(これにはまいったちつてと)
橙色週間
長崎から小浜へ100キロ自走した
自転車君を迎えに
鹿島~島原半島一周~我が家まで
302キロ車走した
橘湾に沈む夕陽は
たちばな色だったのかどうかは
わからない
夕陽はだいたいに於いて
だいだい色系だから
そうに違いない
だから橙色週間だ
始発電車に乗り
高速バスに乗換え
長崎に向かった自転車君は
長崎に9時前に到着
橘湾スーパーマラニック初エントリー
(マラニック参加TSと絵葉書)
午前10時出発
阿蘇100キロマラソンの時は
朝早く走り始めたのと
気温が低くてよかったという
今回は暑そうだ
マラソンには
曇りのち曇り 時々晴れ くらいが
ちょうどいいらしい
暑いとばてるからね
173キロコースに
エントリーしたのは
たった10名
まあ物好きはそんなにいない
と納得ですが
それだけでは大会にならぬから
80キロコース
と
55キロコース
の三つに別れている
スタートとゴールは全てのコース
同地点である
長崎から小浜まで
直で走れば55キロってことか
それを173キロ分
回り道し遠回りして
山に登ったり降りたり岬を回遊したり
で
日本一過酷なコース設定となる?
湾沿いに走ると
海が見えて景色良さそう
などと
るるは思ったが
海の景色は走っていて
変わりばえしないらしく
軍艦島が見えている
と
写メを送ってきたが
軍艦島は
ずっと付いて来るみたいに
そこにあり
走っていて進んでいる感がなくて
きついそう
なら走らなきゃいいじゃん(笑)
今回はかなり暑かったのと
準備不足か?
どうか知らぬが
結果
約100キロ
スタートから15時間半
真っ暗闇の道を
樺島灯台の岬を回り
夜中の一時半に川原に着
アキレス腱に限界
警戒警報
無理して走りつづけると
迷惑がかかるからと
完走は断念
自転車君以外の9名は
ウルトラマラソン連続出場
の経験者ばかり
初心者は自転車君だけだったらしい
充分でしょ
100キロ走ればさ
(あらゆる場所にふくやまあり)
で迎え人
るるのコースですが
福岡のレンタカー予約が
連休で満車で借りれずに
佐賀県鹿島まで電車で行き
指定とれず自由席30分並び~の
鹿島のレンタカー屋の
TOYOTAヴィッツに乗り出発
(浜宿にて魔会への誘いあり)
むろん寄り道協会理事であるから
まずは
肥前鹿島の街並調査も怠りなく遂行
肥前鹿島の次の駅
肥前浜駅を降りて
5~10分も歩けば
肥前浜宿酒蔵通りと呼ばれる
歴史的町並み保存地区がある
正式には重要伝統的建造物保存地区
ついでに
祐徳稲荷神社にも参拝
商売繁盛・家内安全
健康保険高いねたまらん!
恋愛成就いまさらどうね?
と
参道階段上がって
息もあがって
(さつきにつつじ)
しかし
なかなかの景色
前方の山肌はつつじ色に染まり
赤白ピンク咲き誇り
誇り高くも高いなあ
本殿は清水の舞台
飛び降りて下の鯉の池にハマる前に
奥の日本庭園に
牡丹が咲いています
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は
なんだっけ?
で歩き続けるる
(ゆうとくけどぼたんや)
(ほんまや!)
列車からの風景も
祐徳稲荷までの道端も麦畑が広がって
麦の穂は風に靡き
ひかりの波
まるできみどり色の海
麦畑の稲穂が風にゆらいで
日のひかりにきらめき
淡い色と
ひかりのあたる部分の色が
単純な浅い
グラデーションを表しながら
波のようにうねりゆらぎ
風の吹く方から
抜ける方へ
きみどり色の波を送る
(晴れの日は休み)
町の所どころに
なんじゃもんじゃの木の
白いもやが点在して
きみどりの波と山のみどりに
ほどよいアクセントを保たせている
(なんじゃ?もんじゃやん)
祐徳稲荷神社までの道筋に
鬼の面が待っていた
鹿島の伝承芸能
面浮立(めんふりゅう)の
木彫り面工房がある
クスノキの香りのする鬼の面には
白髪が生えている
毎年
九月第二日曜
七浦の秋祭りには
天子神社で鬼面をつけた面浮立たちが
田園風景の中を練り歩く
『道行(みちゆき)』
があり
腰の太鼓をうちならし白髪を波うたせ
神々に五穀豊穣を祈り感謝する
起源は四百年程前
攻めてきた
大内氏の大軍を
龍造寺家の家臣であった
鍋島氏一族が
鬼の面をかぶり奇襲をかけ勝利した
その時に
踊った戦勝踊りが
元になったそう
夜襲の名残で黒一色の衣装である
ほかにも
母ヶ浦系の方はなどは
船中で踊ったから
波に碇綱の法被で踊るそうである
う~ん
みて見たいな~ぜひ
寄り道を終えて
鹿島から小浜までは
海と線路沿いのルート207号
道の駅鹿島や太良
干潟も見れるルート
満潮だったが(笑)
(干潟ってどこ?)
太良のキャッチフレーズ
地球の引力が見える街
である
潮の満ち引きに由来するのだってさ
ガタリンピックはなかなか楽しそう
皆が全身どろんこで
誰が誰なのか判らないって
いいかも
人間同士の連帯感が生まれそうよ
むつごろうはだから
仲が良いに違いない(笑)
仲良きことは泥まみれ
かな
島原半島一周ガマダスロード編
ああ
まっこと疲れた
肩凝り首懲り目懲り
302キロ走行記
島原大変肥後もっこす
いや
肥後迷惑 だっけか
(うなぎアートなるものの看板あり・・・気になる)
鹿島から小浜までは
ルート207
道の駅で
細巻き(胡瓜・沢庵・芝漬け)
買って昼飯となす
細巻きが食べたかったの
だもの
満潮の干潟を見て
愛野展望台までは
すいすいすっころばし
だったのに
愛の街あたりから
愛もない渋滞になり
小浜で自転車君を拾う場所を
ナビ設定してたららら
拾う場所の数百メートル手前で
ナビの女が嘘をつく
「左へ曲がって下さい」
と嘘を言うもんだから
左へ曲がったの
そうしたら雲仙へ向かう山道だったの
変でしょ変だから
Uターンよ!
もう好かんタコ!
ナビの女は信用するな
悪い女に違いない
でまた
降り口が渋滞で
自転車君にメートル
いやメールを打ちながら
坂を下るTOYOTAヴィッツ
無事
よったろう歩きの自転車君を拾って
小浜はみないで
口之津へ向かうのだった
(めろんなバスストップほかにりんごにいちごにみかんてば)
自転車君が
中学~高校の時住んでいた
島原半島
中学は加津佐
高校は島原から佐世保へと
親の転勤に付いて
めぐるめぐる 引越し族
くしくも
そんな懐かしの地巡りではあ~りませんか!
まあそれはいいとして
るるにはちっとも懐かしくもない
加津佐を過ぎて口之津へ
口之津はからゆきさんが
船に乗った島原半島
最南端の港
口之津のしらはま という宿に一泊
宿には近所の高校
(自転車君の兄様が通っていたという)
の陸上部の生徒達が合宿に来ていて
ひとりひとりが
口ぐちに
「こんにちは!」を言うので
最初は
「こんにちは。」を返してみたが
次から次にくるので
もう頷きだけにから適当に無視に(笑)
(こんにちわん!といぬまでもが・・・。)
前の浜が しらはまというのだが
ちいさな浜だった
口之津から島原へ
島原は清き水 ながるる良き街
かんざらしにソーメン
島原城周辺は
いいかんじにのどかな空気に包まれている
のどかなのに
爆弾山を抱えている
島原大変肥後迷惑
は
寛政4年1792年の島原大噴火の時
生まれた言葉で
全国初の火山体験学習館(島原市平成町)
がまだすドームの大変シアターで
電子紙芝居(歌舞伎風?)で見れるよ
火山のメカニズムを勉強できるよ
行ってみてね
島原は火の山と水の町
鯉の泳ぐ街の水路の水の透明度ったら
もう一点のなにいってんの曇りなく
ぴかぴかに透きとおっていて
湧き水がどくどくどくと脈打つの
鯉はメタボだったが(笑)
えさはやり過ぎぬようにね
曇り空だが暑い日だった
島原からは
ガマダスロードを走り
グリーンロードに変わる頃
車窓に映るのは
じゃがいも畑
にんじん畑
ビニールハウス
グリーンロードと言うよりも
ファームロードだなと
重い折りおりながら
アクセルを踏み続ける
家路へ
とっぷり日が暮れて
真っ暗な背振山ロードを走り
那珂川にぬけてひたはしる
もうナビの女は嘘をつくのもヤメ
「福岡県に入りました。」と告げ
しばらく走ると
「佐賀県に入りました。」と告げ
ヘヤピンカーブばかりの道を走ると
またも
「福岡県に入りました。」と告げる
お喋りな ナビ女め!
(走る人のガソリン・・・。)
家の近くのガソリンスタンドで
ガソリンを満タンにする
島原半島では
リッター145円の看板を見て驚いたが
福岡に近くなるに従って
145円が138円に
そして135円が129円!
そしたら
家の近くは
なぜかまた138円にあがってた
なんだなんだ上がるのね
もう・・・。
そんなわけで300キロ走り
家に着いたのは午前0時半
洗濯機まわしてとりあえず寝る
が疲れて眠れず
明けて次の日
朝一番でレンタカー返却し
帰って残りの洗濯をして
干す場所ないじゃん!
パソコンにデジカメ写真を保存する
自転車君は朝食を食べて
また布団に入り
夕方まで眠っていた
(埋まった家の軒下の犬のように眠る)
曇りのち曇り時々海
海は薄いグレーで
山は噴煙を吐かず
里は暑い風と麦畑のきみどりの波
鬼の面は太鼓を鳴らさず
クスノ木の香りがした
人間は走る車も走る
走る人間は眠る
車走らす人間は
いつまでもいつまでもひとりごちて
また世が開ける
世が!?
世なら開けるもいいあさ
わかったことは
世界は広くてまるいんだな