礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

愛媛県八幡浜市「街頭録音事件」(1951)

2019-12-16 03:05:47 | コラムと名言

◎愛媛県八幡浜市「街頭録音事件」(1951)

 海野普吉・森川金寿『人権の法律相談』(日本評論新社、一九五三)の紹介に戻る。
 本日は、一九五一年(昭和二六)に、愛媛県の八幡浜市で起きた「街頭録音事件」について論評している部分を紹介してみよう。

明るい町を作るには」(八幡浜街頭録音事件) 前の例などは捜査権の行き過ぎの感があるが、街頭録音での発言をとがめだてしたこの事件などもこれに類するものといえよう。
 昭和二六年一〇月一八日、松山中央放送局では、八幡浜市で「街を明るくするには」とのテーマで街頭録音を行ったが、その際、最初の発言者(小学校教頭、三七歳)がマイクの前に立ち、「町の封建性を打破するという問題ですが、大変うがったことをいうのでありますが、コソ泥は捕えるが、大泥は見逃すという言葉があるのでありますが、私は取締当局が、取締を公平にやって貰いたいということを希望します。取締当局が、本当に公平に取締をやっていただいたならば、現在のいわゆるボスといわれておるところの勢力はいま少し影をひそめるのではないかと思います。悪いことをする、暴力を振う、そういう場合でも、いわゆる街の顔役が中に立って、警察、取締当局と折衝すると問題はわけなく解決する。そういうような有力な背景を持っておるものは何ら罪に問われない、問題にならない。しかし、そういう何も背景のないものが少しばかり悪いことをすると、それがかなり大きく問題として取り上げられる。こういような不公平が行われておる間は街の封建性を打破するということは困難であると思います」という発言をし、アナウンサーからもっと具体的な内容を求められたのに対し「具体的な話はいろいろ差し支えがありまして、個人の名前は出ませんが、判断がつくというようなことになる心配がありますので遠慮させてもらいたいと思います。」と発言した。これを近所の二階できいていた市署の捜査主任が下りて行って数名の者に、いまいったのはどこのだれかときいて廻った後、録音終了後、同教官に対して、反省の材料にしたいからその事例の有無を知らせてもらいたいといったところ、教官は右発言は市署をさしたものではなく自分は郡部の者だとてその場はすんだが、捜査主任は署長と相談して、もし事実無根だとすれば市署に対する名誉毀損として告訴すべきであるとし、教官の乗っていた自転車で住所氏名を知り、二、三日後学校にゆき校長立会の下で教官に事実の有無をたずねたところ、教官から抽象論として発表したもので事実はつかんでいない旨の答弁があったので「事実無根の言辞とすれば市署の名誉を傷けるも甚しいから告訴する。先生も対策準備されたい」と告げて帰っていった。そこで問題は意外な波紋をよび警察対新聞放送等報道機関、教員組合との対立にまで発展、全国的にも街頭録音における言論の自由抑圧の問題として反響をよび、その間署長が新聞記者との電話での会話に際し不用意にも、「出頭を求めても、来なければ逮捕状を請求しなければなるまい」という意味のことをいったので逮捕状云々と大きく報道され、ますます油をそそいだ。この街頭録音のあった翌一九日には現場にいた一聴衆から投書があり「あの日私も発言しようと思ったが、私の橫に捜査課長がいて、あの男はどこの者かとたずねていたので発言をしなかった」ということが書いてあり(その他投書多し)、放送局側では、こんなことでは今後街頭録音について発言がしぶって困ると市署に申し入れている。松山弁護士会でも人権擁護特別委員会を開き、警察側の態度は人権侵犯であるとの結論を下し、警告文を発し人権擁護局、自由人権協会の調査、最後には参議院地方・法務両委員会の合同調査にまで発展し、大体警察側の陳謝で一応けりがついたが、この事件のように言論等表現の自由の重要性が認識支持されたことは大きな進歩といえよう。

 今から七〇年近く前の事件だが、この事件は、残念ながら、決して「古く」なっていない。というのは、今日でも、「コソ泥は捕えるが、大泥は見逃す」ということが実際に起きているからである。そして、そのことを指摘しようとすると、陰に陽に干渉がなされるということが、実際に起きているからである。

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