RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

お久しぶり月はいけないもやに包まれて出家

2010-03-13 18:43:14 | いうてなさい



ここ1年程の間に公開された
劇場で見たかった

見れなかった映画名

携帯のメモ帳に入れていたら
30作品は超えてしまっていた

大半は見てもきっと
そんなに見たがる程の作品でも
なかったなあ

思うに違いないと思うことに
している
まあそのうち
テレビでチェックしてあげよう

アカデミー・・・なタイプのやつ

2~3見たいのがあった
この時期のアカデミー症候群?
先日「スラムドック&ミリオネア」を
今更ながら
テレビでやっていたから
ビデオって見たが
頭痛のせいか今一つだった
ついでに続けて撮っていた
「蛇のひと」
というドラマが結構面白く
はまった
配役もいい脇役も面白いし
WOWOWシナリオ大賞
とかの受賞作らしい




主役の
西島秀俊という俳優さんの出る映画を
最近よくテレビで見る機会が
なぜか偶然あって
どの作品の役も
「いけないもや」?? 

かかっていて
もやに包まれた役者さんだなあ(笑)

思いつつ
ついつい引き込まれる
なんて~か
もったりとして
悪い女の霊が背中に覆いかぶさっている
ような
そんな感じで いい(笑)

「蛇のひと」も
やっぱり
いけないもや が もったりかかって
いい感じに
脚本と演出が役者を包み込んで
飽きさせなかった
飽きさせないといえば

先週のTV
米アカデミー賞の作曲賞メドレーにのって
くりひろげられる
ダンスパーフォーマンスに思わず釘付け

いやはや
魔法にかかったように踊る
ダンサーたちに
やっぱ
アメリカショーマンシップはすごいと思う
この
ショーほど素敵な商売はない精神!!

最高のエンターティメントを
作り出してきたんだろう
日本のアカデミー賞授賞式には
サービス精神が欠けている
もっと映画興業を盛り上げる
演出が欲しい
日本独特のパーフォーマンスを
欲しいと思う
たとえば 和太鼓連弾 
それから三味線かきならして
もうもう 男前たちが
かぶきたおす?!
くらいの
パーフォーマンスはやって欲しい(笑)
アカデミー賞って名前は
日本風に変えたほうがいいし



今年の
米アカデミー賞の司会役の
スティーブ・マーティンと
アレック・ボールドウィンが
かなりブラックジョーク連発で
面白かった
今年のアカデミー賞を
ほぼさらっていった2作品
しかも両監督が元夫婦だそうで
「アバター」のジェームズ・キャメロン監督

「ハートロッカー」のキャスリン・ビグロー監督
そのブラックジョークの一つ
適当に ながら見してた から
間違っているかもしれない
別の人たちのことだったかも
まあいいか
そんなどこかのセレブ夫婦が
片方に爆弾をプレゼントしたら
そのお返しにトヨタ車を送ったらしいよ
などと言って結構うけていた

おいおい!!である


『ザ・コーヴ』という
日本のイルカ漁批判の
ドキュメンタリー映画が賞をとったり
今年のアメリカは
日本には厳しい風を吹かせている

そろそろ
文化もアメリカ離れ しなけゃ ならない
のかどうか
文化以外のほうが問題だらけだが
基地はどうすんだ!
鳩内閣は決められるのだろうか・・・。

それは兎も角
イルカが おいしいのかどうか
大半の日本人は知らないし
クジラだって 食べたことない
という日本人も多くなった
どっちにしても
カンガルーやワニを食べる地域もあるし
熊の手や猿の脳や犬を食べる地域もあれば
ゴキブリや羽化しかけの卵を食べる所もある
世界は広い
ちょっと話はそれるが
最後の石器人アマゾンのヤノマミ族的な
話もあるし
土地に残る風習を
外の人間がいろいろ言うな
って思うが
時代が変わろうと関係ない
変わりたくない人たちだっている
水銀汚染だから危険だというなら
その地域にだけ情報を伝えればいい
映画にして世界に公開するというのは
つまりは敵視?しているんよね

文化の違いを
全体と一部の問題で考えると
一部が全体に含まれるから
やっかいなんだ

一部を認め一部を尊重しながら
全体を考えるのが
崇高なる隣人愛?につながる

変わらない
変えれない人たちも
いる
変わらないと言えば

春は弥生
三月はお久し振りの月
かも知れない
三月の初め4年ぶりくらいに
7年間うちの事務所のスタッフだった
女性が息子を連れて来てくれた

久しぶりに会ったが
変わっていない
相変わらず美人さんである

来るって電話があったあと
るるに
彼女がいついつ何時頃来るって

報告した自転車君が
うきうきしてなんか嬉しそうだった(笑)
ふん・・・まあいい

我が家に若い美人さんが来ることは
ほとんど無いからね


今度年長さんになるらしい
一人息子君は
人見知りしないし
自然に囲まれた
田舎暮らしでのびのび育っているので
とにかく可愛いらしい

ふと思うのは
子供が子供であるのは園児年齢までで
小学校に入ると子供は子供でなくなり
とたんに可愛いらしさを失う
まあ個人的意見ですが(笑)

多分小学校という
団体生活社会に毒されて
子供から ひと になるんだと思う



良くも悪くも
碁盤の目に並んだ
机と椅子の狭間で揉まれて毒され
可愛い子供でなくなる
あくまで 個人的意見ですが(笑)

幼稚園も団体社会じゃないの?

言うかも知れないが
園児までの社会は
団体で行動したとしても
心は独り な感がある
一緒にいても
みんな心は違う方向をむいている
そんな気がするの

団体社会にありながら
団体社会にいる意識が
無い
かといって
ひとりひとりの独立した個でもなく
ただ ただ
子供でいることができる年齢

自分でありつづけられる
年齢なのだと思う

何々幼稚園を
背負うこともなく

何々小学校や中学や
何々高等学校を背負って
何々大会に出ることなく

大人の様に
何々株式会社も有限会社も背負わず
スポーツ選手の様にチームを背負わず
オリンピック選手のように
日本も背負わず

団体やグループに属さず生きる事の
難しさを
考えることなく存在できる
もし
園児に何かを背負わす
幼稚園があったら
それは幼稚園じゃない!
背負ってしまう園児がいたら
それはいびつな園児と言える

小学校という場所と
6歳という年齢と

多分可愛い子供の分かれ道
子供が可愛いというのは
心が自分の為だけにあるという事
うらやましくも
無邪気と残酷の間にあるって事
小学校に入ると
少しずつ 
人の為 友だちの為
親兄弟の為 社会の為
に行動するように
誘導されて行く
そこで子供は
無邪気さを少しずつ失い
残酷さも失っていく

可愛らしい愛らしい
と残酷は紙一重だから
いい
自分を失っていった
大人たちの鎮魂歌
そして
人が人に魅かれるのは
大人になっても
そんな子供の無邪気と残酷を
誰かの中に探して
いるんじゃ ないのか?
あくまで個人的意見です(笑)

彼女の家のすぐそばにある
道の駅みやげで
おいしい豆腐と味噌をいただいた
ごちそうさま
すごく美味しかったよ



久しぶりといえば
ほかにも5年振りくらいの人たちに会った
前の住まいの地域で知り合った人たち
ついでに5年ぶりで前に住んでいた家を
見に行き
旧我が家の「彼岸の庭」が
畑に変わっているのを見て
ちょっとさみしい気分であった
住人もその後又、入れ替わったらしい

久しぶりが叶っていないのは
先月大阪の旧友から
2月の初めに
同窓会(という名の飲み会)やろう!
いつがいい?
とメールが来たが
2月はいろいろあって・・・でも
「日にちが決まったら善処万処繰り合わせて
よいしょっとマッハ88で走っていくわいな」
と返信したが

その後返事のメールもなく
早、1ケ月が過ぎ
もう集まったのかどうか
定かではないが・・・。
そろそろ春の家出願望が
土筆のごとくわが土手に生えて

なんとはなく
故郷に帰りたなってしもた
ほんま
寒い穴蔵にて






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