二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

考えると、時期は、ある。今日は。

2018年06月18日 13時44分21秒 | ニ言瓦版
産経新聞のコラムは、面白いが、今日は、だめだ。
水戸黄門の話と、賄賂。



「小判の包みを何食わぬ顔で袖の下に入れる。不敵な笑みを浮かべて悪徳商人に声をかける。「越後屋、おぬしもワルよのう」。代官といえば、時代劇のおなじみのシーンを思い浮かべてしまう。

 ▼江戸時代、幕府の直轄領の民政を担当していた代官が、しばしば悪いイメージで描かれるのはなぜだろう。歴史家の山本博文(ひろふみ)さんによると、大正時代の講談本『水戸黄門漫遊記』がきっかけである。黄門様が悪代官を成敗する話は庶民に受けた。テレビ時代劇「水戸黄門」でも多くの悪代官が登場している(『悪代官はじつは正義の味方だった』実業之日本社)。

 ▼静岡県伊東市の前市長、佃弘巳容疑者(71)が、収賄容疑で逮捕された。現職時代、越後屋ならぬ地元の建設業者から、現金1千万円を受け取っていた。市議と県議を通算6期、市長を3期12年間務めている。剛腕市長の評判もあった佃容疑者の正体は、「悪代官」だったのか。

 ▼事件の舞台となったのは、市の中心部にあるリゾートホテルの跡地である。平成26年に建設会社が約4800万円で取得した。それから1年も経(た)たないうちに、佃容疑者の強力な指示によって、市が2億500万円で買い上げた。1千万円は、その見返りとみられている。問題の土地は現在、図書館などの駐車場として利用されているだけだ。

 ▼本のタイトルの通り、領民に慕われる優れた代官も実は少なくなかった。なかでも幕末、現在の伊東市を含む伊豆国韮山(いずのくににらやま)の代官だった江川英龍(ひでたつ)(坦庵(たんなん))は、今も地元で「坦庵さん」と親しまれている。世界文化遺産になった鉄の精錬施設「韮山反射炉」を築造し、領民に種痘の接種を勧め、貧民救済にも努めた。

 ▼もともと、「名代官」自慢がお国柄だったはずである。」


水戸黄門より、鬼平犯科帳か、大岡越前か、銭形平次か。

市長は、賄賂の時代が、昭和の時代でも、少ない。
江戸時代は、賄賂は、それだけ、罪になるとき、御家断絶。


地震の日には、向かない、コラムも、あるものだ。時期で、酷いというのが、
時代、時期は、動いている。
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学校の軽視だろう。塀は、鉄格子にしていれば。

2018年06月18日 12時32分47秒 | ニ言瓦版
かわいそうだ。映像みると、ブロックは、倒れるは、当たり前かもしれない。
なんで、人が通るところに、プールの塀は、鉄格子にしないのか。
それが、失敗。
小学校の管理が、怠慢なのだ。




「18日午前7時58分ごろ、大阪府を中心に強い地震が発生し、大阪市北区、大阪府高槻、枚方、茨木、箕面の各市で震度6弱を観測した。気象庁によると、震源地は大阪府北部で地震の規模を示すマグニチュード(M)は6.1と推定される。大阪市などによると、市内の高齢男性と高槻市の女児が死亡したほか、茨木市でも80代の男性が死亡。負傷者も相次いでいる。津波は起きなかった。
 大阪府や大阪府警などによると、高槻市立寿栄(じゅえい)小学校の4年生の女児(9)が、学校のプール付近の壁が倒れて下敷きとなり、大阪市東淀川区の80代の男性も壁の下敷きとなり、いずれも心肺停止となって病院に搬送されたが、死亡が確認された。大阪市によると、西淀川区や生野区、住之江区などで6件の住宅火災が発生。高槻市消防本部によると、同市下田部町1でも火災が起き、消火活動にあたった。
 JRや私鉄各線は京阪神地域などを中心に運転を見合わせている。IR西日本とJR東海によると、午前10時現在で東海道・山陽新幹線は米原−岡山駅間で上下線の運転を見合わせ。米原−新大阪間には駅間で上下8本の新幹線が止まっている。JR西によると、在来線は京阪神地域の全線で運転を見合わせている。
 関西国際空港は午前8時に滑走路を閉鎖。異常がなかったため、間もなく再開した。ターミナルビルには大きな異常は確認されていない。大阪(伊丹)空港北ターミナル2階の天井に設置されている空調設備が落下したが、負傷者はなかった。高速道路は京阪神地域を中心に名神高速道路、新名神高速道路、中国道などで午前10時半現在、全面通行止めが続いている。
 関西電力によると、大阪府内を中心に最大で約17万戸が停電した。
【伊藤遥、山下貴史、蒲原由佳】
 他の各地の主な震度は次の通り。
 ▽震度5強=大阪市都島区、東淀川区、旭区、淀川区、大阪府豊中市、吹田市、寝屋川市、摂津市、交野市、島本町、京都市中京区、伏見区、西京区、京都府亀岡市、長岡京市、八幡市、大山崎町、久御山町▽震度5弱=大阪市福島区、此花区、港区、西淀川区、生野区、大阪府池田市、守口市、大東市、四條畷市、豊能町、能勢町、京都府宇治市、城陽市、向日市、京田辺市、南丹市、井手町、精華町、大津市、兵庫県尼崎市、西宮市、伊丹市、川西市、奈良県大和郡山市、御所市、高取町、広陵町
 ◇塀の対策遅れ
 室崎益輝(よしてる)・兵庫県立大大学院減災復興政策研究科長(都市防災)の話 建物本体の耐震性は阪神大震災以降新しい建物を中心に強化されてきたが、ブロック塀や電柱、広告の看板などは対策が遅れている。まさに都市防災対策の隙間(すきま)になっており、今回の被害を教訓に対策を進めるべきだ。交通機関のストップは安全確認のためやむを得ない。逆に、このような大きな地震の際は職場や学校を休みにして、通勤通学の人たちは安全な場所に待機するなどの対応が必要だ。」


あれでは、子供が、塀に、飲まれるものだ。
鉄格子に、していれば。

それか、鉄骨の入る塀、鉄骨でも、アルミの塀だったら。
生きていることだろう。

可哀そうなこと。

大阪の怠慢と、軽視したことが、原因かもしれない。地震の巣がこの地域にあるのに。


鉄柵、金網だったら、死ななかった。
なんで、壁が、それも、すべて、落ちたのか。不思議だ。
一つ、二辰、壊れるのでなく、壁全体、落ちるは、おかしい。

写真みると、中の芯棒、鉄骨がないのではないか。
不思議だ。
壁でも、中がないのがあるのかもしれない。
土台と、上の部分が乗っているだけ。
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女性は、男、選び、間違えると、地獄だ。

2018年06月18日 03時32分39秒 | ニ言瓦版
東洋経済の記事は、面白い。
何か、結婚も、離婚も、そして、子供も、
昔から、ありそうな、夫婦のいざこざ関係。
男選びの失敗だろう。


「厚生労働省によれば2017年の離婚件数は21.2万組、ピークだった2001年の28.9万組からは減っているものの、1970年の9.1万組と比べて2倍以上という高水準が続いている。2001年の婚姻件数は79.9万組、2017年は同60.7万組なので、単純計算すると3組に1組の夫婦が離婚している計算だ。
しかし、離婚とそこにいたるまでの理由は多種多様である。そもそも一組の男女が、どこでどうすれ違い、離婚という選択肢を選んだのか。この連載では、離婚を選択した一人ひとりの人生をピックアップ。離婚に至るまでの経緯をできるだけ明らかにすることで、現代社会が抱える家族観や結婚観の揺らぎを追う。
21年間連れ添った夫と離婚
54歳の斎藤百合子さん(仮名)は、柄物のTシャツにジーパンというラフないで立ちでJR中央線の某駅に現れた。斎藤さんは都内の老人介護施設で介護福祉士として働いている。


この連載の一覧はこちら
百合子さんは、9年前に21年間連れ添った夫と離婚。それまでは約20年間、専業主婦だった。子供は4人いるが、全員が成人している。

「今日も利用者さんのおうちを入浴介護で訪問したら、来てくれてありがとうって言われたんですよ。すごくうれしかったです。元旦那は、典型的なモラハラ男。馬鹿だクズだと、毎日のように言われ続けた生活だったから、まるで真逆の生活を送ってるんです」

午前中に、高齢者の女性の入浴介護を終わらせてきたという百合子さん。さすがに疲労感があるはずだが、そんな様子も見せずに、満面の笑みを浮かべる。入浴介護は、体力も使い、汗まみれになるため、ほぼノーメイクだが、童顔で痩せているため、年齢よりも若く見えて、かわいらしい印象である。

現在の職場の手取りは、約18万円。ボーナスはない。日によっては、夜勤も週3回でこなすこともあって、年齢的にも決して楽な仕事ではない。それでも離婚で手に入れた経済的、精神的な自立によって、身も心も自由になったと日々感じている。

百合子さんは、パソコン関係の専門学校を卒業後、20歳でデジタル体温計を製造しているメーカーに技術職として入社。7歳年上の夫・啓介(仮名)とは、そこで知り合った。よくある職場恋愛だ。たまたま百合子さんの後ろの席に背中合わせで座っていたのが彼だった。

啓介は、関東の工業大学を卒業後、技術開発部門に新卒で入社した、いわば先輩だった。バリバリ仕事ができるところに惹かれて付き合うことになり、あれよあれよという間にプロポーズされた。

飯田橋の東京大神宮で結婚式を挙げ、会社の近くのジャズバーで会社の関係者を呼んで披露宴を催した。幸せの絶頂だった。

「よくある職場結婚だったんですが、結婚したのが21歳で早かったんです。だから、職場の上司には『本当にいいのか?』って、説得されましたね。今思うと、自分でも周りが見えてなかったんです」

しばらくは啓介と同じ職場で働いていたが、会社の経営状態は次第に厳しくなっていった。そのため、百合子さんのみ退職を余儀なくされ、啓介はそのまま同じ会社で働き続けた。そこから、20年余りにわたる百合子さんの専業主婦としての生活が始まった。

地獄の結婚生活の始まり
夫婦生活は順調そうに見えた。2年後に長男が、そして次男、三男と次々と生まれた。

その頃に住んでいた埼玉のアパートが手狭になったことから、横浜市に一戸建てのマイホームを買った。しかし、それは地獄の結婚生活の始まりだった。新しい家に移り住んだ頃から、啓介の様子がおかしくなった。いわゆる、DVとモラハラが始まったのだ。

「私が年下だから、『お前は社会に出て何もわかってないんだから、俺の言うことを聞いていればいいんだから』って、言われ続けましたね。『お前は馬鹿だからと。お前は家にいておとなしくしていればいいんだからって。子供が粗相をすると、お前の育て方が悪いんだ。金属バットを振り回すような子供になるぞ!』とことあるごとに脅されました」

啓介は、自分の「家」と、正しい「家庭生活」に異常なほどにこだわりを見せた。

元夫の両親の職業は教師で、多忙な両親は、啓介の運動会などにほとんど顔を見せることもなかった。そのため、寂しい幼少期を過ごした。そんな両親を憎んでいた啓介は、まるでそれを反面教師にするといわんばかりに、百合子さんがつねに家にいる、正しい母であることを望んだ。特に家へのこだわりは異常なほどだった。

「部屋の壁に手をついて歩くなって言うんです。壁に手をつくと、汚れがつくから嫌だって言うの。だからなるべく壁に手はつかないように、生活していました。自分たちの家なのに、つねにビクビクして生活していましたね」

ある日、友人からビーズの手作りのアクセサリーが送られてきた。段ボールのまま机に置いていたら、庭で焼かれて、燃えカスになっていた。

「つらくて声も出なかったですね。人間って、あまりにつらいときは、声すら出なくなるんだなって思いました。自分の部屋なんてないから、悔しくて、悲しくて、キッチンで一人で泣いていました」

母親からもらった長男の入学祝いも啓介によって燃やされた。テーブルの上に封筒を置いていると、「机が散らかってるぞー!」と怒鳴り散らし、そのまま同じように庭で火をつけられた。

「おカネなんて、あッという間にメラメラ燃えて、灰になるんです。そのときもすごく恨みましたね。母の気持ちを思うと、切なくて悔しくて、もうどうしようもなかった」

マイホームは、啓介にとって、ようやく手に入れた自分の城――。城の王様である啓介は、城に奴隷たちの私物があることが気に入らなかったのだ。ブーツやサンダルなどの靴も気がつくと、物が多いとの理由で、庭でいつの間にか燃やされている。そんな日々が続いた。

さらに、啓介は九州男児で田舎育ちとあって、とにかく野菜の鮮度や味には異様に敏感だった。

「2日くらい経った野菜に、『何年物のナスなんだ?』と罵倒するんです。おかずを作っても、『こんなの家畜が食べるんじゃねぇぞ!』と、すべてけなされるんです。そのたびにドキドキして、胸の動悸が止まらなくなる。なに?また何か私やったの?と委縮してしまうんです」

ファミレスは禁止、電子レンジは料理を楽にするものとして、買うことすら禁止された。気に入らないことがあると頭を小突かれ、平手打ちはしょっちゅうだった。

「夫は家の中にいるお人形が欲しかったんだと思います。家の中だけにいると、世間がわからないから、旦那さんに言われたことが全部正しいと思ってしまうし、ダメな自分が悪いんだと思うんです。一種の洗脳ですよね」

監禁と紙一重の夫婦生活
そんな啓介との生活に息が詰まりそうになった百合子さんは、外でパートでもいいから、働きたいと懇願した。そのたびに「そんなに外に出たいのか! 俺の稼ぎじゃ足りないのか!」と啓介に怒鳴られた。そのため、事実上の軟禁状態だった。

「外に働きに出るのは、すごく嫌がっていました。人間性を奪って、奴隷みたいに家に監禁しておきたかったのかなと思う。そういう事件ってよくありますよね。でも、私たちの夫婦生活も紙一重だったと思うんですよ。それでも、結婚は男の人の言うことを聞くものだと思ってたんです。お前は社会に出て何もわかってないんだからと言われると、そうだよね、私、何も世間のこと、わかってないよね、と」

ある日、出席した子供のPTAの勉強会で、子供のセルフスティーム(自己肯定感)を育てるという講義があった。

「今思うと、自分がいちばん自己肯定感を奪われていたのに……って突っ込みたくなります。でも、子供の教育に関することは、熱心にノートを取ってるのに、DVとか、モラハラで悩んでいて、自己肯定感がズタズタにされていることにすら、気がついてなかったんです。そのときはモラハラという言葉すらなかった」

携帯電話が出始めたころに0円で使える携帯電話をコンビニで手に入れた。うれしくて、ソファーで寝っ転がって夢中になっていると、「いつまでそんなので遊んでるんだ!!」と激高した啓介に、馬乗りになって首をギューッと絞められた。命の危険を感じたが、そのすさまじい力になす術がなかった。

「首を絞められたときに、『やめて――!』って叫んだ気がするけど、あまり記憶がないんです。私が夢中になってることに、焼きもち焼いたんでしょうね。なんでこんなことするんだろうって、薄れゆく記憶の中で感じたのだけ覚えています」

子供ができてから百合子さんは実家の両親に子供を見せたいと思った。

しかし、実家に子供を連れて帰ると、「何を吹き込まれてきたんだ?」と啓介は露骨に嫌悪感を示すのだ。啓介が不機嫌になるのが怖くて、実家にもなかなか帰れない日々が続いた。そのため、ますます百合子さんは孤立感を深めていった。

体を求められるのは年に、4、5回。それもつねに啓介の自分勝手な行為だった。思い付きでいきなり襲ってきて、ムードも何もなく一方的に果てて終わり。

「我慢するものだと思っていた。我慢していたら、夜のお勤めが終わっているという感じです。それでも、私も女だから、たまに、抱きつきたくなったりキスしたり、スキンシップしたくなったりする。それで、ベタベタすると、『うざいわ』と言われて突き放されるんです」

そのため、排せつ行為のような性生活に寂しさだけが募る日々が続いた。女性としての喜びのかけらも感じたことはなかった。それでも、女として、満たされない思いだけは募っていた。しかし、運悪く数カ月ぶりの性交渉で、4人目の子を妊娠してしまった。

「子供を産みたくなくて、お腹をボカボカ叩きました。流産しないだろうかって。この人との縁をつなぐようなものはいっさい欲しくなかったんです。上の男の子たちも大きくなっていたし、やっとこの子たちが離れるのに、それ以上この男とつながりを持たなきゃいけない何かが生まれるのがすごく嫌だった。経済的に自立してなかったから、頭を下げてこれから生まれてくる子のために、お父さんに、かしずいていかなきゃいけないんだと思うと、嫌で嫌でしょうがなかったんです。だけど、いざできちゃうと、中絶はできないんですよね」

百合子さんは、毎日が無性に寂しくて、たまらなかった。4人目の子供が生まれてからは、夫とは完全にセックスレスとなった。

「なんで、私、こんな生活しなきゃいけないんだろう」

百合子さんは次第にそう考えるようになっていった。啓介からは生活費として、月に8万円を貰っていたが、百合子さんが衣類など、自分のものを買うと怒りだす。スカート1枚も買えずに、美容院に行くこともできなかった。髪の毛は荒れ放題で、服は首の伸びたTシャツをいつも着ていた。友達にランチを誘われても、あまりのみすぼらしさに恥ずかしくて断る日々が続いた。

小さい穴が、どんどん大きくなっていく感じ――。百合子さんは、そう例える。そして、その穴はもはや塞げないくらいに広がり、修復のしようもなかった。精神的にも肉体的に限界が近づいていた。

「周りの世界がチラチラ見え始めてきて、『あれ、おかしいな』と思うようになったんです。周りのママ友なんて、当然ながらファミレス禁止令なんかない。好きな洋服を買って、ランチもしている。うちの事情を話したら、笑って馬鹿にされました。“私、ここまで我慢しなくてもいいのかもしれない”そう思い始めたんです。このまま家庭生活が続いたら、私の頭がおかしくなってしまうというのもありました。それに気づくまで、20年かかりましたね」

結婚20年目は、百合子さんにとって区切りでもあった。ちょうど20年、この人にお仕えしたから、1回だけ休憩をください――。そんな思いから、離婚を夫に懇願した。しかし、いざ勇気を持って夫に離婚届を見せると、激高して、ビリビリに破られるという日々が続いた。

しかし、百合子さんの離婚の決意は固かった。そのため、離婚は調停にもつれ込むこととなった。

思ってもみなかった調停委員とのバトル
夫婦だけの話し合いで離婚が成立しない場合、家庭裁判所の調停で、調停委員と裁判官という、第三者を挟んで双方の意見を調整し、話し合うことになる。

この調停委員を交えての話し合いが幾度となく繰り返された。

「調停委員は、なるべく離婚をさせまいと、強引に、元のさやに戻そう戻そうとするんです。DVやモラハラがあったというと、『私たちが旦那さんに一筆書かせて、ないようにするから、あなたもちゃんと家に戻りなさい』と言われる。ただでさえ、参っているのに、このやりとりでかなり精神的に追い込まれましたね」

さらに専業主婦で行き場のない百合子さんは、調停中でも、啓介のいるマイホームで、寝食をともにせざるをえなかった。親の反対を押し切って結婚した百合子さんにとって、実家に帰るという選択は毛頭なかったからだ。

「とにかく、調停中、家の中では気まずいですよね。『私の胸の内は全部調停員に話してありますから、話を聞いてきてください』そう言うしかない。家で話をしても離婚の話はしないようにしていました。夕飯の支度はするけれど、食事は別で、私だけトイレにこもったり、台所にこもったりして、やり過ごしていましたね。本当につらい日々でした」

まるで冷戦のような離婚の調停中、あまりのストレスから耳が聞こえなくなった。度重なる調停委員との話し合いの後に、夫が根負けする形で離婚が成立した。離婚当日のことを、百合子さんは今でも鮮明に覚えている。

2人でそろって、調停委員の前で離婚届にサインした。特に取り乱した様子もなく、静かに淡々と作業を進める夫。しかし、横目で様子を窺うと、これまでに見たことがないほど悲痛な表情を浮かべていた。その感情が痛いほどに伝わってきて、涙がボロボロ出てきた。

「あれだけ、離婚したいと言ってたのに、いざ離婚となると、体の半分が引きちぎられるような感覚が襲ってきたんです。夫のことを心の底から憎かったわけじゃないし、私が依存している部分もあった。今でも、なんでこうなったんだろうという思いが強いんです。あのときのことを思い出すと、今でも涙が出そうになります。確かにやっと解放されるという安心感もあったんですが、それよりも、とにかく悲しかった。離婚は、結婚よりも何十倍もエネルギーを使いましたね。でも後悔はないです。とにかく悲しかったですね」

当時のことを鮮明に思い出すと、こみ上げてくるものがあったのか、百合子さんはハンカチでとめどなくあふれ出る涙をぬぐった。

私はもう自由なんだ、と思う半面、20年連れ添った男を見捨てたという罪悪感に襲われ、胸が苦しくてたまらなかった。離婚が成立したのは、百合子さんが、42歳のときだった。

結局、調停の結果、4人目の子供でまだ幼かった娘だけ自分が引き取ることになった。長男は20歳を超えていたし、三男も中学3年生。男の子たちは、父親と向き合うべきだ、そう感じた。

何とかして、おカネを稼がなくては――。そう思った百合子さんは、家を出て、他県に移り、新聞配達員として5年間、がむしゃらに働いた。娘との生活を成り立たせるために、仕事を選んではいられなかった。しかし、働くことによって少しずつ、世の中の仕組みが見えてきた。

元夫と、子供たちとの不思議な共同生活
自立した生活を送り始めていた頃、夫の元にいた子供たちにどうしても家に帰ってきてほしいと懇願された。「お父さん変わったよ、とても弱ってる。だから帰ってきて、面倒を見てほしい」子供たちは、異口同音にそう言った。自分にとっては、もはや啓介は他人だが、子供たちには父親であることには変わりなかった。あまりの子供たちの真剣な勢いに断りきれずに、考えに考えた末、家に戻った。

元夫と、子供たちとの不思議な共同生活が始まった。

あんなに昔は恐怖心を抱いていた元夫だったのに、5年ぶりに会うと、頭には白いものが多くなっていた。信じられないくらいに、性格もめっきりと弱く、優しくなっていた。何よりも、百合子さんを支配しようという態度もすっかり影を潜めていた。

元夫との共同生活を始めると同時に、百合子さんは地元のハローワークに行った。百合子さんは、学生の頃にバイトした喫茶店の雰囲気が好きだった。漠然とだが、もっと人とかかわる仕事をしたい、そう感じていたからだ。

50歳で介護福祉士の資格を取得
中年の女性の相談員に「あなた、これからどうするの?」と聞かれ、何も考えていなかった百合子さんは、「スーパーのレジ打ちとかありますか?」と恐る恐る聞いた。すると、「何バカなこといってんの!」と語気を荒らげられた。

「『あなた母子家庭でしょ? 母子家庭だったらなおさら、東京都で応援してくれるいろんな制度があるんだから、そういうのを使いなさい』と、いろいろな制度を調べてくれたんです。それで結局、介護福祉士の資格を取るために2年間学校に通うことになったんです」

授業料や交通費は、全額免除、さらに通学期間は失業手当も出るとのことだった。百合子さんは、その制度を利用し、50歳のときに介護福祉士の資格を取った。そして、現在は、都内の介護施設で働いている。介護の仕事は楽ではないが、とてもやりがいを感じている。

「私が家を出ていた5年の間に、元夫は確かに180度変わったし、歳も取ったんだなと思いました。子供たちのために毎日料理を作ったり、家事も一人でこなしていたみたいです。それで私に対する考え方が変わったんだと思います。介護福祉士の資格を取ると言ったら、すごく賛成してくれました。仕事をし始めたら夜勤があることがわかって。

それを元夫に言うと『じゃあいつお前は家に帰ってくるんだ。もう、帰ってこなくていいよ』と苦笑いしていましたね。結婚していたときみたいに、暴れることもないし、ワーッと怒鳴ることもない。私が夜勤で夜帰ってこなくても、そんな私の生活を尊重してくれるようになったんです」

それどころか、元夫は、百合子さんの夜勤をねぎらうようになった。朝、夜勤明けに帰宅すると、ハムとチーズとトーストを準備して待っていてくれるのだという。

一番下の娘も最近巣立ち、現在は、元夫と2人きりの生活を送っている。

「とっくに離婚してるのに、まだ一緒に住んでいるなんて、外から見たら変だと思われるかもしれないですね。でも、どうしても元夫とは縁がある人なんでしょう。そこは、切れなかった。介護福祉士の資格を取ったのは、元夫を看取るというのが運命としてあるような気がするんですよ。だからといって、元夫と再婚するつもりは、ありません。結婚はもうこりごりだから」

そう言って、百合子さんは笑った。そう、男女の関係性に正解なんてないのかもしれない。

結婚、離婚なんて、紙入れ1枚――、しかし、それに縛られるからつらいのだ。

百合子さんが離婚という経験を通じて感じたこと――。それは、物事を始めるのに、何事にも遅すぎるということはないということだ。

「私みたいに結婚生活で苦しんでいた人に言いたいのは、殻は破ったほうがいいということです。専業主婦という生活を手放すのは、すごく怖いと思うんですけど、意外に世の中、どうにかなるもの。さまざまな制度もあります。私なんて、介護福祉士の資格を取ったのは、50歳なんですから」

介護福祉士という職業柄、百合子さんは、これまで、4人の利用者を夜勤の時間に看取っている。さっき歩いてトイレに行ったばかりの男性が、寝室の電気がつけっぱなしだと感じて、ベッドを確認すると、そのまま息を引き取っていたこともある。管理者やナースが心臓マッサージをするが、息を吹き返した例はこれまで見ていない。」


酷い、男と、結婚すると、離婚しても、また、同居することになるのか。
ありそうなこと。

別れるは、早く、そして、自立する能力が女性は、必要かもしれない。
女性は、最後は、一人、子供にお世話になる。
長生きは、女性のがある。

人生は、変な男に、結婚すると、地獄の何十年。
結婚前に、ともに、数年間、生活することが、安全な結婚生活かもしれない。

20年。




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廃部が、必要。

2018年06月18日 03時12分43秒 | ニ言瓦版
酷い。国に返すか、少年院に行かせることだろう。


「長崎県で行われた高校のバスケットボールの公式戦の試合中に、宮崎県の強豪校、延岡学園の留学生の男子選手が審判を殴ったことがわかり、高校体育連盟などが処分を検討しています。

17日、長崎県大村市で行われた高校のバスケットボール大会の男子準決勝で、宮崎県の延岡学園と福岡県の福岡大学付属大濠高校が対戦しました。

日本バスケットボール協会によりますと、第4クオーターの試合終了間際に、延岡学園の留学生の男子選手が審判の男性の顔を殴ったということです。

この選手は直前に攻撃で反則をとられ、判定に腹を立てた様子だったということです。

審判の男性は軽いけがをして病院に搬送されました。

この試合は没収試合とされ、福岡大学付属大濠が決勝に進みました。

高校体育連盟などはこの選手について、学校側や教育委員会と協議して処分を検討しています。

延岡学園の男子バスケットボール部は全国大会の優勝経験がある強豪です。

選手が審判に謝罪
宮崎県延岡市にある延岡学園によりますと、
選手は留学生で「オフェンススクリーン」というプレーをした際に反則を取られ、審判を殴ったということです。

審判の男性は病院に搬送され、10針縫うけがをしたということです。

選手はその後、監督とともに長崎県の大村警察署に出向いて経緯を説明し、審判の男性には警察署で直接会って謝罪したということです。

その際、審判の男性は
「今回のことでバスケを嫌いになってほしくない」として、被害届は出さない意向を示していたということです。

学校によりますと、この選手は最近元気がない様子だったということで、この大会のあと一時帰国させて様子を見ようと話していたということです。

学校は18日に記者会見し、詳しいいきさつを説明するとしています。
大会関係者「とにかく驚いている」
選手が試合中に審判を殴ったことについて、大会の運営に関わった長崎県高校体育連盟の後藤慶太バスケットボール専門部長は「試合終了間際に延岡学園の選手が審判を殴ったという状況でした。これまで経験がないことなので、とにかく驚いているというのが現実です」と述べました。

そのうえで「とにかく暴力は許されるものではなく、起こしてはいけないというスタンスしかありませんので、それ以上のコメントはなかなかしづらいです」と話していました。」


延岡学園のバスケット部、廃部だろう。
前代未聞だ。

育成が、酷い。
普通では、それに、審判の10針、縫うは、ボクシングでも、あるのか。

延岡学園の教育が、酷いなのかもしれない。
聞いたことない。

国からの金、市、県からの金は、考えるべきだ。

「被害届は出さない意向を示していたという」は、問題。
昔でいう、今も、少年院に入れることだろう。
そして、国に返せ。



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2つの比較は。

2018年06月18日 02時56分34秒 | ニ言瓦版
いい。
2つの車両の比較するような、展示はいい。


「豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス瑞風」の運行1周年を記念して京都鉄道博物館では夢の競演が実現しました。


「いま、瑞風が入ってきました。その横には先代のトワイライトエクスプレス。ファンにとっては夢のツーショットです」

初めて顔を揃えた新旧トワイライトエクスプレス。

豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス瑞風」が運行1周年を記念して特別に展示されることになりました。

先代のトワイライトエクスプレスは大阪から札幌までを結ぶ日本初の豪華寝台列車として26年間走り続け、2015年に引退。
その意志を引き継ぎ、豪華さを増して誕生したのが関西と中国地方を結ぶ「瑞風」です。

夢の競演に鉄道ファンは大興奮です。

【鉄道ファン】
「ツーショットが見れたのがすごい嬉しくて、本当に幸せです」
「並ぶことはまずない!博物館の展示で並べていただけるのは大満足です」

「瑞風」の展示は17日まで行われます。」


古いのがいい。
何か、走る姿が、幻影が見える。


https://www.youtube.com/watch?v=l_MJvbeOqPI
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