礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

山田宗睦著『危険な思想家』と大熊信行の経済学

2019-12-29 02:05:51 | コラムと名言

◎山田宗睦著『危険な思想家』と大熊信行の経済学

 昨日まで、四回にわたって大熊信行の文章を紹介した。本日は、その補足である。
 今日では、あまり言及されることがないが、山田宗睦(むねみつ)という哲学者がいる(一九二五~)。
 その著書『危険な思想家――戦後民主主義を否定する人びと』(カッパ・ブックス、一九六五)は、ひところ、かなり評判になった本である。今、机上に、その「26版」がある。奥付によれば、初版発行は一九六五年(昭和四〇)三月一日。同年四月二〇日には、早くも第26版に達している。
 この本で山田宗睦は、竹山道雄・林房雄・三島由紀夫・石原慎太郎・江藤淳・高坂正堯・山岡荘八・大熊信行らの面々を、「戦後民主主義を否定する人びと」として批判している。この本を私は、高校生の時に読んだ。そして、大熊信行という経済学者に注目した。それは、山田によって紹介された「大熊経済学」の内容に興味を持ったからである。あるいは、山田が、大熊経済学のユニークさを、高く評価しているように感じたからである。
 本日は、同書の第七章「大熊信行――戦争体験の逸脱㈡」から、「政治に無縁の大熊経済学」の節を紹介してみよう。

政治に無縁の大熊経済学
 大熊が経済学をえらんだのは、河上肇【かわかみはじめ】に「だまされた」からだそうだ。河上はラスキンをマルクスと肩をならべる経済学者のように書いた。青年大熊は、トルストイ、カーライ、ラスキンを愛読していたので、それなら自分もやれるとおもって経済学を志望した。もしだまされなかったらなにをしたかったのか、とあるとき聞いたら、生物学をやりたかったのだそうだ。
 この専門の選択のなかに、すでに大熊経済学の独特の性格がうかんでいる。つまり大熊経済学は、物的財貨の動きをみるものでなく、人間の生命=生活(人生)の意味をみるところに、その根本をおいている。一九二二(大正十一)年に書いた論文で、大熊は、その経済学の二つの柱の一つ〈配分原理〉を確立している。〈経済の基本は時間の配分にある〉という見解である。人間の営為【いとなみ】は、すべて時間のなかでの歴史的行為である。となると、全体として社会的・人間的〈必要〉に応じて、持ち時間をどう経済的に配分するのか、ということはたしかに根本的な問題となる。生産や消費や流通といった社会的な配分だけではない。個人が労働、消費(労働力の再生産)、娯楽、生殖(労働力の世代的再生産)といったことへの時間配分をどうするかは、その人間の人生そのもののあり方を決定する。
 経済の根本を時間の配分にみる考え方は、さいきん出版されたマルクスの『経済学批判要綱』にもでてくる考え方である。この点では大熊は、四十年前に、マルクスとは独立に、同一の見解に達していたのである。
 もう一つの柱は〈人間の再生産論〉である。労働価値学説が、じつは人間生命(生活)の再生産を論ずるものだと、大熊がみぬいたのは、ここでも、マルクスと合致する。マルクス経済学は物的財貨の生産だけではなく、人間〈生活の社会的生産〉全体を考察したのだから。
 青年大熊は河上肇について学びたいとおもった。だが、つてがなく、東京商大(現・一橋大)で福田徳三【ふくだとくぞう】についた。福田は「中外」(社長・内藤民治/主筆・中目尚儀)をバックに、「中央公論」(主筆・滝田樗陰)をバックにした吉野作造【よしのさくぞう】と連携【れんけい】して、一九一八(大正七)年末黎明会【れいめいかい】を組織した。このグループは、大正デモクラシーの言論の中心となった。このグループも、福田も、社会主義ではなかったが、そちらにたいして閉じてもいなかった。福田はマルクス経済学についても知っていた。この福田についたことが、大熊のその後のあり方にも影響しているとおもう。河上は求道一途【いちず】に共産党に入党し、政治の場へもほんのちょっとだが出た。大熊は、経済学上、マルクスの系列をふみつつ、どの左翼的政治党派とも、またどのマルクス主義学派(講座派、労農派)とも、無縁だった。
 マルクス経済学にかかわりながら、政治と無縁であったことは、一面では弱さにもなる。そして、この弱さが、のちに、太平洋戦争期の大熊のあやまちにつながっていくことになる。だが、この無縁さ、つまり現実との一定の距離が、かえって大熊に、政治の目では見えない、人間営為の秘密を見るレンズを与えてもいるのである。

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コメント (2)
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