礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

千葉功氏の新刊『南北朝正閏問題』を読んだ

2023-08-26 00:55:40 | コラムと名言

◎千葉功氏の新刊『南北朝正閏問題』を読んだ

 先月15日、千葉功氏の『南北朝正閏問題――歴史をめぐる明治末の政争』(筑摩書房)が刊行された。私は、今月17日に、これを入手し一読したが、期待に違わない労作であった。今後、この問題について発言しようとする者は、プロ・アマを問わず、この本を「古典」として参照することになるだろう。
 この本の巻末には、「言説分析原典一覧」というものが付されている。これは、実に有益な文献案内である。
 著者は主に、次の四冊の文献を用いて、この「原典一覧」を作成したという。

・史学協会編輯『南北朝正閏論』修文閣、1911年5月    
・友声会編纂『正閏断案 國體之擁護』松風青院、1911年7月
・山崎藤吉・堀江秀雄共編『南北朝正閏論纂』鈴木幸、1911年11月
・高橋越山編輯『現代名家 南北朝論』成光館書店、1912年4月 

 このうち、『正閏断案 國體之擁護』は、みすず書房から復刻版が刊行されている(1989年7月)。しかし、それ以外の三冊も重要な資料集であり、復刻版の刊行が待たれる。
 当時、政教社から『日本及日本人』という雑誌が出ていた(月二回発行)。その第554号(1911年3月15日)は、「南北正閏論」特集となっており、ここにも貴重な論考が、いくつも掲載されている。
 当ブログでは、2020年4月に、同誌同号から、三上・喜田・牧野・松平「南北正閏問答」、北畠治房「南朝正統論」、三浦梧楼「観樹将軍の正閏観」、菊池謙二郎「南北朝対等論を駁す」、同「余論」を紹介したことがある。
 入力に、かなりの時間を要したにもかかわらず、ほとんど何の反応もなく、いささか気落ちした。しかし、今回、千葉功氏の『南北朝正閏問題』が刊行されたので、新たに、この問題に関心を持たれる方も出てくることであろう。2020年4月の当ブログ記事に、アクセスされる方も、少しは増えるかもしれない。

*このブログの人気記事 2023・8・26(10位になぜか日本精神叢書)

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念の為、賢兄、ボアソナードに御面会……(伊藤博文)

2023-08-25 03:54:18 | コラムと名言


◎念の為、賢兄、ボアソナードに御面会……(伊藤博文)

 長尾龍一『思想としての日本憲法史』から、第4章「鹿鳴館の挫折とともに」の第五節「ボアソナードの義憤」を紹介する。

     ボアソナードの義憤

 ボアソナードの「旧条約ニ劣レル事甚ダ著シ」という言葉に関しては、明治前期最大の外交問題であった条約改正問題の概要を想起しなければならない。
 幕府が安政年間に列国と結んだ条約は、「屈辱的な不平等条約」でもあるが、神戸・横浜などの開港地以外での外国人の活動を厳しく規制するなど、鎖国原理を相当程度貫徹しており、これを先進国並みに改正しようとすれば、一方で関税自主権回復や開港地における治外法権の撤廃などの反面として、開港地以外での外国人に(例えば英米人がドイツやフランスで認められる程度の)「文明国」の国際的標準に沿った権利を与えなければならなかった。これがいわゆる「内地雑居」問題である。
 明治一二年〔1879〕に外務卿に就任した井上馨が、各国別交渉でなく、列国と一括して条約問題を交渉するため、彼が議長を勤める、各国公使による条約改正予備会議(一五年)の成果に基づいて、同本会議を一九年〔1886〕五月一日より開催した。モッセ到着の直前である。
 条約改正に関して日本国内で問題となったのは、内地雑居の文化的影響、更には脆弱な日本経済が外国資本の支配下に置かれる危険(「富士山が買い占められる」という者もいた)などであつたが、列国側は、日本の法制が不備で、裁判官の質も低く、「文明国民」の権利保護に不充分であるとして、法制の整備と外国人裁判官の任用を要求した。二〇年〔1887〕四月二日までに一応成案への合意が得られたが、その内容は「日本帝国政府ハ、本条約締結後二ケ年ノ中ニ於テ、全ク国内ヲ開放シ、永久外人ヲシテ雑居セシムヘシ」(一条)、「日本帝国政府ハ、万国公法ノ通則ニ従ヒ、日本帝国臣民ノ応ニ有スベキ権利及特権ヲバ凡テ外国人ニテ享有セシムヘシ」(三条)に始まり、「泰西主義」に基づく刑法、刑訴法、民法、商法、民訴法を起草し、その英訳を列国に示す(四条)、外国人が当事者である裁判に際しては、外国人裁判官が過半数、法廷用語は原則として日英両語で、日本代言人議会(弁護士会に相当)に外国人代言人の入会を認め(七条)、日本政府は外国人裁判官・検察官を任命する(八条)、本条約の効力は批准後一七年間とする(一二条)というものである⑴。ボアソナードは、外国人裁判官について井上毅に、「比〈この〉裁判ハ公平ナルベシト信ズル事ヲ得ルカ。其親近ナル処ニ偏庇スルハ普通人心ノ短所ナレバ、通常比裁判ハ日本人ニ不利益ナルベシ」と指摘している⑵。
 井上外相らは列国外交団の心証をよくするため、都心に続々洋風建築を建設し、また鹿鳴館を中心に、外国使節らを招いて舞踏会や晩餐会を頻繁に開催した。モッセ書簡にも頻繁にその様子が描かれる。「一月一〇日は[ホレーベン]公使主催、一五日は伊藤〔博文〕主催の舞踏会、一六日は我が家〔モッセ家〕でディナー、一九日は青木〔周蔵〕のところで、山縣〔有朋〕、ホレーベンらの出席する高級ディナー、我が家の倹約主義も滅茶苦茶だわ」(L20-11-7)。「昨夜は伊藤招待の舞踏会。ここで踊られているのがLancerやQuadrilleやCaledonianだとどうして信じられよう」(L20-1-6)、「日本にいると、心の中で軽蔑しているものを褒めるのが上手になる」(L20-10-13)と散々である。リーナによれば、会食の贅沢さは「罪悪的なほど(strafbar)」であった(L20-1-4)。この頂点に立つのが例のファンシーボールである。
 六月一日、ボアソナードの条約案批判意見書が内閣に提出され、先の井上毅との会談の筆記も秘密出版として世に流れる。七月三日、谷干城〈タニ・タテキ〉農商務相が批判の意見書を提出し、二八日に辞任。モッセは「ポアソナードと谷は時代の英雄となっている」と言っている(A20-8-8)。各新聞も激しく政府批判の論陣を張り、遂に井上外相も二九日各国公使に条約改正会議の無期延期を通告するとともに、辞意を表明した。八月一四日付伊藤〔博文〕の日記に「同氏[黒田清隆]ヲ同邸ニ訪外務大臣井上官ヲ辞セントスルノ大意ヨリ同人ノ請求ニ出スル大隈重信ヲ後任ニ挙クルコトニ及ヒ大隈諾否ノ意向如何ヲ探問スルコトヲ黒田ニ依頼ス」とあり、九月一七日井上は正式に辞任した。

 ⑴ 『明治文化全集 外交篇』四六四~九頁。
 ⑵ 同、四五〇頁。
 ⑶ 『滄浪閣残筆』二一二頁。

 文中、(L20-11-7)、(A20-8-8)などとあるのは、モッセ夫妻『在日書簡集1886‐1889』に収録されている書簡を示す記号。Aはアルバート、Lはリーナ、数字は明治の年号と月日だという。
「LancerやQuadrilleや Caledonian」とあるのは、いずれもダンスの種類。インターネットで検索すると、それぞれ、動画によって、踊っている様子を視聴することができる。
 最後、伊藤日記から引用している部分が、ややわかりにくい。「井上馨は、黒田清隆を黒田邸に訪ね、外務大臣を辞職するつもりだとして、その大意を語り、ついては大隈重信を後任に推挙したいので、黒田から大隈に対して、諾否の意向を探ってほしいと依頼した」という意味であろう。

今日の名言 2023・8・25

◎日本にいると、心の中で軽蔑しているものを褒めるのが上手になる

 アルバート・モッセの妻リーナ・モッセの言葉。明治20年(1887)10月13日付の書簡中に、こうあるという。上記コラム参照。

*このブログの人気記事 2023・8・25(3位・9位に極めて珍しいものが入っています)

 
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余ハ今日、日本ノ為ニ喪ニ居ルノ心地ス(ボアソナード)

2023-08-24 00:02:58 | コラムと名言

◎余ハ今日、日本ノ為ニ喪ニ居ルノ心地ス(ボアソナード)

 長尾龍一『思想としての日本憲法史』から、第4章「鹿鳴館の挫折とともに」の第四節「仮面舞踏会(Fancy Ball)」を紹介している。本日は、その後半。

 それから二〇日後の五月一〇日朝、フランス人法律願問ボアソナードは密かに井上毅を訪れ、現在進行中の条約改正作業の条約案は「旧条約ニ劣レル事甚ダ著シ」く、現在は日本にとって「未曾有ノ危急」であり、「此事若シ実行セラレナバ日本国民ハ再ビ二十年前ノ変動ヲ起ス」であろうと述べた後、次のような対話となる。
 《右一般ノ説話終リテ
 ボ氏突然井上氏ニ問ヒテ云ク足下伊藤伯ノ仮装会【フアンシーボール】に赴カレシヤ。
 井上氏答フ 偶々病気ノ故ニ辞シタリ。
 又問フ 鳥居坂邸(井上伯ノ邸)ノ芝居ニハ赴カレシ乎。
 答フ 又病ヲ以テ辞シタリ。
 ボ氏云ク 足下ハ定メテ予ト同感ナル故ニ態ト辞セラレタルナルペシ。予ハ近日宴会ノ席ニ行ク事ヲ好マズ。日本国ハ外ハ権利ヲ減ジ、内ハ進歩税ヲ徴収シ、前途暗黒、哀痛ノ境界ニ沈淪セントスルノ時ニ当リ東京ノ都府ハ建築土木ト宴会トヲ以テ大平ヲ楽メリ。予ハ今日ハ贅沢ノ時ニ非ズト信ズルヲ以テ、各大臣ノ宴会ハ都テ之ヲ謝絶スルナリ⑵。》
 実は、ポアソナードがこのような意見をもっていることは、事前に井上の耳に入っていた。五月七日井上の伊藤〔博文〕宛書簡は次のように報じている。
 《此頃ボアソナド氏、或ル親密之交際ある日本人ニ向ひ、左之説話いたし候由、法制局参事官岸本辰雄・廣瀬進一伝承いたし、内々小官迄話し候ニ付、不閣御参考之為、奉達清聴候、
 一、 余ハ今日日本ノ為ニ喪ニ居ルノ心地ス、日本ハ将ニ回復スへカラサル哀悼ノ地ニ沈マントス、其故ハ条約改正ノ談判、段々ニ外国公使ノ為ニ侵入サレ、今ハ已ニ最初ノ原案ノ形ノミヲ存スト雖、其内部ニ包含シタル精神ノ部分ハ、総テ日本ノ為ニ甚シキ不利益ノ点ニ落チ、将来此ノ改正ヨリ生スル結果ハ、遥ニ旧条約ニモ劣ルニ至ラントス、此上ハ只タ日本人民ノ輿論、又ハ内閣ノ注意ヲ以テ改正ニ抵抗シ、遂ニ批准ヲ経ルニ至ラズシテ、旧条約を継続スルノ一方アルノミ、》 (『井上毅傳 史料編 第四』一〇三~四頁) 
 翌五月八日、伊藤は井上毅に「条約改正事件ニ付、ボアソナートノ説云々ハ、恐ラクハ造言ニ相違有之間布ト被察候。……為念〈ネンノタメ〉賢兄ボアソナードに御面会、同人之口気分御探リ見被下⑶」と応答しているから、一〇日は井上の方が呼び出したものであろう。しかし井上自身も早くより外国人裁判官任用案に疑問を提出しており⑷、ここにファンシーボールを引き金として、条約改正に対する大反対運動が起るのである。

 ⑴ 『世外井上公伝』七九〇頁。〔正しくは、『世外井上公伝』第三巻、七八九~七九一頁〕
 ⑵ 「井上毅ボアソナード両氏対話筆記」『明治文化全集外交篇』。
 ⑶ 『井上毅傳 史料編 第五』一〇五頁。
 ⑷ 井上毅の伊藤宛書簡(一九年一二月一八日)(『伊藤博文関係文書』三六三頁)。

*このブログの人気記事 2023・8・24(8・9・10位に極めて珍しいものが入っています)

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圧巻は、奇兵隊隊長に扮した山縣有朋だった

2023-08-23 01:17:04 | コラムと名言

◎圧巻は、奇兵隊隊長に扮した山縣有朋だった

 先月の3日から5日にかけて、「ボアソナードの条約改正意見」という史料について紹介した。
 その後、たまたま、長尾龍一氏の『思想としての日本憲法史』を開いたところ、そこにも同史料への言及があった。同書の第4章「鹿鳴館の挫折とともに」の第四節「仮面舞踏会(Fancy Ball)」、および第五節「ボアソナードの義憤」の両節である。
 本日以降、何回かに分けて、これらの節を紹介してみたい。

     仮面舞踏会(Fancy Ball)

 二〇年〔1887〕四月二〇日午後九時、首相官邸に四百名ほどの内外紳士淑女が参集した。まず仮装大会、三島〔通庸〕警視総監は「天莫空勾践、時非無范蠡」と書かれた旗を背負って鎧〈ヨロイ〉に蓑〈ミノ〉を着て冠り笠、児島高徳〈タカノリ〉に扮し、その令嬢二人は汐汲み桶を担った海女の風情。高崎〔五六〕東京府知事は長刀に七つ道具の武蔵坊弁慶、牛若丸は同氏令嬢。渋沢栄一は山伏、令嬢は胡蝶の舞いを舞い、山尾〔庸三〕法制局長官は虚無僧〈コムソウ〉、令嬢は静御前。井上馨外相は素襖烏帽子〈スオウエボシ〉の三河万歳、大山〔巌〕陸相はチョン曲げ大小の武者姿、山田〔顕義〕司法大臣は唐衣姿で吉備真備〈キビノマキビ〉、渡辺〔洪基〕帝大総長は西行の行脚姿、伊藤〔博文〕首相はヴェニスの貴族、令嬢はイタリアの田舎娘姿、三条〔実美〕内大臣令嬢は西洋花売り娘、松方正義大蔵大臣は烏帽子直垂〈ヒタタレ〉姿、令嬢は稚児〈チゴ〉姿、穂積陳重〈ノブシゲ〉は東大教授植物学者矢田部良吉とペアで恵比須大黒に扮し、外国人たちも、紺の法被に股引〈モモヒキ〉姿の別当や寿老人〈ジュロウジン〉、ローマ法王や国王などに扮して現れた。しかし圧巻は「其昔、一隊を引率して幕軍を駆悩したる奇兵隊隊長の打扮〈イデタチ〉にて、日本服の筒袖に、韮山笠の一種を冠り、両刀を横たへ、曾て同氏が馬関にて変名したる長藩萩原鹿之助源有朋の十字を白木綿に記して肩印とした」山縣有朋内務大臣ではあるまいか⑴。
 リーナはこの時の様子を父母に書き送っている。
 《私は大勢の日本人が、似合わないみっともない洋装で現れるかと思っていたのですが、全然違いました。彼らも自分たちに何が似合うか知っているんですね。宮廷や大名の装束や、神々まで登場し、女性も古風な装束で現れ、色彩も鮮やかで、魅力的です。ただこの姿でダンスを踊ったのはとても滑稽でした。》
 外交官たちは大体洋風仮面舞踏会の服装で現れ、他の外国人は(イタリア、スペイン、メキシコ、ティロルなど)自国の民族衣装で現れた者が多かったが、昔のドイツ学生姿、女子店員、巫女[?]などもあった。アルバート〔モッセ〕はトルコ人に変装したが、なかなかさまになっていた。私〔リーナ〕のロココ風装束は大したことはなかったが、ともかく面白かった。曲目プログラムには一六曲もエントリーがあり、明日桜祭があるので二時に失礼した(L20-4-22)、と。解散したのは朝の四時である。【以下、次回】

 文中、「天莫空勾践、時非無范蠡」は、「天、勾践(こうせん)を空しうすること莫れ(なかれ)、時に范蠡(はんれい)、無きにしも非ず(あらず)」 と読む。児島高徳の言葉だという。
 また、⑴は、注⑴「『世外井上公伝』七九〇頁」に対応している。ただし、この注は正確でない。正しくは、「『世外井上公伝』第三巻、七八九~七九一頁」である。『世外井上公伝』は全五巻で、井上馨公伝記編纂会編、内外書籍株式会社発行。第三巻は、1934年3月に発行されている。
「東大教授植物学者矢田部良吉」とあるのは、テレビ小説『らんまん』に登場する田邊彰久教授のモデルとされた矢田部良吉(1851~1899)のことである。『世外井上公伝』第三巻には、恵比須大黒に扮した穂積陳重・矢田部良吉両人の写真も載っているので、興味のある方は、参照していただきたい(『世外井上公伝』は、国立国会図書館が、インターネット公開している)。
「リーナ」とあるのは、政府の法律顧問アルバート・モッセ(Albert Mosse)の妻リーナ(Lina)のことである。この日の仮面舞踏会には、モッセ夫妻も、そろって出席していたのである。

*このブログの人気記事 2023・8・23(なぜか9位に野村秋介)

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政府は、このビラで軍隊や民衆が動きだすのをおそれた

2023-08-22 00:52:37 | コラムと名言

◎政府は、このビラで軍隊や民衆が動きだすのをおそれた

 一昨日の記事「飛行機からのビラが、天皇をそうさせた(林三郎)」について、若干の補足をおこなう。
 今井清一編『敗戦前後』(平凡社、1975)の224ページに、「御前会雄を開かせたビラ」と題された囲み記事がある。まず、これを引用してみよう。

  御前会議を開かせたビラ
 昭和二十年八月十三、十四日、米軍機は「日本の皆様」と題するビラを全国各地にばらまいた。
 それには、
「私共は本日皆様に爆弾を投下するために来たのではありません。お国の政府が申込んだ降伏条件をアメリカ、イギリス、支那並びにソビエット連邦を代表してアメリカ政府が送りました回答を皆様にお知らせするために、このビラを投下します。戦争を直ちにやめるか否かはかかつてお国の政府にあります。皆様は次の二通の公式通告をお読みになればどうすれば戦争をやめる事が出来るかがお判りになります」として、「ポツダム宣言受諾打診の電報」とそれに対する連合国の回答(いずれも本巻所収)が刷り込まれていた。連合国との交渉をひた隠しにしていた政府は、このビラで軍隊や民衆が動きだすのをおそれ、いそいで天皇の発意による異例の御前会議を開き、「聖断」によって降伏を定めたのである。

 以上が、囲み記事である。林三郎「終戦ごろの阿南さん」は、14日早朝に撒かれたビラが、天皇をして御前会議を決断させたとしていたが、この囲み記事では、13日・14日に全国で撒かれたビラが、政府をして御前会議を決断させたとある。
 ビラの文章中に、「戦争を直ちにやめるか否かはかかつてお国の政府にあります」とあるが、日本語としては、「戦争を直ちにやめるか否かの判断は、お国の政府にかかっています」のほうがわかりやすい。また、「お国の政府が申込んだ降伏条件をアメリカ、イギリス、支那並びにソビエット連邦を代表してアメリカ政府が送りました回答を皆様にお知らせする」とあるが、日本語としては、「お国の政府が申込んだ降伏条件に関し、アメリカ、イギリス、支那並びにソビエット連邦を代表して、アメリカ政府が送りました回答を皆様にお知らせする」としたほうがよかった。
 なお、カッコして、(いずれも本巻所収)とある「本巻」とは、今井清一編『敗戦前後』〔ドキュメント昭和史・5〕を指す。同巻の198~199ページには、「ポツダム宣言受諾打診の電報」が、そして200~201ページには、「合衆国、連合王国、ソヴィエト社会主義共和国連邦及び中華民国の各政府の名における合衆国政府の日本国政府に対する回答」が収録されている。
 いずれも、よく知られている文書だが、ついでに引用しておこう。なお同巻は、これらの文書の出典は、外務省編『終戦史録 下巻』(新聞月鑑社、1952年8月)だとしている。

   ポツダム宣言受諾打診の電報(昭和二十年八月十日発電午前七時十五分)
  米英支三国対日共同宣言受諾に関する件(別電)
 帝国政府においては人類を戦争の惨禍より免れしめんがため速やかに平和を招来せんことを祈念し給う天皇陛下の大御心に従い、さきに大東亜戦争に対して中立関係に在るソヴィエト連邦政府に対し斡旋を依頼せるが、不幸にして右帝国政府の平和招来に対する努力は結実を見ず、ここにおいて帝国政府は前顕天皇陛下の平和に対する御祈念に基づき、即時戦争の惨禍を除き平和を招来せんことを欲し、左の通り決定せり。
 帝国政府は昭和二十年七月二十六日米英支三国首脳により共同に決定発表せられ、爾後ソ連邦政府の参加を見たる対本邦共同宣言に挙げられたる条件中には、天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に帝国政府は右宣言を受諾す。
 帝国政府は右の了解に誤りなく、貴国政府がその旨明確なる意思を速やかに表明せられんことを切望す。
 帝国政府は{スイス国政府/スエーデン国政府}に対し速やかに右の次第を{米国政府及ぴ支那政府/英国政府及びソ連政府}に伝達方を要請するの光栄を有す。

   合衆国、連合王国、ソヴィエト社会主義共和国連邦及び中華民国の各政府
   の名における合衆国政府の日本国政府に対する回答(昭和二十年八月十一日)
 ポツダム宣言の条項はこれを受諾するも、右宣言は天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解を併せ述べたる日本国政府の通報に関し、我らの立場は左の通りなり。
 降伏の時より天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施のため、その必要と認むる措置を執る連合軍最高司令官の制限の下に置かるるものとす。
 天皇は日本国政府及び日本帝国大本営に対しポツダム宣言の諸条項を実施するため、必要なる降伏条項署名の権限を与え、かつこれを保障することを要請せられ、又天皇は一切の日本国陸、海、空軍官憲及びいずれの地域に在るを問わず、右官憲の指捧下に在る一切の軍隊に対し戦闘行為を終止し、武器を引渡し及び降伏条項実施のため、最高司令官の要求することあるべき命令を発することを命ずべきものとす。
 日本国政府は降伏後直ちに俘虜及び被抑留者を連合国船舶に速やかに乗船せしめ得べき安全なる地域に移送すベきものとす。
 最終的の日本国の政府の形態はポツダム宣言に遵【したが】い日本国国民の自由に表明する意思により決定せらるべきものとす。
 連合国軍隊はポツダム宣言に掲げられたる諸目的が完遂せらるるまで日本国内に留まるべし。

*このブログの人気記事 2023・8・22(8・10位に極めて珍しいものが入っています)

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