今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

天応山 観音教寺 福聚院<芝山仁王尊>(千葉県山武郡芝山町芝山)

2018年11月23日 | 神社・仏閣
天応山 観音教寺 福聚院(芝山仁王尊)
「芝山はにわ博物館」と併設されている天台宗の寺院である
先に博物館で興味有る埴輪を見学した
子供を対象とした展示内容であったが、私の知識も同程度なので十分楽しむことができた

「大黒堂」  参道の階段を上がり最初にあるお堂
無人受付所のようになっていて、手作りの「参詣のしおり」を入手する
22ページある説明は十分すぎる内容で大変参考になった



熱心にお詣りするとすると、大国様がニッコリ笑い、願いが叶うという



「手水舎」



「仁王門」  明治15年に完成した総欅造りの建物



お堂形式の建物で、両側にある内陣(撮影禁止)の畳の敷かれた須弥壇に仁王堂が安置されている
この寺の別称「芝山仁王尊」はこの仁王像からきている



大きなわらじに目がいくが、その上にある彫刻もすばらしい



「仁王尊」の扁額



彫刻が好きなものでつい撮ってしまう






木菟(ミミズク)は古来より魔除けと幸福をもたらす鳥



「不動堂」  岐阜県の安田賢三氏が子息の菩提を弔うために再建されたお堂だという



安田家の守り本尊の不動明王を調べたところ「上総国芝山より出しもの 疾く疾く行きて元の座に安置せよ」とのお告げがあったという






「名馬吾妻号之塚」  吾妻号とは、フランスから贈られたアラブ種の名馬。その子孫は競走馬として活躍した



「黒龍大王神(己巳尊)」  



この寺に三重塔があることを知り、訪れるきっかけとなった



「三重塔(千葉県指定文化財)」



寛政9年(1797)、42世秀暁代に再建を発願し、文化11年(1814)44世龍淵代素建、天保7年(1836)46世湛定代に九輪完成と、実に五代の住職40年に亘る大事業だった



軒廻りは、初重・二重共並行垂木、三重は扇垂木で、屋根を大きく見せる工夫がされている






「忠魂碑」の奥に見えるのが本堂



「手水舎」



「洗應揖(洗って応に揖すべし)」



「香炉」



「本堂(観音堂)」  本尊 十一面観世音大菩薩を祀る
享保6年の建立、五間四方濡縁付きの密教建築



成田国際空港からの旅客機が本堂の上空を飛び立っていく



山号「天応山」の扁額。



「芝山天神」



「山王社」



再び大好きな三重塔へ






撮影 平成30年10月7日

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