RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

海に浮かぶ島・宇宙に浮かぶ星。ボスはいない

2008-07-11 15:02:56 | おすすめ

(朝ごはんつきなら・・・。)

各国首脳陣リゾートバカンスサミットも終わり
宇宙船地球号には舵を正すCAPTAIN
がいないことが判明してしまいました
この星の住民たちは・・・どこへ行くのか!

トミーも嘆いているのではないかと思う。
トミーといえばボスですが
トミー・リー・ジョーンズの『告発のとき』を
自転車君と見た。
映画としてはすばらしく
脚本もいいし
トミー・リーの演技も味も抜群だから
言うことはない
最後のシーンで涙が出て悲しくなるが
それは感動ではなく
苦い涙なのである
本当にこの星の住民たちはどうしようもなく悲しい。
という涙である
同じジョーンズでもトミー・リーより
インディーの方を見て
クリスタルスカルでも追っかける方が
楽しく過ごせたのだが仕方がない
これも出会いだ


(今日出会ったダチュラだっちゅ~の(死語))

選択する意志の中にも偶然性はある?
インディーも観たいしスピードレーサーも観たいが
結局は見ないのだ
それが偶然の意志なのだと納得。
今の世界は
ありあまる情報文化物質の選択を
間違わないように生きるのは
至難の技なので
技を磨くために学問があり社会勉強がある
と思っていたが
チョイス学で何を選びとるのかは
自由だ~などと叫んではいけない
自由など不自由のはじまりである
だがしかし
選択学は学校では学べない
間違ってチョイスされた教師が
かなり多いと日々報道されている
お金で義務教育の教師職を買う
などということが常態化している
そんな学校で育つ子達は不幸と言う他はない
大分県だけでないと思う人は多いだろう
なぜなら
一人二人の教師の話ではないから
四分の一がそうだというから
あきれてあいた口から金魚が飛び出した
CAPTAINもいない
教師もいない
リーダーがいない
ボスがいない
親もいない
反省をする暇もなく貧困親達は
物価高と格闘しつづけて
くたびれ果てているし
若者はなにを選べば正解なのか
わからぬまま情報の海、物質の海
で翻弄され
溺れ続けるだろう
自分を信じるしか方法はないのか?
どんな根拠があって勘違いでなく
自分は
信じるに足ると思うことができるようになるのか
世の中の先生達教えて下さい。


(お昼休みはウキウキウォッチングな人?)

それはさておき
昨日がてん系娘は仕事が休みで
糸島の海まで泳ぎに行き
真っ赤になって帰ってきた
るるが最後に海で泳いだのは何年前だろうか?
夏が一番好きな季節だったのに
今は昔のことになりかけている
いかん これではいかん
海はいい
海はやはり時々見なきゃ
と思う
ああ 海が見たい
見たいなあ


(高原じゃなくて・・・海よ)

焼けた砂浜に打ち寄せる波
岩肌に砕ける波
遠くにぽっかり浮かぶ島
あれは無人島なのか
難破船から海にほうり出された人々が
流れ着いた島かもしれない
東京島かもしれない
という訳で
桐野夏生著『東京島』(新潮社版)は
面白い
夏の読み物としては抜群にピッタリで
河童えびせんな小説で
やめられないとまらないのである
無人島に漂着した中年夫婦と
23人の日本のフリーター達と
後から流れ着く中国人11人
男ばかりの無人島に女が一人
サバイバルな生き残り合戦が繰り広げられる
と思いきや
サバイバルな部分と
不思議と
現代のゆるい感覚の狭間に
ひとつの島国が現れてくる
この島の人間達は・・・とボスは言うだろう

ドラマも映画も小説も現実逃避で
見たり読んだりするつもりでも
結局は現実にしっかり照らしている
今日この頃

ああ
本物の海が
海が見たい


(娘からのお中元。コーヒーゼリーご馳走さん)





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