礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

陛下を擁して聖慮の変更を奏請する(荒尾軍事課長)

2023-08-19 01:59:43 | コラムと名言

◎陛下を擁して聖慮の変更を奏請する(荒尾軍事課長)

 今井清一編『敗戦前後』から、林三郎の「終戦ごろの阿南さん」という文章を紹介している。本日は、その三回目。
 昨日、紹介した部分のあと、一行あけ、次のように続く。

 八月十三日の朝、何かの話のついでに「梅津さんはクーデターには絶対反対だそうだ」と、阿南さんは小声で私に語った。クーデターという言莱を、彼から聞いたのはこの時が最初である。どこからか、そのような情報を入手したものらしい。ところが午後にはちょっと心配そうな面持〈オモモチ〉で「どうも西郷さん〔西郷隆盛〕のようにかつがれそうだ」とささやいた。この言葉も、全く私には意外であった。今まで私は、朝から晩まで彼の側〈ソバ〉についていたので、大抵のことは知っているつもりであったが、この日まで彼がクーデターに深い関心を寄せているとは気がつかなかった。燈台もと暗しだったのかもわからない。それはそれとして、とにかく、彼がかつがれそうなのをひどく苦悩していることが、私には初めてわかった。
 十三日の夜は特に蒸し署かった。永田町界隈は、四月二十五日の爆撃で一面の焼野原と化し真暗であった。人通りもほとんどなかった。十時ごろ焼け残りの高級副官官舎――仮りの陸相官邸――に数人将校がたずねて来た。荒尾〔興功〕軍事課長のほか五名の軍務局課員が、クーデター計画につき大臣の承認を受けにきたのである。荒尾大佐は、低い声で簡単に来意を説明し、一枚の紙を大臣の前に差し出した。
 その紙をじっとみてから、大臣はおもむろに「通信の計画はどうなっている」と尋ねた。はっきりした返答はなかった。その後、簡単な一、二の問答があったが、彼はその場では諾否を明らかにせず「今夜の十二時に陸軍大臣室で荒尾大佐に返事をする」と言った。かくして会談は僅か十分足らずで終ってしまった。帰りがけ荒尾大佐は「課員の熱意には、どうしようもない」旨を私に述べ、自分の立場を弁明した。
 クーデターの計画は大要つぎのようなものであった。
一 日本の希望する条件を連合国側が容認するまで、交渉を継続するよう御裁下を仰ぐを目的とする。
二 使用兵力は近衛第一師団および東部軍管区の諸部隊と予定する。
三 東京都を戒厳令下におき、要人を保護し、陛下を擁して聖慮の変更を奏請する。
四 陸軍大臣、参謀総長、東部軍管区司令官、近衛第一師団長の全員同意を前提とする。
 彼らは別に即答を求めず、おとなしく引揚げた。そのあと、阿南さんは私に「横で聞いていてどんな感じを持ったか」と尋ねた。何か気になることがあったようである。私は率直に、「恐らく彼らはクーデターにたいし、大臣は内心賛成のようだと印象をうけて帰ったろう」と言った。更に私は、国民の協力のない本土作戦は成功の可能性が先ずなかろうと縷々【るる】のべた。彼はただ黙って聞いているばかりであった。
 暫くしてから、彼は市ガ谷台へ出かけた。自動車の中では終始何かを考えていた。ちょうど夜中の十二時、彼は大臣室で荒尾大佐に返事をした。返事は間接的な否定であった。簡明直截に「いけない」とは言わず、クーデターに訴えては国民の協力が得られないから、本土の作戦は至難になろうとの意味のことを言ったのである。荒尾大佐は改めてクーデターの断行を力説しようとは試みなかった。かくして約束の返事は、非常にあっさり終った。帰りの自動車が走り出すと、すぐに彼は「自分がクーデターに不同意なことを、荒尾は了解してくれただろうね」と尋ねた。返事の仕方に、彼は苦心したらしい。私が「多分了解したでしょう」と答えたら、彼は満足のようであった。〈……〉【以下、次回】

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