礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

カール・シュミットとケルロイター(青木茂雄)

2015-10-09 05:34:28 | コラムと名言

◎カール・シュミットとケルロイター(青木茂雄)

 映画評論家の青木さんから、昨日、ケルロイター論の続稿が送られてきたので、本日は、これを紹介したい。九月二四日、二五日のブログで紹介したケルロイター論二回分に続くものである。この二回分とあわせて、お読みいただければと思う。

ヴァイマール憲法は「改定」されたのか「破棄」されたのか?  (3)
 ─ケルロイター『ナチス・ドイツ憲法論』を読む─  青木茂雄

【カール・シュミットのドイツ憲法論とケルロイター】
 ケルロイターの『ナチス・ドイツ憲法論』の冒頭は「政治的なるものの本質」から始まっている。この「政治的なるもの」とは言うまでもなく、カール・シュミット(Carl Schmitt)の『政治的なものの概念』(Der Begriff des Politischen 1927年)から来ている。 カール・シュミットについては、戦前の日本においても全体主義理論家のひとりとして、矢部貞治をはじめとする政治学者によって、戦後は丸山真男などによっても注目されていた。しかし、著作の翻訳も進み一般に読まれるようになったのは戦後になってからであり、しかも好んで取り組んだのは左翼の側である。私がはじめてカール・シュミットの名を知ったのは「変革のための総合誌」と今も標榜している『情況』誌の1970年12月号に掲載されたフランクフルト学派研究者の清水多吉及び矢代梓訳の「政治的なものの概念」(抄訳)によってである。政治とは「友と敵」を分ける決断であるとするそのメッセージは当時の政治状況の中でいかにも明快であり、かつ鮮烈であった。
 その後しばらくたって、田中浩訳の未来社版や長尾龍一訳等の福村書店版で何冊かを続けて読み、カール・シュミットは私の20代後半の読書体験の一角をなしていた。私が、どのように優れた現行憲法の解釈に出会っても、そして実践活動や現実の生活の中で日本国憲法をどのように主張し、活用しても、《その向こう側にあるもの》に一定の思いを馳せざるをえないのは、ひとつにはカール・シュミット読書体験によるものと今も信じている。 どのような美しい理想もすぐその《向こう側》に「魔の手」を見据えずしてはいとも簡単に崩れ去ってしまうであろうことを。
 カール・シュミットの初期の憲法学の大著『憲法論』(Verfassungslehre 1927年 邦訳『憲法論』阿部照哉・村上義弘訳 みすず書房1974年)はすぐれた書物である。およそいかなる憲法論といえどもこの本による試練を経ずしては、論敵からの攻撃に十分に耐え得ないとおもわれる。この書の論じるところは多岐にわたっているが、主要な論点は、シェイエスの《憲法制定権力》の換骨奪胎による当時の現行憲法「ヴァイマール憲法」の正当化にあった。あくまでもこの著の執筆時点ではシュミットは「ヴァイマール憲法」の埒内に止まっていたのである。
 問題は《憲法制定権力》の主体は何か(フランス憲法の場合は国民nationナシオン)、同権力による決定の内容とは何か、である。シュミットの場合は、『憲法論』の段階ではそれはまだ括弧の中に入れられていたが、情勢の展開の中で、その後如何様にも変化していくのである。後者にはもまなく「政治的決断=友と敵との峻別」が、前者にはやがてライヒ(帝国)概念を媒介としてドイツ民族が入ることになる。
 ナチ運動の勃興とともに彼はナチ党にも積極的にコミットしてゆく。政治と権力の魔の手を知った者がその魔の手に今度は吸い寄せられていくのである。
 そして、ヒトラー政権による1933年3月24日の「国民及び国家の艱難を除去するための法律(所謂授権法)」成立に対してこれを「ドイツ新憲法」と断定したのである。『憲法論』を出版した5年後のことである。
 シュミットは次のように書いている。
「… 1933年3月24日のドイツ国法律は、たしかにワイマル憲法第76条の規定により、憲法改正法の形で、これに必要な3分の2の多数をもって可決されたが、このドイツ国法律は何を意味するであろうか?このいわゆる全権授与法は、1933年3月5日の総選挙によって判明した国民の総意を執行する形で、ドイツ国議会によって可決されたのである。この総選挙は、法学的に見れば事実上、一種の国民投票であり、プレビスチート(平民の議決)であって、この投票を通じてドイツ国民がナチズム運動の指導者アドルフ・ヒトラーをドイツ国民の政治指導者と認めたわけである。… 事実上この全権授与法は新ドイツ国の暫定憲法なのである。…」(ワルター・ホーファー『ナチス・ドキュメント1933~1945年』救仁郷繁訳p78)
 シュミットの“ナチス憲法合法論”は1933年の「国家・運動・国民」(Staat, Bewegnug, Volk)に詳しく展開されているが、この本は戦前に一度堀真琴によって邦訳された(戦後には初宿政典訳により『ナチスとシュミット』木鐸社版に収められている)。
 カール・シュミットについてはこの後、機会を見てより本格的に論じてみたいと考えている。
 次回はケルロイターの「ドイツ憲法論」についてさらに書く。

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