礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

生死の問題は目前足下の現実問題といふべし(森本秀郎)

2023-08-11 02:18:16 | コラムと名言

◎生死の問題は目前足下の現実問題といふべし(森本秀郎)

 藤本弘道『陸軍最後の日』(新人社、1945)から、「大局は動かず」の章を紹介している。本日は、その二回目。

 かうした一般の実情にあつたため、全軍が日本降伏の事実を判然とのみこんだときには、もうすべての大勢は決定されてをり、そこに何らかのものを画策するとしてももはや如何〈イカン〉ともすべからざる状態にたち至つてゐたのである。
 しかも、上御一人〈カミゴイチニン〉の命令に絶対服従すべきことは、日本人である以上当然のことであるとするより以上に軍人の潔癖性となつてゐたため、大詔に対し奉り〈タテマツリ〉とやかくの批判をすることさへ絶対に彼等は謹まねばならなかつたのだ。
 だが、これを部分的に見るならば多少の動揺はあつたといへる。
 そのなかには、いままで敵として呼んで来た相手と、それもその相手を本土に殪す〈タオス〉ために召集せられ配備された自己でありながら、一戦をも交へずして武装解除に応ずるなどとはもつてのほかであるとして、僅か一部隊だけででもかまはない、上陸米軍と一戦を交ふ〈マジウ〉べきであると隊長に意見を具申したがその阻止に会ひ、かつとなつて隊長を一刀のもとに切り捨てた下士官があつた。
 また航空隊将兵のなかには、何のために俺達は全航空部隊特攻を目指して今日まで訓練を積んで来たのだ、生き恥をさらして何になるか、戦陣訓にも『生きて虜囚の辱〈ハズカシメ〉を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ』と教へてゐるではないか、この時こそ先輩の霊魂に続くべき時であると、米軍艦船或ひはマリアナ基地等へ殴りこみをかけようとした者もあつた。
 結局これ等の行動は、彼等が大詔に対して批判を加へる態度に出たとか軍人の潔癖性を超越したとかいふのではなく、彼等の死生観の一部が突発事故によつて刺戟〈シゲキ〉せられ飛躍したのである。
『曰く何百の壮士の死に行くあり。
 戦の今日に於て生死の問題は既に遠き観念の問題でなく目前足下の現実問題といふべし。
 斯くて死に処する心構えを定めむとして世人多くは禅に行き又武士道に行く。
 されど云はむ。仮令〈タトイ〉勇猛笑を残して死すと雖も、将亦〈ハタマタ〉「本来是空」や「南無妙法蓮華経」や「名を惜しむ」底〈テイ〉の悟死なりとせば左様の死は窮極するに私の死たるをまぬがれざるべからず。
 要は使命の自覚であり神孫皇民たるの確證なり。
 生命奉還としての死、即「大君〈オオキミ〉の辺〈ヘ〉にこそ死なめ」の死のみが真の死である。
 我等は斯くの如き聖死にこそ死なざるべからず。換言せば、湊川〈ミナトガワ〉の死のみなり。
 願はくは笑つてこれを為し得むことを。
 されど泣き乍ら〈ナガラ〉でも、慄へ〈フルエ〉乍らでも、ビツコをひき乍らでも、顔色蒼白になり乍らでも可である』
と比島〔フィリピン諸島〕周辺に特攻隊として戦死せる森本秀郎大尉が日記に書いたその気持と同じ気持が、何の反省もなく、たゞ死ぬといふことにだけ集中して現れたもので、むしろ現在からいへば意味の無い、体型のない独断的行動の断片にしかすぎなかつたのである。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2023・8・11(8・9・10位に珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする