◎「参内して御聖断のことを御願いしましょう」鈴木首相
今井清一編『敗戦前後』(平凡社、1975)から、東郷茂徳の「八月十二日より十六日まで」という文章を紹介している。本日は、その二回目。
翌十三日首相官邸で八時半最高戦争指導会議構成員の会同が開かれた。軍部から「バーンズ」回答第二項及び第四項は不満足であるからこれを修正せしむる必要がある、更に保障占領及び武装解除の二点について要求を追加する必要があると申出た。自分は昨日閣議で述べたと同様の趣旨で反対し、殊に新要求の追加は前回の御前会議で提出せざることに決定せるものを更に持出そうと云うのであるから甚だ不都合であると述べ、総理並びに海相は自分を支持して論難長時間に及んだ。議論は再び戦争継続の可能如何〈イカン〉にまで及んだが、阿南陸相及び梅津〔美治郎〕参謀総長いずれも決裂の場合なお一戦をなし得べきことを述ぶる計り〈バカリ〉で最後の勝利については予言するを得ずと云うのであった。自分は米回答の到着に付いて上奏するため午後二時に参内して昨日来審議の状況に付いても上奏したが、自分〔東郷〕の主張の通りでよろしいから総理にもその旨を伝えよとの御言葉であった。
午後四時から閣議を開き更に論議を重ねた。最高戦争指導会議構成員会同において最も多く発言したのは阿南陸相であった関係上、自然自分と議論を交うることになり、更に閣議においても同一趣旨の議論を繰返すことになり、八月九日の御前会議においても同一の傾向が現れて時々はうんざりする気持にもなったが、緊張せる場面であったから誠意をもって議論したので相互の気持は最後まで明朗であった。ただし陸軍内部の動揺は前述の通り段々激化の模様があり、十二日には陛下を擁しかつ自分等閣員を隔離し「クーデター」を行う計画があるとの情報が頻々として伝わり雲行き甚だ穏かならず、自分の宅なども従前よりは遥かに多数を加えた警官によって護衛せられた。この陸軍中堅将校一部の活動は陸軍大臣にも幾分か影響した模様が見えた。閣議等において今なお一戦は可能であるから更に交渉すべしとて自分〔東郷〕を押すが、かえって自分から即時宣言受諾をもって強く押返されるので、十二日から十三日にかけ陸相は直接鈴木総理、平沼男、木戸内府の勧説にかかった。しかし総理へは常に、内大臣とは謁見の前後において面会して連絡を保持して居るので此方も効を奏しなかった。その頃以後陸相の態度につき種々の憶説があると云うことだが、自分が当時各種の機会において感知したる所をもってすると、死中活を求むると云う言は陸相の口より度々聞いたが、その脳裏には時々講和前今一度敵に打撃を与えたしとの希望が浮んだが、大局上から見てこれを固執しなかったものと考えた。しかしあの際に陸相その他陸軍首脳部の気持ちが熟しない間に強圧のみをもってこれに接したならば、その圧迫がいずれより来るにしろ部内の反撥は激成せられ、意外の暴挙も起こり、講和の成立は不可能となる懸念があった。あの際陸相が部下の刻々に盛り立つ動揺を抑え、大難局を収拾し得たのは、陛下の御聖断によることは勿論であるが、長期にわたり最高戦争指導会議構成員会同その他の機会に誠意をもってする協議によって戦争終結の根本方策が各人の胸中に蔵せられて居たに由ることが少なくなかったと思う。
右十三日午後の閣議では陸相は時々思い惑う態が見えいつも程議論に熱心でなかったが、とにかく一応は自分と陸相との間に今朝〈コンチョウ〉構成員会同における討議が繰り返され、安倍〔源基〕内相等から抗戦を覚悟して邁進すべしとの発言があったので、自分は連合側の情勢その他から判断してこの上再回答を求めても効果がないばかりでなく我が方の和平に対する真意を疑わしむることともなる、結局連合国の回答は多数与国の主張の最低共通条件と見る外はないので、日本の再興と人類の福祉のためこの条件を受諾して和平に入るを急務とすと述べて海軍大臣の支援を得たが、自分の意見に反対するものが若干あった。そこで総理は各人にその意見を質【ただ】した結果、豊田〔貞次郎〕軍需大臣の去就不明、桜井〔兵五郎〕国務相の総理一任の外、受諾に賛成せるもの米内海相、広瀬〔豊作〕蔵相、石黒〔忠篤〕農相、太田〔耕造〕文相、安井〔藤治〕国務相、左近司〔政三〕国務相、岡田〔忠彦〕厚生相、小日山〔直登〕運輸相、下村〔宏〕無任相及び自分で、反対のもの阿南陸相、松阪〔廣政〕法相、安倍内相であった。しかし全会一致の決定を得ないので総理は散会を宣した。自分は陸相は結局「クーデター」に賛成することなきを信じて居たが、部下の動揺は激しいのでその圧迫を受け辞職その他の困難なる局面発生の懸念あり、早急に決定の必要を認めたので、右散会の後総理に荏苒【じんぜん】時を移すの不可なることを述べたが、総理は参内して御聖断のことを御願いしましょうと云った。【以下、次回】
最後のところで、東郷外相は、阿南陸相が辞職を表明する事態を懸念している。この段階で、阿南陸相に辞職されると、その後任を選ぶ手続きに入らねばならず、天皇、鈴木首相、東郷外相による早期終戦構想は後退することになったはずである。阿南陸相は、しかし、そういった策を弄する人物ではなかったのだと思う。