静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

<家族は国家の基本単位>という有害なウソは捨てよう   ウソをなくさねば いつまでも多様性ある社会を実現できない

2024-05-16 05:49:56 | トーク・ネットTalk Net
◆ 「なぜ日本のマスコミは権力に弱いのか」⇒「なぜ日本人は集団に弱いのか」そのまま!
・ 一昨日(2024.05.14.)『政権におもねるマス・メディア 民主主義を守る砦にはならず?』と題して挙げた。1日おいて読み直してみると気づいた。
 「古賀氏の説明はメディア社会だけじゃなく、日本のビジネス社会の特徴そのままじゃないか!」と。 試しに10項目を並べてみるとわかりやすい。
   1.ジャーナリストである前に会社員 ⇒ <人間である前に会社員>または<人間である前に公務員> 
   2.記者クラブで談合 ⇒ <業界団体・同窓会つながりで便宜供与>
   3.報道ではなく取材先の後方に使われる ⇒ <自分で調べず、SNS含め他人の広げる情報で踊らされる>
   4.大手メディアは既得権層 ⇒ <大企業社員は給与・福利厚生・退職年金まで恵まれる既得権層>
   5.再販制度と軽減税率というアメ ⇒ <所得税ほか各種の大企業特典>
   6.放送法と電波法による脅し ⇒ <下請け切りの脅しで仕入れ価格たたき>
   7.権力が好きな低モラルの経営陣 ⇒ <そのまま>
   8.経営陣による同胞現場への介入 ⇒ <内部通報者・違法告発者への報復人事>
   9.スポンサーの影響排除にルールなし ⇒ <そのまま>
   10. 政党助成金に群がる広告代理店への依存 ⇒ <仕入れ保障協定に群がる下請企業の囲い込み>

* この10項目に共通するのは【自立した個人が集団と平等に対峙できない構造】から生まれている点だ。自立した個人が居ないのではなく、所属団体・国家の圧力が個人の自立を押し潰している
 <協調性で我慢><和を以て貴しとなす><訴訟を避けて示談で><家族は国家の基本単位>といった日本社会で美徳とされる既成概念と違う生き方を現在の日本社会は排除してかかる。
 「個人の自立」とは「多様性の尊重」があって初めて育まれるもので、幾ら掛け声で「多様性の尊重」を唱えようが、これらの既成概念が消えない限り、共存できないのだ。
  何度もこのコラムで繰り返してきたが≪ LGBT差別の撤廃 ≫≪ 同性婚 ≫≪ 夫婦別姓 ≫の受容などは、上に挙げた既成概念の拘束を解かねば実現できない。


* 先日、櫻井よし子氏が「家族が国家の基本単位という伝統が崩れるから」これらには反対すると述べていたが、「家族が国家の基本単位」ではない。それは人類普遍の価値でも伝統でもないのだ。
 家族を形成するため&子供を創るために結婚するのでもない。(嗚呼、この人と一緒に暮らしたいな)と思うから法制上(世帯)と規定される同棲生活を選ぶのであり、両親・親族ましてやクニの為に
 結婚するのでは断じてない! 思わなくなれば同棲を解消して離婚するし、子供が要らないと思えば作らない、持ちたい人は作ればよい。人口減少を個人の自由を縛る理由にしてはならない!
  
 以前も書いたが≪LGBT差別の撤廃≫≪同性婚≫≪夫婦別姓≫を実行する国々では本当に国家が崩壊してるか? とんでもない。<家族が基本単位>で縛らなくても社会は回るし国家崩壊していない。  
 この隠しようの無い事実を無視する櫻井氏他グループのウソ&暴論をいつまで国民はのさばらせるのか! 対抗手段? それは、こういったグループに共鳴する候補者を選挙で落とす。簡単だ。
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