二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

女は、いないのか。女医。

2022年05月25日 00時53分08秒 | ニ言瓦版
女は、いないのか。医師会。
不思議だ。有名な女医がいるだろう。
なぜ、立候補しないのか。

労働組合も女子。
そして、いろいろな世界の要人は、女性が、出ている。
女も、女優ばかり、している場合でなく、
本当の女医の凄い人、立候補しないのか。
世界で、知られる、女優でなく、女医。



「20日に公示された日本医師会(日医)の次期会長選を巡り、松本吉郎常任理事が24日夜、都内で記者会見し、正式に立候補を表明した。
松本氏は現職の中川俊男会長が今回、再選出馬を断念したことで有力候補となった。既に全国各地の医師会からの支持固めを着々と進めている。
松本氏は埼玉県医師会出身の皮膚科医で平成28年、日医常任理事になった。この間、厚生労働相の諮問機関「中央社会保険医療協議会」(中医協)の委員なども務めた。
24日夜の会見で松本氏は「熟慮の末、立候補を決断した。これまでの日医執行部は国民からも政財界からの信頼も失ってきており、信頼を取り戻す時期に来たと考えた」と出馬の理由を説明した。「日医への批判を真摯(しんし)に受け止め、検証し、改善する。コミュニケーションをしっかりと取り、風通しが良く、一致団結した日医を作りたい」とも語った。
また、松本氏は、新会長を支える日医副会長(3人)に現職の猪口雄二副会長を続投させ、新たに大阪府医師会の茂松茂人会長、東京都医師会の角田徹副会長を起用する考えも明らかにした。
日医は自民党の有力な支持団体で、支援する「厚労族」の議員らを通じ、長年政府の社会保障政策に影響を及ぼしてきた。
ただ、中川現会長は中央政界とのパイプの細さがつきまとい、新型コロナウイルス対応では感染対策を巡り政府と対立した。令和4年度の診療報酬改定でも開業医を中心に日医内に強い不満が広がり、再選不出馬に追い込まれた。」



選挙は、正しくするのは、女性も立候補させることだ。

この感染の酷さ、保健所の酷さ、女医は、いたのか。問われる。
国境なき医師団とか、女医が、いるだろう。

いないのか、そうだ。医大は、女性は、入れない、試験が多いから、ないか。
女子医大は、いるだろう、凄い、女医。


ーーーー
凄いな、国境なき医師団。

「国境なき医師団(こっきょうなきいしだん、フランス語: Médecins Sans Frontières[9]、略称: MSF[1][2])は、1971年にフランスの医師とジャーナリストのグループによって作られた非政府組織(NGO)で、世界最大の国際的緊急医療団体である[7]。国際援助分野における功績によって、1999年にノーベル平和賞を受賞した。 

国境なき医師団は、1968年から1970年にかけて赤十字の医療支援活動のために、ナイジェリア内戦中のビアフラに派遣されたフランス人医師たちを中心に設立された。
ビアフラでの活動から戻った彼らは、各国政府の中立的態度や、沈黙を守る赤十字国際委員会の活動に限界を感じ、人道援助およびメディアや政府に対して、議論の喚起を行う組織を作る必要があると考えた。そして全ての人が医療を受ける権利があり、また医療の必要性は、国境よりも重要だという信念に基づき、1971年12月20日「国境なき医師団」を創設した。
1975年、エチオピアの大干魃と政府の失策による飢餓で、100万人以上が死亡したが、栄養治療を大規模に展開した。
1979年の「ベトナムの船」の活動では、創設者の1人ベルナール・クシュネルがチャーターした船「光の島」号に医師たちだけでなくジャーナリストたちも同乗させ、同国での人権侵害を告発した。この活動があまりに宣伝的ではないかとの論争に発展、クシュネルは国境なき医師団を離れ、新たに「世界の医療団」(Médecins du Monde)を1980年にフランスで設立した。彼はその後同団の活動も離れフランス政界へ転進、2007年5月から2010年11月までフランス外務大臣を務め上げた。なお、「国境なき記者団」のロベール・メナール代表によると、「―記者団」は国境なき医師団関係者がメディアで「第三世界の人々の窮状に関する報道が少ない」と訴え、これを受けたフランスのジャーナリストらに設立されたもの[要出典]であり、クシュネルとメナールは互いに親交を保っている。
1991年、湾岸戦争と内乱で難民となったイラクのクルド人への援助活動を開始した。トルコ、イラン、ヨルダンで物資2000トン、スタッフ150人と、過去最大規模の活動を展開した。
1995年、ボスニア・ヘルツェゴビナの国際連合保護地域がセルビア人勢力の攻撃を受け、多くの人が殺され、強制的に移住させられた。その現場にいた唯一の証言者となった。
1999年、28年間の人道援助活動が評価され、ノーベル平和賞を受賞した。授賞式で、ロシア軍によるチェチェン市民への無差別爆撃の停止を訴えた。
2003年、イラクのバグダッドが米英軍の攻撃を受ける間も現地にとどまり、病院や診療所の支援活動をおこなった。米英政府に対してイラク国民の医療を保証する義務を遂行するよう要求した。
2010年、ハイチの大地震直後から緊急医療活動を開始し、35万人以上を治療した。その後コレラの流行のため50カ所にコレラ治療施設を開設し、1年間で17万人以上を治療した。
2011年、東日本大震災の翌日から、医療の届いていない地域で緊急医療援助を開始した。医療、心理ケア、物資や通院用バスの提供・仮設住宅、医療施設の建設支援をおこなった。
2012年~2015年、シリア、アフガニスタン、イエメンなどで続く内戦に国内外で援助を展開するとともに、民間人や医療施設が攻撃を受ける事態に国際人道法の遵守を呼びかけた。また、ギニア、リベリア、シエラレオネを中心とする7か国で未曾有の感染拡大が起きたエボラ出血熱に対して取り組みを続けた。
2015年10月3日には、アフガニスタン北部のクンドゥズで運営していた病院が、アメリカ空軍による空爆を受け、医師と患者の合計22人が死亡した。国境なき医師団の公式発表によると、すべての紛争当事者に定期的に病院の位置をGPSで伝えていた。また、爆撃が始まった直後に電話で中止を要請したが、それでもなお誤爆が続いた。医療施設への攻撃は戦時国際法に反し、国際人道法の侵害であるとアメリカ合衆国連邦政府とアフガニスタン政府に抗議。独立した国際機関による真相究明を求めている。さらに、各事務局を通じて全世界で54万通以上の署名を集め、2015年12月9日ホワイトハウスに持参した。クンドゥーズ病院爆撃事件の調査に同意するようにとアメリカのバラク・オバマ元大統領に改めて求めた[10]。」


医大は、医者は、一度は、国境なき医師団に、入り、経験することだ。
民間の医者になる前に。

公務員が、自衛隊で、育成することも大切と同じ。
医者は、一度は、国境なき医師団を経験することかもしれない。


何か、ドクターXは、内容は、今一は、国境なき医師団を取材しているのか、疑問。

NHKは、72時のドキメントも、国境なき医師団を取材してほしいものだ。


昔の映画、よかったな。ベンケーシーは。
見たくなった。


『ベン・ケーシー』オープニング映像

このはじめがいい。

ベン・ケーシ①

このドラマ、いい。
昔のでも、いい。いい医者は、いい医者につくと、医者は、育つ。
医大は、問われるな、ベンケーシーの先生がいると、変わる。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 考えると、また、とんずらだ... | トップ | 弁護士と、あの業者は、立派... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ニ言瓦版」カテゴリの最新記事