私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

お金の使い方

2009-04-02 | 雑観
私が一番きれいだったころ、某上場会社のある管理職のオジサマがのたまったフレーズを、今日、不意に思い出した。

「どんなふうに、どれだけお金をかけてもらったかで、人はつくられるものだよ」

見所のある若手社員を高級クラブに連れまわし、その領収書を経理に回すに際して出た台詞だった。

仕事に対しても、社内の勢力争いについても、熱い情熱をもつその方は、受験から得た知識と、職場内での情報に偏りがちなエリートの若手を、海千山千の高級クラブのおねーちゃん達と会話させることで、何かしら学びとってほしい…と期待しておられたのだ。

そうした一見無駄な出費や経験が、人の厚みをつくり深みをつくる…という考えからだが、とても頭のよい(学歴ではない!本当に頭の回転がシャープでなお且つ人の心情に敏感)その方の話には、いつも説得力があった。

多分一方では、満開を過ごして葉桜になりかけている私に
「つきあうのなら、しっかりお金をかけて自分を成長させてくれる男とつきあえ」と諭しておられたのだが。

それとても、まったくもって男の論理で、やはり私は、私なりの選択しかできなかったけれど。

そして今日、実家の古屋を片づけていて思い当たったのだ。
お金の使い方、お金のかけられ方という話に。

たいして価値もないのに、きちんと折りたたまれ、しまい込まれた雑多な紙や布、衣類。
良いものなのに、使わないまま棚の奥にしまい込まれた食器や陶器といった道具類。
廉価なものをくたびれるまで使い、新しいものはその存在を忘れられるまで人知れず保存され、時代遅れになっていく。

我が家のこの処し方では、私がこんな風になっているのも道理か。
無理もない…と思った次第。
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