礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本仏教は護国の仏教である(高楠順次郎)

2019-02-09 00:46:51 | コラムと名言

◎日本仏教は護国の仏教である(高楠順次郎)

 高楠順次郎著『大東亜に於ける仏教文化の全貌』(印刷局、一九四四)から、第十章「日本の仏教文化」を紹介している。本日は、その二回目。昨日、紹介した箇所のあと、改行して次のように続く。

 平安朝に移り政教の分野が明らかに区画された後は、仏教は真にその本分に帰り護国の職域を守つた観がある。比叡山は王城鬼門の守りとして「鎮護国家」の根本中堂となり、羅生門の東寺は「教王護国」の根本道場となつた。教王とは大日如来のことである。何れもその名に護国の二字を標出して居る。護国の精神なくして仏教は存在し得ないといつて差支へない。
 禅宗は幾度か日本に移入されたが何故か日本に栄えなかつた。平安朝に支那の高僧義空来つて檀林皇后の保護を受けて禅風を鼓吹した。永い滞留にも拘らず日本に禅縁なしとて遂に帰国したことがあつた。支那の禅風は次第に世外に高歩する傾きを示し、常に「不拝王公」を傲語するに至つた。禅が久しく日本に行はれなかつたのはかうした大陸の禅風によるのかも知れない。禅宗が愈々日本に根を下したのは鎌倉の武家時代に心胆を鍛ふる錬成法として重視されたからでる。これが栄西禅師の興禅護国論の出た後のことである。道元禅師も鎌倉に対し大政奉還を勧められたといふことである。民間に広く行はれる易行の念仏は護国を表示するまでもなく、親鸞上人の如く法統を家族世襲となし、「邦家のために念仏申さるべし」との趣旨を実行したのである。蓮如上人の時代守護地頭の法のみ行はれるに至つて「王法為本」が標榜せられたのも寧ろ当然といふべきである。また鎌倉の不臣、教門の非器を憤る日蓮上人の立正安国論は「日本の柱」たるを自任するものに非ざれば説き得ないものであるが、日本仏教の「護国」の本義を忘れた仏教者に対する一大警鐘であつたのである。
 日本仏教は護国の仏教である。仏教は有形無形の全体を献げて国家の為に奉公する精神を実行したのである。皇道に基き国神を崇め国風を重んじ、国家伝統の態制に随ふは日本仏教の宗風に於いては極めて自然である。家の自然を以て国の態制とした日本に於いて、系譜を重んじ系統を正しうすることは皆人の望むところである。戒律の問題よりも法統の問題を重んじ、形式よりも精神を重んじ、恒に伝統の精神に違はず師資の系譜本末の系統を貴ぶこと日本の如きは印度にても、支那にても、その類例を見ないのである。出家も次第に在家化し遂に真宗の如き世襲制の法統を見るも亦自然である。随つて全国民が同じ心持から、同一の目標に達すべき教義を期待するのも亦止むを得ないところである。鎌倉時代が「一切皆成仏」の仏教を出現せしめたのもそのためである。同信のものが同果を得るとして一切が同じく仏となるといふ日本仏教と、一人も仏と成ることを期待せざる南伝仏教とを対比せば教相の隔絶実に測るべからざるものがある。【以下、次回】

 高楠順次郎は、「日本仏教は護国の仏教である」と、日本仏教の「護国」的な性格を強調している。もちろん、これは、戦中という時代背景の中での発言である。ではあるが、日本仏教の伝統あるいは本質を衝いた言葉でもある。

*このブログの人気記事 2019・2・9

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本の保存力は驚くべきもの... | トップ | 一は等一であり唯一でもなく... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事