36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

心技体と体技心(その2)

2013-07-31 17:58:00 | 意識を整える
 前回は仕事もスポーツも同じで「心」「技」「体」のバランスが重要です、
ということをお話しました。
スポーツの場合は形を真似ること、つまり「体」を鍛えるプロセスが先にあり、
そのうちその形の意味が分かってくる、つまり「体技心」の順ではないか。
そんな流れでした。

 たとえば、武道などでは道場に入る時、道場を出る時、
それぞれ一礼をするように指導されます。
これはOzakiが剣道を習っていた際も同じでした。
最初は形だけ、とにかく頭を下げるだけでした。
先生にやれ、と言われ仕方なくやっている、そんな感じです。
しかし、それをずっと続けているうちに、ある日突然、
自分と向き合う場に出入りするということの意味を感じた記憶があります。



 これはいわゆる「体技心」の順番なのでしょう。



 「心技体」とは言っても何事もまずやらなければ「心」はつかめません。
やりもしないうちに本質を悟ろうとしても、それは難しい話。
一つの形をやり続けてなければわからない。
体を動かし、形を繰り返しやっていくうちに、いつか自然と気づく、
それが「心」を体得するということではないでしょうか?

 「心」から変わるのが理論的には正しく、また理想的であったとしてとも、
それができる人はごくごく一握り。
どんなジャンルであれ一流の域に上り詰めた人も含め大部分の人は、
くり返すうちに後から動きや形の意味を悟り、「心」が後からついてきて
いるのではないかとOzakiは思います。



 これは仕事も同じだと感じるのですが、仕事の場合は一つ問題があります。
それはスポーツなどと違って仕事の場合「押し付けられている」感が強い事。
剣道の道場への礼を強制されることと比べ、
仕事で毎日3件新規顧客を訪問することや
経理書類を毎日50件処理させられることは非常に負担感が強いでしょう。

 「心」がないまま、つまり仕事の意味が分からないまま、
無理やり「体」つまり形式的な仕事をやらされているとなると
かなり強く強制されているという意識が生まれてしまうはずです。

 上司や先輩はいろいろな話をして部下、後輩に「体」の部分を強制します。
例えば、

「一日に五件、必ず商談のアポを入れろ。
『量』が『質』を生む。
新規顧客訪問の数を増やせば、必ず成長できる。
これは君のためでもあるんだ。
つべこべ言わずに五件アポを必ず取ってなにがあっても訪問しろ」

 などという指示はよくある話かもしれません。

部下は間違いなく 上司に従うでしょう。
しかしながら、多くの部下は同時にこうも思うはずです。

「上司のいうことはわかるけど、現実はそうはいかないよ。
 毎日五件、アポをこなすなんてムリだし意味がないんじゃないか」

そしてそのうち実際の顧客訪問数は減ってしまいます。
(報告書上はごまかせるのかもしれませんが)


 上司が部下一人ひとりを見張ってアポ五件の達成を強制することはできません。
まして部下が上手く嘘の報告をしたり、黙っていれば上司は気付きづらいもの。
そして、部下が「体」の部分であるアポ五件を実行し続けない限り、
仕事の本質、もしくは意味の「心」の部分を体得することも困難となるでしょう。
つまり、部下は成長できなくなってしまいます。

 
 スポーツであれば、強くなる人が選抜され、オリンピックやW杯など
世界最高峰の舞台で戦えばよいのかもしれません。
「体」の鍛錬をやってられない、と思った人は自然と退場していきます。
(趣味として続ける場合はそれでも構わないと思いますが)
一方で、仕事では大勢のさまざまな人の力を結集して
成果を出すようにマネジメントしていかなければなりません。

 
 「体」を強制しなければ成果は出ず、部下も成長しない。
でも「心」がわかっていない状態の人に「体」を強制させると
反発も強く、成果は出ない。
そんな二律背反が生じてしまいますよね。

 では、どうすればいいのか?
Ozakiは単純ではありますが上司と部下の信頼関係が重要なのだと感じます。
上司が部下から強く信頼されていれば強制は強制でなくなります。

 「部長が言うならば、やってみよう」
 「課長のようになりたい」
 「あの先輩がいうなら、間違いないだろう」

こんな信頼関係を築いておけば、仕事の本質がわかっていなくとも、
つまり「心」がなくても部下や後輩は「体」をやってくれるはず。
そして、「体」をくり返すうちに、「心」に至るはずです。
そしてそのプロセスを知っているからこそ部下や後輩にも同じ
「体」の繰り返しを(意味が分かったうえで)指示できるようになります。
先輩後輩、そしてまたその後輩へ、これは理想的な好循環ですよね。



 Ozakiが会社に入った当初はまさに

「訳が分からないけれども上司、先輩の言うことはとにかく実行しよう!」

そんなふうに考えていたことを思い出しました。
今思えば、本当によい上司、先輩に恵まれて育てていただいたのでしょう。



 逆に、上司が部下との信頼関係を築かぬままに「体」を強制すると、
強制のマネジメント、恐怖に基づくリーダーシップがはびこります。
上司や先輩に叱られるのが怖くていやいや言われたことをやる組織。
部下の主体性や自発性はどんどんそがれていき、新しい挑戦も減ります。
そして居酒屋などで上司、先輩の悪口や愚痴を言い合う…。
「体」の強制だけをやってしまうとこんな職場になりかねません。
形を強制し、本質を理解するまでの間、信頼関係が続かなければ悪循環です。

 仕事の場合でも、スポーツの場合でも「体技心」の順で本質をつかんでいく
のだとOzakiは考えています。
スポーツと仕事が違うのは強制のされ方と受け取り方。
より多くの人を動かさなければならない仕事においては
上司と部下の信頼関係が「体技心」の実現に不可欠なのではないでしょうか?