礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

帝銀事件犯人と誤認されたAさんとその被害

2019-12-17 05:43:33 | コラムと名言

◎帝銀事件犯人と誤認されたAさんとその被害

 海野普吉・森川金寿『人権の法律相談』(日本評論新社、一九五三)から、当時の人権侵害事件を紹介している。
 本日は、帝銀事件に付随して発生した名誉棄損事件について論評している部分を紹介してみよう。

 帝銀毒殺魔事件 昭和二三年〔一九四八〕一月、帝国銀行椎名町〈シイナマチ〉支店での毒殺強盜事件発生の直後、某新聞に本人の写真入りで、「毒殺魔容疑者Aに手配 本格的の捜査網布かる〈シカル〉」という大々的見出しで、Aに対する指名手配が警視庁から発せられたこと、警部補らが現地へ急行したこと、その他Aの経営している開墾地が資金難に陥り金策に奔走中であるとか、左とも右ともつかぬ混乱した思想をもつようになったとか,四つの前科を重ねているとか、種々報道されたことがある。このために全く無関係なA本人の名誉信用が失墜したのはもちろん、妻子は隣り近所に顔向けができず、通学中の子供も一時休学したり、親戚の小学校長も欠勤を余儀なくされ、親戚の中には心痛のあまり病気になる者も出るという大変な被害を蒙ったのであるが、これに対する名誉回復損害賠償請求事件の判決(東京地裁昭和二四(ワ)二〇九八号、二五・七・一三)は次のように述べている。
《凡そ〈オヨソ〉新聞紙は社会的報道機関として社会に起つた諸事実でその掲載を制限又は差止〈サシトメ〉、禁止せられたものでない限り、これを報道して一般社会に対する警告と反省を促し世人を善導する公の使命を有するものであると共に、その掲載事項が一般社会に及ぼす影響の大なるに鑑み、殊に犯罪の容疑者に関する報道に当つては、それが単に犯罪の嫌疑であることに留意し、新聞紙の前記使命に反して、理由なく容疑者の名誉信用を害しないよう注意し、客観的な立場から事実の報道に終始すべきであつて、この注意義務に違反したり、或は客観的な立場を逸脱して名を報道にかり、故ら〈コトサラ〉に容疑者の名誉信用を毀損するの目的で侮辱的な文辞を登載するにおいては、その容3K者に対する名誉並に信用を毀損する不法行為となるのは議論の余地のないところである。然しその被疑事件に関連して嫌疑の原因、犯罪の動機、容疑者の経歴、性格、家庭の状況、捜査当局の犯人検拳の活動状況を客観的立場から掲載するに止まり何等侮辱的意思の表現のない場合には、その記事私行にわたり而もそれがため本人は勿論その家族の者の名誉信用を損滅するおそれがあつても、これを以つて新聞紙の社会的報道機関としての正当業務の行為に属するものと解すべきは刑法第二百三十条ノ二、新聞紙法第四十五条の趣旨と使命に関する社会通念に照し是認せられるものといわなければならない。》
 そして、見出しの毒殺魔は容疑者に接続するもので、直接本人に接続したものではない、その他は大体真実であるとして原告の請求を棄却している。一般人が記事の全体からうける印象はAが真犯人であるかの印象を強く読者にきざみつけるもので、とくに「左とも右ともつかぬ混乱した思想の持主」という批評的字句などは侮辱的要素が濃厚であるように思われ、判決の結論は必ずしも賛成できかねるようであるが、とに角捜査当局が容疑者として捜査の対象とした場合にその私行や経歴等についてかれこれ書かれ、これがため本人としては非常な迷惑を蒙っても、致し方ないことになるのである(ただし、捜査当局が容疑者として発表した過程に故意過失がある場合、同家賠償法の対象となることは別である)。

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