礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

藤本弘道著『陸軍最後の日』(1945)を読む

2023-08-01 02:30:02 | コラムと名言

◎藤本弘道著『陸軍最後の日』(1945)を読む

 敗戦の年の12月に発行された『陸軍最後の日』という本がある。本というよりは冊子で、しかも、綴じられていた形跡がない。
 全64ページ、定価1円60銭。発行は、神田区錦町の新人社である。
 著者は「藤本弘道」だが、これはたぶん筆名であろう。このあとしばらく、この冊子を紹介してみたい。

     敗 戦 の 日 来 る

 トルーマン米大統領、アトリー英首相の署名を了し、蒋介石主席の電報による同意を得て、 連合国の日本に対する無条件降伏要求の憲章としてなされた所謂ポツダム宣言は、千九百四十五年七月二十六日世界に対して公表された。
 次いで八月六日、広島市に対して世界戦史上画期的意義を有する原子爆弾がB29によつて、投ぜられた。 
 更に八月八日深更、ゾヴエト連邦政府は九日午前零時を期して日本と戦争状態に入る旨を宣言するとともに、ポツダム宣言に記入加名するに至つた。
 そして八月十日午前二時四十分、その前夜十一時五十五分から日本の最高戦争指導会議のメンバーと平沼〔騏一郎〕枢府議長とによつて、畏くも〈カシコクモ〉天皇陛下の御親臨を仰ぎ奉つて開催された御前会議の結果は
「速かに戦争を終了せしめよ」
との畏き〈カシコキ〉御聖断を拝し、大東亜戦争の終結を判然と決定したのである。
 従つて政府は同三時から首相官邸で緊急閣議を開催し、御聖断に対する最後的決定を行ふとともに、同七時頃中立国であるスヰス及びスウエーデン両国を通じて和平に関する斡旋を依頼、更に午後一時かちは各重臣を首相官邸に招いて〔鈴木貫太郎〕首相より御聖断の下されるに至つた経緯を謹んで報告、重臣達は同三時から宮中に於いて重臣会議を開いて種々協議するところがあつたが、同時刻に政府は再び閣議を開催して、この終戦に対する発表方式その他に就いて約一時間に亘り懇談を重ねた結果として、同日午後四時三十分発表の形式をもつて情報局総裁談なるものを国民の眼前に提示した。
 然しかくも急速に大東亜戦争の結末が決定されたといふことを全然知らなかつた一般大衆にとつては、むしろその談話の内容は、所謂最後の本土決戦に突入せんとする大東亜戦争の重大戦面に対する覚悟と忍苦とを要請する政府の意思表示と解釈するよりほかはなかつたのである。【以下、次回】

 文中、「情報局総裁談」とあるが、当時の情報局総裁は下村宏(1875~1957)である。

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