RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

おばあちゃん家の情景~消和の郷愁~

2008-12-15 04:01:41 | そげんこつ!

(~最後の5葉~オ~ヘンリーマイボニー)

バスの終着駅である堤防の上に立って
村の入口に向かうと小さな屋根の連なりの中に
寺の大屋根が空に出っ張って見える

村とはいっても
日本国第二の都市の市内なのだ
しかし
どう考えても村であった

川向こうは隣り町で隣の市域
境界線の川には古い橋
猫を捨てるなら川向こうに捨てないと
戻ってくるよ
などと
村の誰かが言う
水を越えると匂いが消えるから

ばあちゃん家は
いつも猫が勝手に棲み着く寺である
よくカツオ節を付けて
勝手に生まれた子猫を養子に出した


(冬のレモン発見)

村に入って
車一台が通れる細い道を行くと
すぐに大屋根の寺の塀が見える
その先に屋根付き門があるが
塀の角を左に曲がって
母屋の玄関へいくのだ
玄関の戸はがらり戸で
片側へ引く
大人は少し屈んで入る感じ
夜の戸締まりは棒切れ一本
つっかえ棒って奴だ
がらり戸内側にナナメに渡すと
外からは開かない

玄関をまたぐと
6~8畳ほどの広い土間がある
正面は
細長い水屋のある板張りの小部屋
があった様に思う
土間からは上がれないほどの段差がある



右手は土間つづきの台所に繋がる
台所には大きな水屋と
小さな伽出しの四角い流しに
奥には土の竈がある
大きな釜ものっかていた
台所から庭への出入り口脇には
五右衛門風呂の焚口がある
風呂のふたの上にはいつも猫が載っていた
ぬくい場所にはいつも猫が陣取る

玄関土間と台所の仕切りは
格子木枠に嵌まった格子戸で
やはり体をちぢめてくぐる
向かって左側は
母屋に入る広い上がりかまち
いつも開いている引き違い戸


(冬の花も発見)


入口の部屋には
鉄瓶でお湯を沸かしたり
餅を焼いたりできる
大きな火鉢があって
火鉢のふちは
ドーナツ状に平らなふちがあって
物が載せられたように思う
縁側に出る雪見硝子?の嵌まった戸からは
庭の一部と次の部屋の前の長い縁側と
その先に
本堂に繋がる段が多分4段ほど見える
本堂も広い板張りの縁側で三方を囲まれていて
全面障子の戸が嵌まっている
子供時分に姉は
この本堂の縁側から落ちて
頭を打ったことがあった
それがどうしたって
ことでもないが


(ドミ ドッ!ミ ドミソ)

何本もある柱の脇には
観音開きの雨戸がついている
本堂の縁側は正面にまわると
広い階段になっていて
門から続く石畳の
そのアプローチの両側に
2m以上はある石灯籠が立っていて
門を入って直ぐの右手には
太鼓堂が建っている
太鼓堂の前には犬小屋があった
いや犬がいたのは
子供時分じゃなかったかもしれない
悪いことをする子には
「太鼓堂に一晩 入るか~!」という
脅し文句は結構効くのだった



本堂のご本尊様を祭った
祭壇の裏側には
長い通路があり
子供にはミステリアス空間
なにか
魔物が棲んでいそうでワクワクする
その魔界の道は
母屋と離れの部屋をつなぐ廊下であり
離れは二部屋続きの和室
まあ総てが和室であるのだが
離れの庭には
椿の木が印象的に植わっていて
椿の花がポトリポトリと首ごと散って
苔むした地面の彩りになっていて
風情があった
椿の周り小さな庭は
生け垣で囲ってあって
本堂母屋の庭とは別の静けさを保っていた
生け垣の向こう
庭のシンボル大銀杏の木が見えていた
毎年銀杏の実も沢山拾ってバケツに入って
少し置いといて周りを腐らせる
そのバケツの傍はとても臭い

臭いといえば
離れには便所もついていて
軒下には
吊り下げ式手洗いタンクと手ぬぐいが下げてあり
縁側の前には確か筧(かけい)があったと思う
母屋の便所の前にも壺庭があって
板張りの便所は切り込んだ四角い穴
誤って落ちないようにする為か
臭いの為か板の蓋がしてあった
母屋の方の便所にしゃがむと
正面の細い竹格子の小窓から
ドクダミの葉が茂ったツボ庭がみえる
蜘蛛が怖くて便所に入れぬ時もある
母屋の長縁の中ほど
軒下には
お爺ちゃんの吊り忍が緑の葉を茂らせ
その下雨樋の出口に
大きな甕(かめ)があって
雨水がいつも溜まっていた
布袋葵の様な水草があった気もする
縁側から庭へ降りる靴ぬぎ石もあった




夏は井戸で冷やしたすいかを
長い縁側の軒下で食べた
種は庭に吐き
数日後には小さな芽がたくさん出るが
期待はしたが
スイカ畑になることはない

夏に出前でとるかき氷は
たまらなく淡雪の細かさ
薄いグリーンのガラス風の深皿に入って
横にスプーンがささっていて
氷の山を崩さぬように引き抜くのは
技がいった

夜は開け放した座敷に
部屋いっぱいの大きな蚊帳をつり
豚の蚊取り線香入れに渦巻金鳥の夏
それでも
夏の蚊は
次から次に電気光を求めてやってくるから
蚊帳に入る前に殺虫剤をシューとひとふり
したり
団扇であおいで
さささっと蚊帳を振って
中に入らねば
蚊帳に入り込んだ幸運な蚊の
浪曲を一晩聞かされるか
手足の血を分け与えるか
せねばならない
しかし小さい頃は
伯母さんがいつも寝付くまで
団扇であおいでくれたから
快適に眠れていた


(この東屋は二階建て日当たり良し眺め良し)

冬は炭アンカを
着古したももひきや
柔らかい綿の下着や毛布なんかにくるんで
布団に入れて寝てた
炭は火鉢で
お爺ちゃんが火を付けていたように思う
朝には灰になったアンカの灰を
庭木の根元にまくか庭に捨てる
冬の出前はおだまきで
どんぶりに入った茶碗蒸しうどんである
絶品なんだな
これが
餅も火鉢で焼くから
付け焼きができて醤油の香ばしい匂いが
部屋に広がる

本堂では習字教室や
村の子供たちを集めて
日曜学校が開かれていた時期もあった
伯父さんは囲碁名人だった
囲碁を習いにくる人もいた

離れでは
伯母さんが茶道と華道を娘さんたちに教え
母屋じゃ祖母が和裁を教えていたし
嫁入り前の娘さんが結構出入りした
そういえば

時に
着物は解かれて
洗い張りされた着物が
庭に吊られ
風にゆれたりする日もあった
長い反物に張られた竹の串が
連続する様は
まるで長い帆船のようでもある

そんな日本の和の生活を
子供時代
長い夏休みや冬休みに
たっぷり味わえた幸せを
最近とみにありがたく思うのである

これを昭和生まれの郷愁と呼ぶ
いいじゃん
郷愁に浸ったったって
消え往く和に幸あれ
消和と呼ぼう


年を重ねると西洋式暮らしは便利で快適
だから記憶の消えぬうちにメモっておこう
まあ昔すぎておぼろな記憶ではあるが


桜炭 活けた炬燵で うたたねすれば
夢じゃ 吉野の花盛り

と詠んだ高杉晋作の句が
いつも心にあって妙に好きな理由
というのが
炭の炬燵を抱いて寝た
子供時代の冬休み

まあそんなとこ


(冬の月明かり発見)







最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (パカ子)
2008-12-20 18:43:27
私も母の実家や叔母の家を思い出しました。
るるさんのお婆ちゃんのお家のように大きくはありませんが、自分の家より大きくて、子供にとってはさらに大きく感じられました。
やはり離れがあったり、そこに行く途中にトイレというよりお便所があり、なつかしの吊り下げ式の手洗い、ありましたね。

庭にはサルスベリの木があったなあ。
そして家の裏はハス池があったっけ。

私たちの年代は、古いものから新しいものへと急激に移行する世の中の両方を辛うじて記憶に残していますよね。
不便だったけど、今よりずっと生きてる実感のある時代だったような気がします。
Unknown (るる)
2008-12-22 23:39:40
さるすべりの木!
おばあちゃん家にもあったげな
昔の家の庭って
和風になんかちょっと洋風がまじって
折衷とまではいかない和寄りの洋で
そこがまた昭和やなあと思う
トイレじゃなくまさしく便所やったしね
平成の世は洋寄りの和も消えつつ
今年の漢字の「変」は
今更って感じ?





はじめまして (みどり)
2009-01-04 22:34:14
ご無沙汰しています
時々、懐かしいお話を読ませていただいてます
懐かしい…と言っても私にはほとんど記憶がないので
きちんと覚えてられるのが羨ましいです

今でも高速から少しだけ、大屋根が見えますよ
近々改修されるそうです

お茶やお華を教えていた伯母さんも膝を悪くして、正座もままなりませんが元気にしています

また伺います

ありがとう! (るる)
2009-01-05 16:55:33
コメントありがとうね
嬉しいな
ブログ始めて3回目のお正月が来たよ
記憶が途切れ途切れになっているので
違うかもと思いつつ打ってている
けどまあいいよね
年賀状ありがとう
大きくなったねえ
息子さん
会いたいね

コメントを投稿