礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「天地真理」それは本来、人の名などではない

2019-12-10 07:13:21 | コラムと名言

◎「天地真理」それは本来、人の名などではない

 昨日のコラムで、一九七三年の第二四回紅白歌合戦で、天地真理さんが、「恋する夏の日」を歌ったと述べた。この歌は、「一九七三年夏のヒット曲」である(『氷の福音』一九九ページ)。
「恋する夏の日」というのは、朝靄の残るテニスコートで、「あなた」を待っている女性を歌っている。やがて、「あなた」が、自転車に乗ってやってくる。
 塩崎雪生氏の『氷の福音』は、この歌が登場した時代背景について分析し、その上で、この歌の歌詞に新解釈を加えている(一九七ページ以下)。同書の著者でなくてはできない考察である。その考察を、ここで紹介することはしない。ただし、キーワードだけは紹介しておこう。キーワードは、軽井沢と渡辺プロである。
 塩崎雪生氏の『氷の福音――《天地真理をめぐりたる象徴学的研究》』(塩崎研究所、二〇一三年五月)という大著であるが、ここで、そのコンセプトを紹介しておきたい。
 同書を最初から読んでいっても、なかなか、そのコンセプトが見えてこない。三五ページにいたって、ようやく、そのコンセプトが明らかになる。以下、同ページからの引用である。

 ここのひとりの歌手がいる。天地真理という。
 天地真理の名は、限りなく大きな名であるとともに、今となっては旧き名である。
 大輪の真白き薔薇の華、満面に咲きこぼれる笑み、いたずらっぽさに満ちた陽気なしぐさ、澄澈し響き渡る歌声、甘美と光明とがふんだんに湧き出であふれみなぎる源泉――この天地真理にも当然ながら萌え出づる土壌としてのかくされた《背景》があった。
 「太陽にだって黒点がある! この言葉を、我々は、太陽に対するとがめ立てのように用いている。もしも我々が太陽を創るようなめぐり合わせになったとしたら、我々は、太陽をして、ほんの小さな黒点をも持たずに、大空を廻らせることであろうし、そうなったら、素晴らしいことであろうと我々は考える。ところが、神は我々の流儀では物を為し給うことがなかった。(レフ・シェストフ(植野修司訳)『哲学前夜』〔雄渾社、1968〕、4頁)
 天地真理。この途方もなき名――それは本来、人の名などではない――を背負って生きる天地真理とははたして、なにものなのであろうか。
 目のある者は見るがよい。
 以下に述べるところがその問いに対するひとつの回答なのである。

 以上は、原文のまま。なお、『氷の福音』は、左開き、横組みである。【この話、さらに続く】

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