礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ルメイ将軍の「核先制攻撃」構想

2015-07-24 03:29:53 | コラムと名言

◎ルメイ将軍の「核先制攻撃」構想

 昨日の続きである。松尾文夫氏は、その著書『銃を持つ民主主義』(小学館、二〇〇四)の第一章「ルメイ将軍への勲章」において、第二次大戦以降におけるルメイ将軍の言動についても詳述している。本日は、その部分を紹介させていただこう。

 ルメイ将軍は、日本降伏三カ月後の一九四五年〔昭和二〇〕十一月、ニューヨークのオハイオ協会で演説、「次の戦争はロケット、レーダー、ジェット・エンジン、テレビ誘導ミサイル、超音速航空機、そして原子爆弾といった想像を絶する新兵器で戦われる空の戦争となる。われわれは空軍部隊の戦力をどこまでも限度なしに強化しなければならない」としたうえで、「この戦争は始まってしまうと止めることは不可能になる。従ってわれわれは空軍戦力を、攻撃を受けたら直ちに報復できる状態にして、攻撃をさせないようにしておかねばならない」と述べた。後に「阻止力」と呼ばれる概念をいち早く提示していたことになる。
 しかし、四年後の一九四九年〔昭和二四〕、旧ソ連の原爆保有が明らかになると、その前年、戦略空軍司令官に就任していたルメイ将軍は、アメリカが核戦力での対ソ優位を保っているうちに、戦略空軍が保有する核戦力を「ムダな資産」としないためにも、アメリカは第一撃、つまり先制攻撃を躊躇すべきではない、との立場を鮮明にする。
 これは東西冷戦終結までの約半世紀の間、国際情勢の座標軸となった核戦力の「相互抑止」による平和共存の維持という、ルールそのものへの挑戦であった。トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンと四代の大統領の権限に対して「反乱」すれすれの行動に出る。日本への爆撃で、現場指揮官としての「裁量」で焦土作戦を実施した実績の再現を繰り返し試みる。
 最初は一九四九年。当時アメリカが保有していた百三十三個の原爆全部を、ソ連の七十都市に投下、三カ月間で死者二百七十万人、負傷者四百万人という損害を与えて事実上「ソ連を殺す」計画を作成、トルーマン大統領に拒否される。五三年〔昭和二八〕春には、私が目撃した東京初空襲の英雄、ドーリットル隊長が空軍中将で退役後、委員長をつとめた対ソ戦略についての委員会から、ソ連に対し二年間の期限付きで核兵器の廃棄を要求し、これが受け入れられない場合には、核先制攻撃を加えるとの提案が飛び出す。ルメイ将寧の意を受けたものだった。
 しかし、アイゼンハワー大統領はこれを退け、翌年「基本的国家安全保障政策」と銘打って、「アメリカとその同盟国は予防戦争の概念や戦争挑発を意図するような行為は拒否する」との特別声明を出す騒ぎとなる。
 それでもルメイ将軍はあきらめない。偵察機をソ連領内に常時飛ばして、ソ連側を挑発し続ける。五四年〔昭和二九〕三月十五日付の戦略空軍司令部のブリーフィング出席者のメモが残っていて、ルメイ司令官は席上、ソ連が百五十発の核爆弾の発射準備に一カ月の時間を必要としているうちに、アメリカは七百五十発の核爆弾を一気に使用して、数時間でソ連を壊滅状態に追い込むとの「日曜日のパンチ」計画、つまり核先制攻撃構想を得々と説いている。
 五七年〔昭和三二〕までには、原子爆弾の保管が原子カエネルギー委員会から戦略空軍に移され、ルメイ将軍は事実上「核戦争のボタン」を押す権限を手中にする。つきつめると、その権限を行使するかどうかは、大統領への忠誠次第という状況となっていた。その大統領についての彼の発言も残っている。「もしソ連が核攻撃準備に入ったことを探知したら、私は彼らを発進前にやっつける。大統領がその政策を変更出来るようにするのが私の仕事だ」といい切ったという。
 この間、五〇年〔昭和二五〕からの朝鮮戦争ではルメイ将軍は戦略空軍司令官として、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の都市や農業ダムや農村地帯に対し、無差別爆撃を強行、人口の二〇%に相当する約二百万人を死亡させている。日本の都市への焦土作戦での死者五十万人をはるかに上回る数字である。この事実はほとんど知られていない。

 文中、「私が目撃した東京初空襲の英雄、ドーリットル隊長」という字句がある。著者の松尾文夫氏は、ドーリットル空襲があった一九四二年(昭和一七)四月一八日当時、新宿区の戸山国民学校の三年生だった。そして、この日、同校の校庭から、ドーリットル攻撃隊の一番機(隊長機)を目撃した体験を持つ。
 松尾氏は、『銃を持つ民主主義』の「プロローグ」において、この目撃体験を語っている。これについては、数日後、このブログで紹介することになろう。

*このブログの人気記事 2015・7・24(穂積八束関係が多いようです)

 

 

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