今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

出雲阿国の墓(島根県出雲市大社町杵築北)

2023年07月09日 | 名所・旧跡
訪問日 令和5年6月18日

歌舞伎の創始者 出雲阿国の墓
出雲大社から稲佐浜へ向かう途中にある
出雲の阿国は慶長8年(1603年)、京でかぶき踊りを演じ、歌舞伎をはじめた人物といわれている









石段を登っていくと中村家の墓があり、出雲阿国の墓は、特別に石棚で囲った平たい自然石で作られている



出雲国杵築中村の里の鍛冶 中村三右衛門の娘であり、出雲大社の神前巫女となり
文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ評判となったとされている



慶長5年(1600年)に「クニ」なる人物が「ヤヤコ跳」を踊ったという記録がある
ヤヤコ踊りとは、ヤヤコ(幼女・少女)による小歌踊の芸能で 出雲の阿国が歌舞伎踊を創始する前に演じていたという
3年後の慶長8年(1603年)に「かぶき踊」を始めたと考えられている



当時多くの芸能は、河原や寺社の境内などに作られた仮設の舞台で演じられ、興行が終わると舞台は取り壊された
しかし阿国は、京都の北野神社の境内に自分専用の舞台を作って踊ったといわれている
北野天満宮の祠官松梅院の僧禅昌は、阿国の芸と人物に対する最も理解のある有力な庇護者であった



慶長8年(1603年)5月6日に女院御所で踊ったという記録がある
文献によって踊ったものの名称が「ヤヤコ跳」「ややこおとり」「かふきおとり」と異なっている



阿国役を演じた女優には大原麗子、多岐川裕美、内田理名、菊川怜、森田望智などがいる
これだけでも自分のなかでは阿国という女性が魅力的な女性であったことが想像できる



慶長12年(1607年)に江戸城で勧進歌舞伎を上演した後、消息が途絶えた
出雲に戻り尼になったという伝承もある
京都大徳寺の三玄院にも同様に阿国のものといわれる墓があり、夫の名古屋山三の墓と共に供養されている



撮影 令和5年6月18日
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