◆ ≪AREA Dot.≫ 日本人は銃を持たない「美しい戦い」を目指せ 古賀茂明 要旨転載
アメリカという国は、暴力の国だから仕方ないのかもしれない。先進国でありながら、銃の犯罪が日常茶飯事という国はほかにない。そこには「暴力は悪」だという前提がないように見える。
暴力には「良い暴力」と「悪い暴力」があるという考え方の方が強いのではないか。正義のために悪と戦うのであれば暴力は正義となる。自衛のためであればもちろん、文句なく正義の暴力だ。
アメリカが世界中で常に戦争を起こし、あるいは関与し続けているのも、「正しい暴力」により正義を実現することが必要だという建前による。
アメリカ国歌は、おそらく世界で一番有名な国歌だろう。民衆が主役に見えるイベントでも、国歌は必ずその節目で主役に取って代わる。アメリカは分断されていると言われるが、この国歌の前では
その分断も覆い隠され、民衆は団結するように見える。 その1番と4番の和訳を「世界の民謡・童謡」ウェブサイトサイトから原文のまま引用しよう。
【1番】 おお、見えるだろうか、 夜明けの薄明かりの中 我々は誇り高く声高に叫ぶ 危難の中、城壁の上に 雄々しく翻(ひるがえ)る 太き縞に輝く星々を我々は目にした
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中 我等の旗は夜通し翻っていた ああ、星条旗はまだたなびいているか? 自由の地 勇者の故郷の上に!
【4番】愛する者を戦争の荒廃から 絶えず守り続ける国民であれ 天に救われた土地が 勝利と平和で祝福されんことを願わん 国家を創造し守り賜(たも)うた力を讃えよ
肝に銘ぜよ 我々の大義とモットーは 「我等の信頼は神の中に有る」ということを 勝利の歓喜の中、星条旗は翻る 自由の地 勇者の故郷の上に!
◎ 明らかに軍歌だ。この歌が流れると、民衆が主役だったイベントも国家が主役の「国威発揚のための軍国主義の式典」に転換する。 ただし、アメリカの独立のための戦争ではなく、アメリカ市民の
自由と人権(自然権)を求めた独立革命という意義を持つ。フランス革命と似ている。だからこそ、流血が美化されたのだろう。戦いの中には、「美しい戦い」があるのだ。
しかし、一度暴力を肯定するとそこに課されたはずの「正義のため」という制約は簡単に無視されるようになり、それが常態化する。
【A】 「美しい戦争」という概念は、戦争を否定する日本国憲法の前文や憲法9条の平和主義の精神とは全く正反対の考え方だ。
一方で、日本の国歌「君が代」が、主君の繁栄を祈る内容であるのはまた、逆の意味で米仏の国歌とは正反対だ。日本国憲法の国民主権や基本的人権の考え方にもそぐわない。
戦いを否定する一方で、主君の繁栄を祈る日本人は、自分たちの権利のために命懸けで戦ったことがない。アメリカ国民から見れば、血を流して権利を勝ち取る勇気がない国民は見下すべき存在
なのかもしれない。そういう日本の国民には、「与えられた範囲内での慎ましい幸福を与えてもらうことをアメリカにお願いする権利」しかないということになるのだろう。
政治的な意見を表明せず、決められたルールに従順に従う限りにおいて認められる「人権」。それは名ばかりのものだ。これだけ一般市民が虐げられ生活苦に陥っても立ち上がらず、
選挙では権力者を支持し続ける日本人。多少の不平不満は表明しつつも、結局は現状を維持することに汲々とする。 ← 御意!
日本がアメリカから学ぶべき点があるのも確か。それは「戦う」こと。だが、私たちは、決して銃をとって戦うという道を選ぶべきではない。
憲法で認められた正当な権利として、自由に意見を述べ、団結して行動し、投票によって自らの権利を実現していく努力を続けるべきである。それこそが「美しい戦い」である。
【B】自民党政府がアメリカ政府と「価値観を共有」して、憲法が否定する「戦争による紛争解決」への道、いわば「美しい戦争」の道を歩もうとしているが、
私たち国民は、その道を否定しつつも、真の「美しい戦い」を諦めない。そんな道を歩むべきだと思う。
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これは稀に見る名文による洞察であり、政治家は必読だ。 自民党政治を支持する伝統保守派の人には【A】を熟読いただき、日本はこのままで良いのかと自問自答してほしい。
アメリカという国は、暴力の国だから仕方ないのかもしれない。先進国でありながら、銃の犯罪が日常茶飯事という国はほかにない。そこには「暴力は悪」だという前提がないように見える。
暴力には「良い暴力」と「悪い暴力」があるという考え方の方が強いのではないか。正義のために悪と戦うのであれば暴力は正義となる。自衛のためであればもちろん、文句なく正義の暴力だ。
アメリカが世界中で常に戦争を起こし、あるいは関与し続けているのも、「正しい暴力」により正義を実現することが必要だという建前による。
アメリカ国歌は、おそらく世界で一番有名な国歌だろう。民衆が主役に見えるイベントでも、国歌は必ずその節目で主役に取って代わる。アメリカは分断されていると言われるが、この国歌の前では
その分断も覆い隠され、民衆は団結するように見える。 その1番と4番の和訳を「世界の民謡・童謡」ウェブサイトサイトから原文のまま引用しよう。
【1番】 おお、見えるだろうか、 夜明けの薄明かりの中 我々は誇り高く声高に叫ぶ 危難の中、城壁の上に 雄々しく翻(ひるがえ)る 太き縞に輝く星々を我々は目にした
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中 我等の旗は夜通し翻っていた ああ、星条旗はまだたなびいているか? 自由の地 勇者の故郷の上に!
【4番】愛する者を戦争の荒廃から 絶えず守り続ける国民であれ 天に救われた土地が 勝利と平和で祝福されんことを願わん 国家を創造し守り賜(たも)うた力を讃えよ
肝に銘ぜよ 我々の大義とモットーは 「我等の信頼は神の中に有る」ということを 勝利の歓喜の中、星条旗は翻る 自由の地 勇者の故郷の上に!
◎ 明らかに軍歌だ。この歌が流れると、民衆が主役だったイベントも国家が主役の「国威発揚のための軍国主義の式典」に転換する。 ただし、アメリカの独立のための戦争ではなく、アメリカ市民の
自由と人権(自然権)を求めた独立革命という意義を持つ。フランス革命と似ている。だからこそ、流血が美化されたのだろう。戦いの中には、「美しい戦い」があるのだ。
しかし、一度暴力を肯定するとそこに課されたはずの「正義のため」という制約は簡単に無視されるようになり、それが常態化する。
【A】 「美しい戦争」という概念は、戦争を否定する日本国憲法の前文や憲法9条の平和主義の精神とは全く正反対の考え方だ。
一方で、日本の国歌「君が代」が、主君の繁栄を祈る内容であるのはまた、逆の意味で米仏の国歌とは正反対だ。日本国憲法の国民主権や基本的人権の考え方にもそぐわない。
戦いを否定する一方で、主君の繁栄を祈る日本人は、自分たちの権利のために命懸けで戦ったことがない。アメリカ国民から見れば、血を流して権利を勝ち取る勇気がない国民は見下すべき存在
なのかもしれない。そういう日本の国民には、「与えられた範囲内での慎ましい幸福を与えてもらうことをアメリカにお願いする権利」しかないということになるのだろう。
政治的な意見を表明せず、決められたルールに従順に従う限りにおいて認められる「人権」。それは名ばかりのものだ。これだけ一般市民が虐げられ生活苦に陥っても立ち上がらず、
選挙では権力者を支持し続ける日本人。多少の不平不満は表明しつつも、結局は現状を維持することに汲々とする。 ← 御意!
日本がアメリカから学ぶべき点があるのも確か。それは「戦う」こと。だが、私たちは、決して銃をとって戦うという道を選ぶべきではない。
憲法で認められた正当な権利として、自由に意見を述べ、団結して行動し、投票によって自らの権利を実現していく努力を続けるべきである。それこそが「美しい戦い」である。
【B】自民党政府がアメリカ政府と「価値観を共有」して、憲法が否定する「戦争による紛争解決」への道、いわば「美しい戦争」の道を歩もうとしているが、
私たち国民は、その道を否定しつつも、真の「美しい戦い」を諦めない。そんな道を歩むべきだと思う。
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これは稀に見る名文による洞察であり、政治家は必読だ。 自民党政治を支持する伝統保守派の人には【A】を熟読いただき、日本はこのままで良いのかと自問自答してほしい。