◎この仕事のため極度に生活費を切りつめ資料購入費に当てた
高群逸枝の『大日本女性史 母系制の研究』(厚生閣、一九四一年再版)から、「跋」を紹介している本日は、その二回目。
私に一切の世事を絶たしめ、この仕事を与へて呉れたのは家主であつた。その慫慂と庇護が無かつたならば、此事はできなかつたのである。辞書を作つた時、〔平塚〕らいてう女史は時事新報で、「常によき助けを与へてゐられる夫君に心から感謝を送ることをも女性の一人として忘れますまい。」といつて下さつたが、此点では私はまことに恵ぐまれてゐた。唯爰にどうにもならないのは必要と思ふ十分の一の参考資料をも容易に手に入れられない一事である。大概の病苦や窮乏は気力だけで押して行けるが、一たび資料の点になると途方に暮れるばかり。私共は二人きりの家族で、偏に〈ヒトエニ〉夫の同情により、此仕事の為めには極度に生活費を切詰めて、余は挙げて資料購入費に当てたのであるが、何分にも夫の得る金は僅かなり、文壇的生活を止めた私にはもとよりはいるものとてはなく、材料さへ整へれば別に何の困難もないやうな場合でも、根本史料以外は手を出さない状態では、自ら苦労して種々の工夫骨折をする外か〈ホカ〉の術はなく、この一巻を出すのにさへ九年を費してしまつたのである。苦しい闘〈タタカイ〉を自ら次の如く述べたこともある。「‥‥それ以後、古典の読破に努め、カードの作製に従つた。‥‥このカードの整理に約二年半(一日に十時間乃至十六時間労働)を費して、昨今漸く終了した。大凡〈オオヨソ〉此種の仕事がいかに労多きものであるかを察して頂けると思ふ。」(女性展望第二巻八号女性史に就いて)
これは単にカード整理の一部の経験を記した過ぎないが、何事にまれ、開拓的事業の困難は言語に尽し難いものが多く、それが物質的に恵ぐまれざる境遇にある者にとつては、すでに困難を通り越して、悲惨そのものといつていゝ。幸ひ第一巻は十分とはいへないまでも、九分通りは渉猟し得たと信ずる史料の上に脱稿するを得たが、いま私にとつて切実な問題は、第二巻のそれをどうするかといふことにかゝつてゐる。
私は次の巻に要する追加資料を若し〈モシ〉直に〈タダチニ〉恵ぐまれる幸運に置かれたならば、可及的速かに之を纏めて江湖に問ふことができる自信を持つてゐるが、かゝる幸運を得ない場合は稍々遅れるであらう。或は大に遅れることがあつても、私は生のあらん限りはコツコツと己れに与へられた道を踏んでゐるものと思遣つて〈オモイヤッテ〉頂きたい。【以下、次回】