンジンを切って自然滑走に切り替え、みごとに波打ち際にランディングした。おもわず拍手。マンションまでかえりながら「いいもの見せてもらったね」と感心しきり。何がよかったかって、1人の力でエンジンと風を操って空を飛ぶなんて、考えられますか?すごい独創ですよ。研究もこう行きたいもの。

ぼくにとっては今年初めての啓示のようなものだったのかもしれない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新年の挨拶 | トップ | クルム伊達公子、あるいは接... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事