礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

酒はやめられるが煙草はやめられない(野村兼太郎)

2022-05-25 04:16:12 | コラムと名言

◎酒はやめられるが煙草はやめられない(野村兼太郎)

 先日、三軒茶屋まで出かけたついでに、三宿交差点まで足を伸ばし、江口書店(古書店)を訪れた。古書マニアにはよく知られている老舗である。十数年ぶりに訪れたが、店の雰囲気が全く変わっていないのに驚いた。
 数冊、買い求めた本のうちの一冊は、野村兼太郎の『随筆 文化建設』(慶應出版社)。この本は、戦後の一九四六年(昭和二一)四月の発行だが、収められている文章は、ほとんど戦中のものである。
 本日は、同書の中から、「煙草」というエッセイの全文を紹介してみたい。残念ながら、初出は不明。この本は、この「煙草」に限らず、収録されている文章のいずれにも、初出が示されていない。

   煙  草

 酒と煙草とは人間の嗜好品として相並んで挙げられてゐるが、その古さからいへば比較にならない。乙女が米を噛んで酒を造つた古き世の頃から代代伝へて酒を嗜んで〈タシナンデ〉ゐるが、煙草の方は極めて近世のことである。アメリカ印度人の真似をした紅毛人は自分達の発明のやうに、煙を吸ふことを世界中に拡めたのである。
 煙草がこの国に齎された〈モタラサレタ〉のは何時のことか勿論さだかには解らない。一書には煙草の種を伝へたのは慶長十年乙巳〔一六〇五〕のことで、肥前長崎桜の馬場に植ゑたのがその最初であるといふ。確かなことは不明であるが、切支丹伴天連〈キリシタン・バテレン〉渡来後間もなく煙草もこの国に渡つて来たのであらう。
正直のところ煙草はどこがうまいかといはれると甚だ困る。だが疲れた時の一服、食後の一服には何ともいはれない味がある。元来私は愛煙家といはれるほどの喫煙者ではない。酒と煙草とどちらの方がうまいかと聞かれればむしろ酒の方がうまい。それにも拘らず酒の方はやめられるが、煙草の方はやめられない。簡単にのめるといふこともあらうが、永い間の慣習がか何時か病となつたのかも知れない。
 煙草をのみ出したのは学校を卒業して間もなくであつたと思ふ。別に大してうまいとも思はなかつたが、ある書に煙草の効用を讃め〈ホメ〉てゐるやうに「胸膈【むね】を通し、胃口を開き、欝を払ひ、悶を破り、憂〈ウレイ〉を消し、飽るを解き、歯牙を固くし、二便を通じ、能く一身の気をして、これを上下し、これを運転し、これを発散せしむ。」いつてみればこんなものであらう。読書に飽きた時、散歩する時、考へる時、便所にゆく時、一寸火をつけて吸ふ癖が何時の間にかついてしまつたのである。
 殊に洋行のつれづれに煙草の量も多くなつたが、煙草を口から離さすに後から後へと新しいのに火をつけるほど甚だしくはない。一日の量は両切煙草二十本から三十本といふ程度で、それを喫むといふよりはふかすといつた程度であつた。だが煙草がないとなると淋しい。淋しいといふよりも困る。ますますのみたくなる。 
 煙草がこの国に伝来してから間もなく非常に流行したらしい。慶長十三年〔一六〇八〕十二月某医官の私記に、「二三ケ年以来、たばこといふもの南蛮より渡る。日本の上下専らこれを翫ぶ〈モテアソブ〉。諸病を癒すといふ。然れども此頃これを吸ふもの、病を発することありといへども、医書に此療法なし。故に薬はあたへがたし」云云とあるといふ。この草の渡つて来た初めから弊害も少くなかつたのであらうが、日本の上下おしなべて、これを試み、これを喜んだらしい。
 しかし煙草はどう考へても不可欠の入用品とはいへない。江戸時代にあつても煙草は贅沢品であり、百姓に対する条目のうちなどにも百姓は煙草をのむべからずと述べ、又煙草の栽培は良田を潰すのでこれを禁じたこともある。煙草は一般にはなくてはならぬものではない。喫まずにすめばこれにこしたことはないのである。
 先頃来〈サキゴロライ〉、煙草の入手が急に困難になつた。戦争が始まると共に、いろいろな物資が不足し、容易に買へなくなつたが、煙草だけば、どうやら買ふことが出来た。喧しく〈ヤカマシク〉節煙を説かれ、値段も法外に高くなり、品質も悪くはなつたが、それでもどうやら要求を満たすことは出来たのである。それが行列しなければ買へないやうになつては、何とか考へなければならない。
 朝起きぬけに二三本立てつづけに吸ふ癖がある。それをしないと何となく頭がはつきりしない。思ひ切つてやめてみる。少し工合がわるい。最初のうちは一日の能率に影響するやうな気がした。それもだんだん馴れて来るやうだが、全然止めることは出来ない。
 煙草が隣組配給になつた。いろいろ考へたあげくであらうが、あまり賢明な策とは思はれない。日に六本といふのは致方がないとしても、品を撰ぶことさへ出来ないのはどうかと思ふ。私のところへは「朝日」と「響」とが割あてられた。
 戦時下敵機来襲の際にどんな煙草でも兎に角のめるといふだけでも感謝しなければなるまいが、かうした時だけに乏しいものを以つて、出来るだけ需要者に満足を与へるやうな配給法が考へられないものであらうか。
 第一線にある将兵が一本の煙草を数名でのんだといふ。喫煙者にとつて煙草の魅力は大きなものではあるが、無くて困るほどのものでもない。私も一時は無くては困ると思つた。友人のうちには喫煙を止めた人も数名ある。私はその人達をえらいと思つた。よく止められると感心した。だが今はどうやら私も止められさうな気がしてゐる。あれがあるでよし、なければないでよいといふやうな気持になつてゐる。それは私がそれほど愛煙家でもなく、それほど中毒してゐないためかも知れない。

 野村兼太郎(のむら・かねたろう、一八九六~一九六〇)は経済学者。一九四〇年(昭和一五)当時の住所は、神奈川県高座郡藤沢町大鋸(だいぎり)。
 煙草の効用を説いている「ある書」については不詳。そこに「飽るを解き」とあったようだが、文語文であれば「飽くを解き」とあるべきだったと思う。

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