礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

城泉太郎の土地共有論(1891)

2015-10-28 05:46:44 | コラムと名言

◎城泉太郎の土地共有論(1891)

 昨日の続きである。その後、明治中期の土地国有論について、少し調べてみたが、伊藤博文の周囲にいて、土地国有論を唱えた「某氏」は、まだ確定できない。
 しかし、同時代の日本において、樽井藤吉〈タルイ・トウキチ〉、大井憲太郎、城泉太郎〈ジョウ・センタロウ〉、宮崎民蔵〈タミゾウ〉といった人々が、「土地共有論」を主張、あるいは紹介していたことはわかった。
 以下は、絲屋寿雄〈イトヤ・トシオ〉編『宮崎民蔵 土地均享 人類の大権』(実業之日本社、一九四八)の冒頭に置かれている「明治の土地問題―宮崎民蔵の土地復権運動を中心に―」という文章(執筆・絲屋寿雄)の一部である。宮崎民蔵(一八六五~一九二八)は、明治・大正期の社会運動家で、孫文の支援者として知られる。滔天〈トウテン〉・宮崎寅蔵(一八七一~一九二二)は、その弟にあたる。

 二、民蔵の思想的道程
 さて、民磯の思想的道程に就ての研究に移ろう。
『土地共有』の思想の最初の日本移入とも思われるものはスペンサー氏著、松島剛訳の『社会平権論』(ソシアルスタチツクス)明治十四年〔一八八一〕発行で、『土地と万物とは万人の共有なり。』『各人他人の同自由を妨げずんば土地を使用する事自由なり、然るに之を禁ずるものは同等自由の法則に悖れり〈モトレリ〉』『土地を似て私有となすときは、地主の外は皆な地主の允許によりて地上に棲息する事を得るものにして、即ち白嚼に外ならざればなり。』と論じて居り(同書第九章『土地使用の権利』)、明治十五年〔一八八二〕九州肥前島原で結党式を挙げた樽井藤吉等の東洋社会党の行動綱領に『天物共有』とあるのは、前記スペンサー氏の土地共有論の主張を更に拡めたもので、土地の中に含まれた、鉱物、河川、森林等々凡ての自然物を総称する『天物』なる語を書経から援用して間に合したと当時の一人武富時敏氏は語つている(田中惣五郎氏『東洋社会党論考』一四四頁以下)。
 自由党左派の秀れた経済理論家大井憲太郎は『耕地の平均再分配』を提唱した先覚の一人である。彼の著『時事要論』(明治十九年〔一八八六〕一月発行)の均田論に言う。
『農民一般の情態、勤労倹撲なるに拘らず、家に儋石の儲〈タンセキノモウケ〉なきもの比々〔いたるところ〕皆な然りき、勤労節倹彼れの如くして止だ殆ど凍餒を免かれざれしを見れば、即ち一に〈イツニ〉我国の税法苛きが故に、農民をして余裕なからしめたるに外ならざるを推知すべき也。
 斯く我国の農民には余得なきを以て、一朝家に不幸災厄あれば数世之を償ふ〈ツグナウ〉こと能はず。三代若くは四五代前に典質となりし田地を耕し、名は自己の所有地たれども、実は小作人なるものあり、又数代前より全く他人の地所を借り耕して生活をなすものあり、直言すれば我〈ワガ〉農氏は概して数代前より窮乏なりしものなり……我農民中大農即ち相応の資産あるものは十の一にも足らず、十中の二三は中農にして其他は窮民の名を下すべきものなり、則〈スナワチ〉怠惰致貧とのみ評するは失当なり、今の貧民は大抵世襲の窮乏者なり、故によしや怠惰にあらずと雖も〈イエドモ〉素より余得の道無きの貧民、数世の間必ずや疾病其他の災厄に由りて、流離顛墜其窮困に陥ること無からんを欲すと雖も得べからざるなり。』
 以上の如き弊害を一掃するために、彼は土地の均分を主張するのである。
『此時に方り〈アタリ〉、一時窮民救助法を行はんか、一時の救助は以て斯く〈カク〉多数の窮民を抔ひ、恒産を得せしむるに足らず、国力も亦堪へ難きを奈何〈イカン〉せん、此に〈ココニ〉於て多数の人民に恒産を得せしめんには、他に方法を覓めざるべからず、乃ち毎戸平均に耕地を保有せしめ、典売を禁じて永世の資産と為さしめ、以て困苦に沈淪せしめざるの堤防と為すを良策とす。』
 明治二十四年〔一八九一〕発行の城泉太郎編述『賦税全廃、済世危言』はヘンリー・ジヨージの単税論を敷衍〈フエン〉したものであるが、その第十四章『土地共有賦税全廃論』に於ては『近世文明の大欠点たる貧富の不平均は土地私有の制度に原因する』ものであるから『此制度を廃棄して天下の土地を悉く共有物となさゞる可からず。』と云い、併し乍ら『現社会の組織を其侭〈ソノママ〉に保存して. 而して土地共有の実を挙ぐるの途』は『地租の外一切の課税を廃する事是なり』と述べ、『製造品に課税するときは其結果たるや、製造を停圧し、改良事業に課税するときば、商業を妨害し、資本に課税するときは、資本を外国に駆逐す。而れども之に反して土地を課税するときは、其結果たるや一般の事業を奨励し、資本に融通の途〈ミチ〉を与へ、財貨の産出を盛大ならしむるや必せり。」と資本家的自由主義の立場から単税論を主張している。
 ヘンリー・ジョージは一八三九年米国フィラデルフィヤ生れの社会運動家で「進歩と貧窮」(Progress and Poverty)「土地問題」(The Irish Land Question 1881)その他の著書がある。彼の主張によれば、土地は個人の独占すべきものにあらず、天賦権として全人民の共有財産たるべきものであり、したがつて地代は万人が平等に享受すべきものである。しかるに、土地を他人が独占せるがゆえに分配の不公平が生じ、富者は益々富み、貧困者は益々貧困に陥るのであるから、土地以外の一切の課税を廃して、土地にのみ課税する単税論を施行して土地共有を実現すべし、と主張するのである。
 以上の諸説が民蔵の『土地均享主義』の形成に多くの啓示を与えた事は、事実上否めないが特に彼に思想的影響以外、諸種の便宜と助力を惜しまなかつた人は東京築地の宣教師でへンリー・ジョージの流れを汲む単税主義者C・E・ガルストであつた。彼の手記『百姓の使者長州の会合』(明治三十九年稿)に頼りつゝ此間の事情を知つて置くことは無意味でない。

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