礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

孔明を書いてくれと言はれたことがあります(露伴)

2022-05-24 05:27:11 | コラムと名言

◎孔明を書いてくれと言はれたことがあります(露伴)

 雑誌『世界』の「第22号」(一九四七年一〇月)から、小泉信三のエッセイ「露伴と今日の読者」を紹介している。本日は、その九回目(最後)。

 露伴先生が亡くなつて、先生にもつと書いて置いて貰ひたいものがあつたといふことを、多くの人がいつた。私も同感である。私としては「運命」を書いたやうにして三国志を書かれたらと思つたことがある。それを先生に申したこともある。いや、孔明を書いてくれと人に言はれたことがあります、といふ事であつた。孔明の悲劇なら猶ほ結構である。演義三国志の孔明は固より実在の孔明ではない。併し、陳寿の三国志は果たして正しく全く孔明を伝へてゐるのか否か。陳寿は晋朝の臣で、晋は魏の祚〈ソ〉を承けるものであるから、孔明の仕へた蜀〈ショク〉を以て漢の正統とせず、司馬光の資治通鑑〈シジツガン〉も亦た魏を正統とする。後世の人は之に満足せず、曹操を悪み、劉備を悲しむ情が遂に発して演義三国志となつたといふことである。演義はもとより一の稗史〈ハイシ〉で信ずるに足らざることいふ迄もないが、「然れども人間の不平、此の一書を得て後初めて平らぐ」といつて、露伴先生はこれに同情してゐる。此の同情を以て、さうして厳密なる史実の考証に基いて、先生は果たして如何なる孔明を描き出されたであらうか。それを遂に見ることはなくして終つたのは残念である。先生は、世の孔明の智を称する評論に不平である。孔明はたゞに智者のみではない。孔明の明智を以て、蜀の遂に魏に克ち〈カチ〉得ないことを知らぬ筈がない。而かもそれを知りつゝ、猶ほ力の限りを尽して身先づ死するに至つたその志を悲しみ、「孔明の知を以て孔明の痴を能くする」ところに其の真の面目があるといふ。(露伴全集第九巻「通俗三国志」七九三頁)。先生はもとより通俗の判官贔屓〈ホウガンビイキ〉に類する議論をする人ではない。必ず確実なる史料に拠つて見るところがあつたであらう。国の正に傾かんとするに際して、其運命を担ひ、力尽きて身先づ死した諸葛亮とは如何なる人か。古今の史上、孔明の悲劇は孔明一人のものではない。露伴先生によつて此人の心事と功業に関する正確なる史実を知り、これに対する公正なる批評を聴くことは、恐らく露伴読者の願ふところであつた。

 文中、「稗史」は、原文では「裨史」となっていたが、誤植だと考えて校訂した。
 幸田露伴『運命』について補足したい誘惑にかられるが、明日は、いったん、話題を変える。

*このブログの人気記事 2022・5・24(なぜか8位に桃井銀平論文)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 願はくは溥洽を赦したまへ(... | トップ | 酒はやめられるが煙草はやめ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事