私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

怪奇

2009-06-10 | 10住む・暮らす
帰宅して「本当はこわい家庭の医学」をテレビでながめながら夕飯を作っている時のことです。

我が家はキッチンの右正面が玄関になっていて、赤外線センサーで物体の動きを感知すると自動的にホールの電灯がともる構造になっているのですが…鍵もしまっていて、誰もそこを通っていないにも関わらず、電灯が「ポッ」と灯ってしまいました。

直前に、私が粉と野菜を絡めていたステンレスのボールに、瞬間レーザー光のような光が射し「あれ?CD??」なんて妙な感覚にとらわれたのです。

まだ、幽霊の季節には大分早いのですが、これ怪奇現象かと。

時間が経つにつれて、次第次第に恐怖を覚える私です。(ーー゛)

本当に怖いなぁ…。
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需要と供給のバランス故?

2009-06-08 | 雑観
先日「ドライビング Miss デイジー」という映画をテレビで観て、大変気に入ったので即座にアマゾンで検索をかけたところ「只今お取り扱いできません(在庫切れ)」という表示が出ていたのだが、今日検索をかけると、デラックス版・通常版もと数点の出品がなされている。

新品は定価の数倍で価額が設定され、中古品もそこそこの金額。

ここ二~三日で需要が発生して、バタバタと出品が相次いだのだろう。

需要と供給、人気・不人気の道理がきっちりと実現していることに驚くのであった。
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SICKO シッコ

2009-06-07 | 2見る・読む・聴く
二年前「シッコ観に行きませんか?」と若い女の子に誘われて引いた記憶がある。
「シッコ」はダイレクトに日本語の排尿であって、表題のその響きがどうしても許せなかったから。

マイケル・ムーア氏の、現代アメリカ医療の惨状を描いたドキュメンタリーだと知ってはいたが…。

辞書で引いても出てこない“SICKO”は、スラングで狂人・変人の意味だという。

「狂気の沙汰も金次第」とでもいった副題をつけてくれればよかったのに…。

二年前の作品であるが、ここまでアメリカの医療がズタズタになっているとは知らなかった。
国民皆保険の日本で、必要ないと言われながらもう20年以上外資系保険会社の医療保険料を払い続けているが、無駄だったかもしれない。
だって、困った人の助けに…精神ではなく、あくまでお金集めの手段のようだから。

経済危機ののち、現在はもっと悲惨な状況になっているだろうが、民間保険会社の制御を解いて国民皆保険の提案がなされた際、「困った時の助け合い精神」を→「社会主義的企み」につなげてしまったところが、何とも短絡的で救いがたく、哀しかった。

戦いに負けた我が国に、民主主義という本来勝ち取られるべき社会システムを持ち込んでくれたアメリカさんが…太っ腹で気のいい人たちの集まりだったはずのアメリカさんが、拝金主義でがんじがらめになっていて、金のない病人は病院からタクシーで運び出し、スラムの福祉施設の前に放り出すなんてことをしばしばやらかしているなんて…。
(そういえば、日本でも去年、病院か老人施設の職員が、公園に御老人を捨てて行ったというニュースを1~2度聞いたような気がする。)

確かにアメリカ人の平均寿命は先進国中で恐ろしく低い。

かかりつけのDr.が、以前「その内、平均的な国民は検査などは受けられないくらい医療単価が上がってくるよ」とおっしゃっていたのは、我が国が少しずつアメリカ的医療制度にシフトして行っていることを捉えてらしたのだなと思う。

そう、国民皆保険と言ったって既に日本の医療財政はひっ迫、医療費の自己負担比率は上昇、医療費点数は削減の一途。
少しずつアメリカに近づいて行っているもの。

民主主義を勝ち取った国民主体のフランスやイギリスといった資本主義国では、国民皆保険が維持され、手厚い医療が安定的に提供されているというのに…。

カナダの良識ある人々は、高額の医療保険に入らずして隣国のアメリカには足を踏み入れないという。

日本人はおとなしく、忘れっぽく、穏やか過ぎる。
良心的な神風が、いつも吹いてくれるとは限らない。

非常にアメリカ的なマイケル・ムーアという人の、屈折した愛国心を感じながら、「貧すれば鈍する」罠にこれ以上アメリカさんがはまり込まないように、より良いチェンジを祈るのであった。
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ドライビング Miss デイジー

2009-06-06 | 2見る・読む・聴く
片手間に何気なく眺めていた映画なのだが、いつの間にか作業を中断してテレビの前に正対して見入ってしまった。

ユダヤ人のばぁさまと黒人のじぃさまが、徐々に打ちとけ友として晩年を生きる過程が描かれた、心温まる人間愛のお話。

かくしゃくとしたジェシカ・タンディの歯切れの良いタンカと、モーガン・フリーマンの温かいチャーミングな受け答えが絶妙。

ストーリー自体は淡々とアメリカの歴史を背負った日常のお話なのだが、格差も差別も超越した人間愛が溢れだし、いつか心がじわじわと温かくなってくる。

お気に入りは、繰り返し繰り返し観るのがお決まりなのだが、この作品、何度も何度も見たくなる映画だ。
アマゾンでDVDを入手しようとしたけれど、残念、在庫切れ。

再放送の録画で我慢するしかないですね。

心温まる気の利いた作品に、久々出会いました。
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千載一遇のチャンス

2009-06-03 | 10住む・暮らす
日が長くなった。
今朝も日が昇り、ゴミ捨てに階下へ降りて行く。

裏口を開け、マンションの駐車場スペースに出たとき、マンションの機械式駐車場のキーボックスから、全開男が鍵をまさに抜こうとするところだった。

全開男とは、最近お騒がせの全開ではない。

この若い男、頻繁に車を駐車場から出入りさせるのだが、出入りする度、キーボックスの扉を180度全開で立ち去るのだ。
彼らが越してくるまでは、きちんと閉じたままになっていたキーボックスが、彼らが越してきて、その車のレーンが前面に降りている時、必ず180度全開でボックスの扉が放置されている。

実害はないのだが、本来閉まっていたいたものを開けたまま放置する…こういう行為を「お行儀が悪い!」というのだ。

彼の次に利用する人が、必ず全開の扉を閉めておく訳で、その都度彼は他者の行為によって借財を負っているということになる。
もちろん、意識はしていないだろうが。

この不作法に、常々苦々しさを覚えていた私にとって、今朝はまさしく千載一遇のチャンスであった。

<意を決して私>
「お兄さん(何階の某かは既に承知している)、ボックスの扉は閉めましょうよ。
あなたの車が出入りする度、ボックスの扉が全開になったまま…。
それを次に利用する方がいつも閉めて下さっているのよ。」

<背を向けたまま男>
「はい、閉めるようにします」

<逃げるように去ろうとする男に重ねて私>
「(開けっぱなしだと)幸せが逃げていっちゃうわよ!」

<それを聞きながら男、背中を向けたまま前進方向に会釈もどきをする>

…それだけのことだったが、まさしく千載一遇と言う感じだった。
現行犯でありましたから。
漸く言ってやりました。

かねて「全開男」と呼ばわって彼の不作法をこぼしていた私だが、周りの反応は冷ややか。
「あなた、相変わらず正義感が強いわねぇ」
「当節、そんな変な人に関わりあわない方がいいのよ」
「そんなこと、昨今はどうでもいいの」
といった具合。

若い彼には二人の幼子がいる。
不規則な時間の頻繁な車の出入りは、色々な仕事を掛け持ちしているからだろうか。

若いかみさんも挨拶の出来ない若者で、いつもうつむき加減。
多分、家の中も色々な扉が開けっぱなしだろう。

…てな具合に余計なことを考えながら、多分、一生関わりあうことはないだろう一家に、瞬間ぶち当たった行為を「おばさんになったからだ」とくくる。

でも、そういう瞬間に出くわす…っていうことは、やはり「今こそ言ってしまえ!」という巡り合わせであって、運命なのだと考えたり。

些細な部分で、きちんと始末が出来ない輩は、大きな希望を取り逃すことになってしまうのよ。

…やっぱり「おばさんになったから」だな。
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春のテレビドラマ(其の弐)

2009-06-01 | 2見る・読む・聴く
お気に入り2本目は「ぼくの妹」。

いきものがかりが歌う主題歌「ふたり」がいいですね。

オダギリジョーも好きな俳優さんですが、このドラマ、初めはサスペンスかと思っておりました。

回を重ねるごと、私には想定外の展開で、昨夜の放送あたりから兄と妹のヒューマニズムとか、女性に対する畏敬の念とか…そういったものを強く感じさせる筋となってきています。

人間らしいと言えば、オダギリジョーさんもそうですが、大滝秀治さんが温かい人間性にあふれていて、いいですね。

話の展開自体は面白いと思いますが、そんなに深淵な哲学を感じる訳ではありません。
けれども、大滝さんの語りを聞いていると涙が溢れてきます。
年をとって、鋭敏な感受性はなりをひそめているのですが、大滝さんが、じわじわと人の心に沁み入るような迫り方をなされる俳優さんだからでしょうね。
私の涙腺は、ゆるんでしまうようです。

格差社会を生きる人間をピックアップしながら、松本清張の作品のようにドロドロとどす黒い情念を感じないのは、現代日本に生きる作家の脚本だからかなぁ…と思います。

現代日本においても、生きる環境に格差はずっとあった訳だけれども、高度経済成長にのって生きることのできた日本人には、総じてどこか気持ちのゆとりがありました。

社会全体が上昇気流にのっていた時代に育つことによって、誰もがどこかしらボンボン気質を持ちあわせているような…。

のほほんとした人の好さがあります。

プロレタリアリズムを激しく語る方達からは批判を受けそうですが、最近、近隣の国々のあらゆる事象に対する反応を見るにつけ感じることです。
日本は守られし国でした。

これからは、様子が変わって来るでしょう。
「ぼくの妹」のような、温かいぬくもりに包まれたドラマは、生まれにくくなってくるかもしれません。

そして、松本清張の作品のような、底に暗い濁った河の流れを感じさせる…そんな作品が生まれやすい時代が訪れるのかもしれません。
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