◎ウェーバー研究者・安藤英治の晩年の言葉
昨日の続きである。本日は、安藤英治の晩年の著書『ウェーバー歴史社会学の出立』(未來社、一九九二)の「あとがき」を紹介してみたい。これを読むと、この研究者が、どのような姿勢で、マックス・ウェーバーを研究してきたかを理解することができる。また、著者のその研究姿勢が、どうもアカデミズムの主流ではなかったらしい、ということも見えてくる。それにしても、何と「含み」の多い文章であろうか。
文中の〔 〕は、安藤によるものである。また、『倫理』論文とは、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を指す。
あ と が き
学生時代、自分の粗雑な唯物史観の限界にぶつかり、社会の問題は究極において“人間”に帰着すると考えるようになって(前著『マックス・ウエーバー研究』「あとがき」)以来、私にとっての人生問題は徹頭徹尾“人間”であった。しかも私は宗教家でもなければ政治家でもなく、社会科学の研究世界に生きる途〈ミチ〉を選んだ。したがって私にとっての問題は、人間にとっての社会科学の意味如何を問うことであり、研究としては“社会科学における人間の探求”が問題となった。そして問題は“方法”に、研究対象はドイツ人マックス・ウェバーに収斂〈シュウレン〉した(その経緯については前著「あとがき」に詳述してある)。方法は、思考様式と行動様式に顕現する。前者は認識の問題であり(社会科学の方法論)、後者は“日日のつとめ”という実践の場における“生活態度”のうちに現われる。前著『マックス・ウェーバー研究』はこの認識の世界における方法の問題をめぐる研究であるが、副題に示したとおり、たんたる認識技術としてのではなく、「エートス問題としての方法論研究」であった。
今回発表する諸研究は、生活という実践の場における方法をめぐる問題を真っ向〈マッコウ〉から論じている『倫理』論文の動機探求的研究である。動機探求には、作者の人生そのものについて求めてゆく方法と、作品の中に潜む研究動機を探り出す途とがあるが、本書において私が意図したのは後者である。ところで、作品に内在する動機を探り出すということになれば、先立つ作品に遡及してゆくことが避けられない課題となる。本書第一部はその研究であり、そういう動機連鎖の上に立って『倫理』論文そのものを動機探求的に追体験したのが第二部の諸論文である。
私の研究は、歴史学でも経済社会学の理論でもなく、“意識”の研究、それもとりわけ歴史認識を支える価値意識の研究であるため、性質上、完全に対象化された認識体系に整頓された“学問”にはなり難い。いわば思想と科学の境界線に立つものと自覚している。しかしこういう風変りな研究を強制した自分自身の問題意識は、いま「あとがき」として語るまでもなく、すでに十数年まえの論文に明記してある〔本書第一部の三の一「問題提起」の一~六(八八―九四頁)。第一部の五の二“ヨーロッパ”意識への一断想―日本における一視角―(一六九―一七五頁)。〕ので、ここでは繰り返さない。
今回の研究は、その全てについて一介の素人にすぎない私一人の孤立した仕事である。独断や誤謬も多々あるにちがいない。しかし私は、少なくとも、“粧われた”ウェーバーや、『倫理』論文の囚われた神学的解釈から、ウェーバーの“方法”を取戻すことにオロカな情熱を傾けてきた。けだし、そのウェーバーの“方法”は、当時のドイツ社会に対するだけではなく、今日の日本社会の負【マイナス】の側面に対しても、また、警鐘を鳴らすものだからである。
この二十五年間に論文作成上さまざまな意味でお世話になった方は数多い。そういうかたがたに対し、心から御礼を申し上げたい。
「みなさんは、本の読みかたを学ぶには、どんなに時間と労力がかかるかを御存知ない。私は、そのために八十年を費やしたよ。そして、まだ今でも目的に到達しているとはいえないよ。」(ゲーテ)
一九九二年六月一日 安 藤 英 治