礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

二千万人を特攻とすれば……(大西瀧治郎)

2023-08-30 00:55:07 | コラムと名言

◎二千万人を特攻とすれば……(大西瀧治郎)

 今井清一編『敗戦前後』(平凡社、1975)から、東郷茂徳の「八月十二日より十六日まで」という文章を紹介している。本日は、その三回目。

 同日〔8月13日〕夜自分は前々よりの約束により松平〔恒雄〕、芳沢〔謙吉〕元両大使を主賓とせる小宴を開いて居たが、突然〔梅津美治郎〕参謀総長及び〔豊田副武〕軍令部総長が至急面会したいとのことであったから首相官邸で会うことに約束し、九時から十一時まで懇談したが、会談の内容は彼我共午前構成員会同の際の意見を繰り返すのみでなんら進捗する所はなかった。会談中に大西〔瀧治郎〕軍令部次長が入室し、はなはだ緊張した態度で両総長に対し、米国の回答が満足であるとか不満足であるとか云うのは事の末であって根本は大元帥陛下が軍に対し信任を有せられないのである、それで陛下に対しかくかくの方法で勝利を得ると云う案を上奏した上にて御再考を仰ぐ必要がありますと述べ、更に今後二千万の日本人を殺す覚悟でこれを特攻として用うれば決して負けはせぬと述べたが、さすがに両総長もこれには一語を発しないので、次長は自分に対し外務大臣はどう考えられますと聞いて来たので、自分は勝つことさえ確かなら何人も「ポツダム」宣言の如きものを受諾しようとは思わぬはずだ、ただ勝ち得るかどうかが問題だよと云って皆を残して外務省に赴いた。そこに集って居た各公館からの電報及び放送記録など見てますます切迫して来た状勢に目を通した上帰宅したが、途中車中で二千万の日本人を殺した所がすべて機械や砲火の餌食とするに過ぎない、頑張り甲斐があるならどんな苦難も忍ぶに差支えないが竹槍や拏弓〈イシユミ〉では仕方がない、軍人が近代戦の特質を了解せぬのは余り烈しい、もはや一日も遷延〈センエン〉を許さぬ所まで来たから明日は首相の考案通り決定に導くことがどうしても必要だと感じた。
 翌十四日臨時閣議が開催せらるるので首相官邸に赴くと、総理から別室に呼ばれて今朝これから政府及び統帥部連合の御前会議を開催して陛下の御聖断を仰いで万事を決定したいと思う、それで本問題の論議は十二分に尽し陛下も充分御承知のことであるから本日御前会議では外務大臣の意見に反対なるもの論旨だけ御聴きを願うことにしたいとの相談があったから、それで結構ですと自分は全部的同意を表した。やがて閣僚一同に参内せよとの御召しがあった。なお急なことであるから服装はその通りでいいとのことであったが、真夏のことで「ネクタイ」の無い者などもあったがこれらの人は秘書官に借りるとかしてやっと一通りの格好をつけて参内した。閣僚以外両総長等八月九日御前会議に参列せる者が防空壕内の会議室に参集したが、陛下の御親臨をまちて総理は八月十日我が方申入れに対する米国回答に忖き慣重審議を尽したるも、最高戦争指導会議構成員会同においても閣議においても意見一致するに至らずとて外務大臣の意見とこれに反対の意見とを説明し、御前にて右反対意見を御聴取せられんことを乞い奉る旨を述べ、梅津、豊田、阿南の順に指名した。〔阿南〕陸相及び〔梅津〕参謀総長は米国回答のままに「ポツダム」宣言を受諾するならば国体護持上由々しき大事である、されば更に米国と交涉することが必要であって、もし国体の護持が出来ないならば一億玉砕を期して戦争を継続するより外にないと思うと述べた。〔豊田〕軍令部総長は論旨やや穏かで、米国の回答そのままを鵜呑みにするに忍びないから今一度日本の所信を披瀝することが適当であると思うとの趣旨を述べた。その後には指名はなかった。そこで陛下は、この前「ポツダム」宣言を受諾する旨決意せるは軽々になせるにあらず、内外の情勢殊に戦局の推移にかんがみて決意せるものなり、右は今に至るも変る所なし、今次回答に付き色々議論ある由なるも自分は先方は大体においてこれを容れたりと認む、第四項に就きては外相の言う通り日本の国体を先方が毀損せんとする意図を持ち居るものとは考えられず、なおこの際戦局を収拾せざるにおいては国体を破壊すると共に民族も絶滅することになると思う、故にこの際は難きを忍んでこれを受諾し、国家を国家として残し又臣民の艱苦【かんく】を緩げ度し〈ヤワラゲタシ〉と思う、皆その気持になりてやって貰い度い、なお自分の意思のある所を明らかにするために勅語を用意せよ、今陸海軍大臣より聴く所によれば陸海軍内に異論ある由なるが、これらにも良く判らせるよう致せよとの仰せであった。一同はこの条理を尽した有難い御言葉を拝しかつ又御心中を察して嗚咽【おえつ】、慟哭【どうこく】した。誠に感激この上もなき場面であった。退出の途次長い地下道、自動車の中、閣議室においてもすべての人が思い思いに泪【なみだ】を新たにした。今日なおその時を想うとはっきりした場面が眼の前に浮び泪が自ず〈オノズ〉とにじみ出る。日本の将来は無窮であるが、ここに今次戦争を終了に導き日本の苦悩を和らげ数百万の人命を助け得たのを至幸とし、自分の仕事はあれで畢【おわ】った、これから先き自分はどうなっても差支えないとの気持がまた甦る。【以下、次回】

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