私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

どちらが自然?

2010-04-21 | 4動く
東京のAという駅でおり、おばさん二人は目的地へたどりつく為、駅前の案内板の前である建物を探していた。

駅前の道はいくつかにわかれており、その建物がどの道路に面するのか、わかりにくい状況だったのだ。

ほどなく、後ろから年配の男性が低い良く通る声で
「どこへ行きたいの?」と聞いて下さった。

しかし、路上で見ず知らずの方から、親切に助けてあげるよと申し出を受けることなどついぞない。

時代を遡れば、ナンパという行為にでくわすこともあった訳だが、現在は明白なおばさん二人。
そこに年配のおじさんが声をかけるという状況だ。
…ちょっと違うのかもしれないが、そんな親切に出くわしたことが無い私は、いくらかテンションを上げて
「大丈夫です、わかりますっ」と壁をつくる。

同行のもう一人のおばさんは、関東出身の女性だが、こうした経験がままあるらしい。
「年配のおじさんは優しいのよ」と、ごく自然にのたまった。

東京のおじさんたちは、優しいのか。
江戸っ子気質のゆとりがそうさせるのか。

更に先を進み、入る小路がどこなのかはっきりとしない。

私は、商店街の店舗前に立つギャルに、地図を示して
「ここへ行くのはどこで曲がればいい?」
と聞いてみた。

後ろで、同行のもう一人のおばさんがつぶやく
「道を聞くとは…」

私にとっては、道を教えてあげようと声かけられるより、どう行けばよいのか聞くことの方が自然だったのだが、彼女はこちらから尋ねる行為に、より違和感を覚えたらしい。

ほんの数分の出来事だったのだが、ものをとらえる感覚は、人それぞれで随分と異なるものであるらしい。
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