礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

弾薬に魂を籠めて必中の一発を浴びせる(G中佐)

2023-08-09 00:53:16 | コラムと名言

◎弾薬に魂を籠めて必中の一発を浴びせる(G中佐)

 藤本弘道『陸軍最後の日』(新人社、1945)から、「継戦と軍人精神」の章を紹介している。本日は、その五回目(最後)。

 更にまた
『沖縄血戦の結果、我等が得た唯一のものは、日本は本土決戦に於て必ず勝ち得るといふ強い確信であつた。あの血戦場最前線でも最後の一瞬まで我が方が負けたと考へた将兵は一人もゐなかつた。たゞ、武器弾薬、人員の補充が我に不利であつた。たとへ不十分でももう少しの補給がどうにかなりさへすれば、敵が如何に物量を誇らうとも、我が方は絶対優位な戦ひを続けることが出来たと確信してゐる。本土決戦場ではその補給が我に絶対有利であると考へられる。従つて負けるなどとは夢にも考へない。沖縄に於ける戦ひは、結局物量と魂の戦ひであつた。そしてその結果は、物量に際限あれど魂に限度無しといふ戦訓を生み、また我の戦術、戦技の優秀は、物量にのみよつて戦ふ敵を随処に制圧して、物量を過信するものはまた物量に敗るといふ戦訓をも生んだといふことが出来る。あまりにも物量にたより過ぎた敵は、戦法、攻撃は勿論、兵器弾薬の精能をも物量によつて解決する状態で、これを使用するものの技術の練磨を忘れてをり、用兵に当つても兵隊を物量的に使用して、これに魂を植ゑつけることを怠つてゐる。従つて少い弾薬と兵器に魂を籠めて敵の急処に必中の一発を我が軍が浴びせたとき、敵はその威力を物量による威力であると敵なみの解釈を行つて周章狼狽、更に旧に数倍する物量を其処に集中してこれの制圧にかかつて来るといふ状況がしばしばあつた。もし我にその時これに対応する若干の武器があれば、敵は全く沈黙してしまふのは火をみるより瞭か〈アキラカ〉なことである。しかしともあれ、あの物量を前にして本島上で敵の七箇師団を破り、海上で約六百に近い艦船を屠つた〈ホフッタ〉我が軍が、特に本島上では一兵の補充なく、一弾の補給なくこの戦果を挙げ得たのは、結局この敵の物量に対して、我が軍独特の魂で戦つたからである』
と、沖縄戦終了直後、私に語つたG中佐の言を考へてみても、物量戦を肯定しつゝも魂による絶対勝利を謳歌せんとする軍人の本土決戦論が判然するのである。
 結局、かうしたものゝ見方、考へ方の上に立つて、終戦直前の陸軍は、阿南陸相を通じて継戦を絶対主張したのである。

「継戦と軍人精神」の章は、ここまで。この最後の部分では、G中佐が著者に語った言葉が紹介されている。
 藤本弘道『陸軍最後の日』は、「継戦と軍人精神」の章のあと、「聾桟敷の陸軍」の章、「人間阿南の苦衷」の章が続くが、この両章の紹介は割愛し、明日は、そのあとの「大局は動かず」の章を紹介したい。

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