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【書評186】   日本文化の核心   松岡正剛 著  講談社現代新書   2020年3月

2024-05-07 21:39:08 | 書評
 松岡氏の著作で私が書評に挙げたのは2020年12月掲載【書評114】『山水思想~「負」の想像力~』だった。これは、大陸で発達した水墨画における自然と人間界の関わりあいかたを貫く「気」及び、「気が日本人の精神世界に及ぼした影響」から説き起こし、日本文化の捉え方・掴まえ方における西洋的バイアスに疑義を呈し、それが明治以降の学校教育に及ぼしたマイナスを論じている。

 本書は「山水思想」に始まり松岡氏が長年温めてきた『文化総体のとらまえかた・切り口』はどうあるべきか?このテーマをさらに深く問い直した成果だ。本書で氏はこれまでの「情報と編集工学」に
加え「フィルター」「ミニマリズム」「エンコードとモード」と呼ぶ様々な多角的切り口で<日本文化とはなにか><どうアプローチすればよいか>に迫ろうとした。
 その遍路は実に広範囲にわたり、大陸文化との対比をふまえた特異性を拾いながら日本の歴史を歩んでくれる。16講に分けた章立てのうち12講までが日本文化固有の特徴についての考察であり、
『なるほど、そういう観かたがあるか!』と気づかせてくれた。 高校もしくは大学教養課程の副教材に本書は最適じゃないか?と感じた次第。

 具体的な流れとしては、稲作&漢字伝来後に生まれた≪実りと祈り⇔神道≫≪道教・仏教伝来後の闘争を経た神仏習合=本地垂迹≫≪神仏習合で得た二項対立回避の知恵≫その延長でもある
≪間・拍子・五七調≫≪霊を運ぶ器≫へ。これらが中世の武家政権誕生後は(皇室・公家・武家)対立共存下において、それぞれの社会の中で【家・イエ・家元】意識を生んだ。
ここまでは社会学的な切りくち。   13講以降は松岡氏の唱える『編集工学』アプローチでみた現代世相解析なので割愛する。

 12講までで私が注目したのは第9講の「まねび/まなび」だ。松岡氏は北条泰時による「御成敗式目(貞永式目)」が推し出した(道理による政治)理念の独創性を先達とともに評価したものの、
体系的な論理性に欠けたため、西洋における法令体系ほどの安定性をもつに至らなかった点を惜しむ。この欠点ゆえ、室町から江戸にかけて続いた「武家諸法度」は理念なき行政規範と堕した。

 それゆえ明治以後は①理念なき実学吸収に走り、②精神性の空白を教育勅語で埋めることとなる。この指摘は大変示唆に富んでおり、伊藤博文が欧州視察で、宗教なき日本には精神的支柱がないことに気づき、天皇をドイツ帝国の皇帝に似せた存在として掲げた経緯に相似形である。ここでもまた、ヤマト建国以来続く「Dual standard」「Re-Mix」「Minimal Possible」が明治維新以降も繰り返された。
飛鳥・奈良時代から何も変わっていないのだ、日本民族は。 言い換えると、この変わらぬ対応スタンスこそ日本文化なのだ、ということだろう。
 何よりも私が注目したいのは、著者が<①はGlobalism 迎合 ②はNationalism 志向へ傾く>と喝破していることだ。 この指摘は過去に留まらず、今後の日本への警鐘でもある。   < 了 >
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