静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

日本人はアメリカ人が陶酔する「正義の暴力」に追随すべきではない

2024-07-30 14:33:56 | 時評
◆ ≪AREA Dot.≫ 日本人は銃を持たない「美しい戦い」を目指せ  古賀茂明  要旨転載
 アメリカという国は、暴力の国だから仕方ないのかもしれない。先進国でありながら、銃の犯罪が日常茶飯事という国はほかにない。そこには「暴力は悪」だという前提がないように見える。
 暴力には「良い暴力」と「悪い暴力」があるという考え方の方が強いのではないか。正義のために悪と戦うのであれば暴力は正義となる。自衛のためであればもちろん、文句なく正義の暴力だ。
 アメリカが世界中で常に戦争を起こし、あるいは関与し続けているのも、「正しい暴力」により正義を実現することが必要だという建前による。

 アメリカ国歌は、おそらく世界で一番有名な国歌だろう。民衆が主役に見えるイベントでも、国歌は必ずその節目で主役に取って代わる。アメリカは分断されていると言われるが、この国歌の前では
その分断も覆い隠され、民衆は団結するように見える。  その1番と4番の和訳を「世界の民謡・童謡」ウェブサイトサイトから原文のまま引用しよう。

【1番】 おお、見えるだろうか、 夜明けの薄明かりの中 我々は誇り高く声高に叫ぶ 危難の中、城壁の上に 雄々しく翻(ひるがえ)る 太き縞に輝く星々を我々は目にした
    砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中 我等の旗は夜通し翻っていた ああ、星条旗はまだたなびいているか? 自由の地 勇者の故郷の上に!
【4番】愛する者を戦争の荒廃から 絶えず守り続ける国民であれ 天に救われた土地が 勝利と平和で祝福されんことを願わん 国家を創造し守り賜(たも)うた力を讃えよ
    肝に銘ぜよ 我々の大義とモットーは 「我等の信頼は神の中に有る」ということを  勝利の歓喜の中、星条旗は翻る  自由の地 勇者の故郷の上に!
   
◎ 明らかに軍歌だ。この歌が流れると、民衆が主役だったイベントも国家が主役の「国威発揚のための軍国主義の式典」に転換する。 ただし、アメリカの独立のための戦争ではなく、アメリカ市民の
  自由と人権(自然権)を求めた独立革命という意義を持つ。フランス革命と似ている。だからこそ、流血が美化されたのだろう。戦いの中には、「美しい戦い」があるのだ。  
  しかし、一度暴力を肯定するとそこに課されたはずの「正義のため」という制約は簡単に無視されるようになり、それが常態化する。

【A】 「美しい戦争」という概念は、戦争を否定する日本国憲法の前文や憲法9条の平和主義の精神とは全く正反対の考え方だ。
 一方で、日本の国歌「君が代」が、主君の繁栄を祈る内容であるのはまた、逆の意味で米仏の国歌とは正反対だ。日本国憲法の国民主権や基本的人権の考え方にもそぐわない。
 戦いを否定する一方で、主君の繁栄を祈る日本人は、自分たちの権利のために命懸けで戦ったことがない。アメリカ国民から見れば、血を流して権利を勝ち取る勇気がない国民は見下すべき存在
 なのかもしれない。そういう日本の国民には、「与えられた範囲内での慎ましい幸福を与えてもらうことをアメリカにお願いする権利」しかないということになるのだろう


  政治的な意見を表明せず、決められたルールに従順に従う限りにおいて認められる「人権」。それは名ばかりのものだ。これだけ一般市民が虐げられ生活苦に陥っても立ち上がらず、
  選挙では権力者を支持し続ける日本人。多少の不平不満は表明しつつも、結局は現状を維持することに汲々とする。  ← 御意!

   
  日本がアメリカから学ぶべき点があるのも確か。それは「戦う」こと。だが、私たちは、決して銃をとって戦うという道を選ぶべきではない
  憲法で認められた正当な権利として、自由に意見を述べ、団結して行動し、投票によって自らの権利を実現していく努力を続けるべきである。それこそが「美しい戦い」である。

  
【B】自民党政府がアメリカ政府と「価値観を共有」して、憲法が否定する「戦争による紛争解決」への道、いわば「美しい戦争」の道を歩もうとしているが、
  私たち国民は、その道を否定しつつも、真の「美しい戦い」を諦めない。そんな道を歩むべきだと思う。

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 これは稀に見る名文による洞察であり、政治家は必読だ。 自民党政治を支持する伝統保守派の人には【A】を熟読いただき、日本はこのままで良いのかと自問自答してほしい。
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7月29日:最高気温41.1°C<栃木県佐野市> 過去最高記録更新の日は近い!  ・・・と、喜ぶわけにはいかず  これはオリンピックじゃない!

2024-07-30 07:56:55 | トーク・ネットTalk Net
★ イメージしていた姿に日本の気候が変わった。40°C超えが頻発する夏だ。高温化だけでなく夏の長期化も年々顕著になった。春と秋が短くなり冬が暖かくなっている。誰も否定しようがない。
  気温&海水温の上昇が農林水産業に及ぼす影響は絵空事じゃなく眼前の事実となり、経済活動の根底を変える事態となっている。農林水産業への影響に加え、降雨量の増大は日本だけでなく
  世界中で大規模な水害や土砂災害を起こしている。この被害は今後ますます悪化してゆくだろう。見たくない現実だが、容赦なく人間の毎日を変えている。目を背けたくても目は閉じられない。

☆ 今や、熱帯にあるシンガポール(星港)や東南アジア諸国の最高気温は東京や大阪ほか、西日本各地よりも低い。東北から北海道でも最高気温はどんどん更新されている。信じがたいことだが、
  温帯での気温上昇が熱帯を上回り、逆転したのだ。1980年代後半、星港に住んだ私にとり此の逆転現象はまことに衝撃であり、今昔の感は感傷ではなく、重い悲嘆を伴う。
   
★ 地球の温暖化が始まったのはざっと言って1980年代に入ってからだろう。70年代以前は戦後の経済回復が未だ拡大基調の緒に就いたばかりで、産業活動の排出物も多くはなかった。
  それは日本ばかりでなく、世界各国が同様の歩みだったと思う。日本は空襲爆撃で破壊された工業基盤をゼロから復元しようとしたので、他国よりも産業廃棄物の排出スピードが速くなり、
  「公害 Kogai」を世界に先駆けて発生させる顛末となった。幸い、日本は苦しみながら公害防止に成功し、他国の模範となれた。後遺症はあるが、不幸中の幸いとは此のことだ。
   おまけに90年代以降の経済停滞が産廃排出を抑え、2011年の震災以降、原発に依存せずとも電力を賄える皮肉な現実をもたらした。

☆ 然し、世界全体は足踏みする日本を尻目に経済拡大を続けており、人口も増えているので産廃排出に加え、食料創出のためのエネルギー消費も増え続けている。気温&海水温上昇から日本列島
  だけ逃れることはできない。唯一の希望は世界の人口が減るとの予測だが、それは今世紀末のハナシ。あと75年もある。75年前の1950年、世界人口は25億人、2022年は80億人で3.2倍に。
  
◆ 今世紀末までに地球環境はどうなるのか? 南極と北極の氷が融ける速度は上がり、海面上昇は海水温上昇をさらに加速させるだろう。世界各地の水没面積と喪失人口の予測が出ているが、
  どれほど人口減少に寄与するか? 2050年の予測は90億人となっている。仮に第三次世界大戦が核戦争となり人口が大幅に減ったとしても、核廃棄物にまみれた地上は生存できる環境ではない。
   核戦争にならずとも、増えすぎた人類は、ネズミ駆除の成功報酬の約束を破られた『ハーメルンの笛吹き男』に導かれる子供達のように意図せぬ集団自害に追い込まれるのだろうか?
             おそらく2050年まで私は生きられそうに思えないし、生きたくないので、地球の地獄を見ずにオサラバできるだろう、と思いたい。
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