礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『運命』は明の永楽簒奪の事を記した作品である

2022-05-20 06:33:17 | コラムと名言

◎『運命』は明の永楽簒奪の事を記した作品である

 雑誌『世界』の「第22号」(一九四七年一〇月)から、小泉信三のエッセイ「露伴と今日の読者」を紹介している。本日は、その五回目。

 改めていふ迄もなく、「運命」は、明の永楽簒奪の事を記したものである。明朝の第二世建文皇帝のとき、其叔父である燕王棣【らい】が叛いて兵を北平に挙げ、戦乱四年の後、遂に皇帝を遂ふて自ら永楽帝として位に即いた。其後二十二年、帝は親から〈ミズカラ〉塞外〈サイガイ〉に阿魯台(アルタイ)を征して急に途〈ト〉に崩じ、一方、位を逐はれた建文帝は、ひそかに僧となつて江湖に漂浪すること四十年の後永楽の曽孫正統帝のとき、全く偶然の機会から迎へられて再ぴ宮中に還つた。「運命」はこの前後殆ど五十年に亘る事件の始末を叙べた叙事詩で、造物の脚色は「綺語の奇よりも奇にして狂言の妙より妙」なることを示さんとしたものである。仁恵にして心弱き建文帝、智勇天縦、雄風凛々たる永楽帝、燕王をすゝめて叛かしめた、観相者をして「目は三角あり、形は病虎の如し。性必ず殺を嗜まん。劉乗忠の流れなり」といはしめた異僧道衍【えん】、大儒かつ文楽で、遂に永楽帝に屈することを肯てせず、九族どころか十族を夷せられても従へぬ、と罵つて殺された方孝儒、其他文武臣僚数十人の一一の風貌を、一々描き出して紙上に躍動せしめる筆力は、近時の偉観と称すべきものである。【以下、次回】

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