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保守はゴジラの夢を見るかⅣⅩⅡ

2014年07月17日 | 歴史
 戦争が終わった時、「日本はこれからそこそこ食っていける貧しい国でよいのだ」というのが勝った連合国側の共通スタンスでした。
変に産業を残すとまた戦争を始めるかもと考えるのが勝った側の当たり前の理論です。それをひっくり返して「日本はある程度強くないと困る」と思い直したのです。
冷戦が始まってソ連をある程度封じ込めることが何よりも重要になったからです。これは1948年に大きな変換がありました。しかし、日本はそれに気づきませんでした。
なぜならその前にマッカーサーは自分の野心のために寛大な占領をしていたからです。1948年以前の寛大な占領は現地の司令官が勝手にやったことなのです。
それが1948年を境にアメリカの公式見解にすり替わりました。ところが日本人の目から見ればマッカーサー=アメリカです。すり替わったなんて分かりません。
「冷戦が始まる前からアメリカは我々に親切にしてくれたじゃないか」その通りです。ところが裏の動機はここで大きく変わっていたのです。
それに気づきませんでした。
いずれにせよ戦後日本ではアメリカとの一体化が理想で「そうすれば戦前の罪状は帳消しになる」「いや戦前に目指した理想も達成される」と考えました。
しかも今度は”平和国家”「良いことずくめ」、そういう発想が強かったのです。この物語、あまりにリアリティーがないので幻想と言っても良いでしょう。
この幻想を信じる上で邪魔になるのが”日本のナショナリズム”でした。何せ戦前は日本中心に考えていたわけですから。
戦前の日本では欧米化を進めるグローバリズムとアジア主義にこだわる帝国主義路線の対立がありました。ここからアジア帝国主義路線が切り落とされます。
戦後日本ではかなり長い間、今でも大半はナショナリズムとは悪いことだとされました。日本人はますますグローバリズムと相性が良くなります。
しかも戦争に負けた直後は日本は国際社会の一員ではありません。アメリカを初め、どこの国とも外交関係を持っていません。
その頃の外交関係は占領軍を通じてしか行えません。しかも国内は極貧です。
「こうなったら国際社会にもう一度受け入れてもらって、貿易促進をやる以外復興、発展の道はない」
「自由主義を信じて国のあり方を変えていき、ひたすら貿易促進、自由貿易、それ以外日本が生き延びる道はない」と言う発想になったのもよく分かります。
日本では近年15年の長きにわたり構造改革が叫ばれています。考えてみれば占領期の日本ではGHQ主導による大規模な社会改革が行われていたのです。
これこそ日本社会の構造を根本から変えてしまった物です。構造改革のルーツでしょう。
しかし、この戦後の物語には冷戦の勃発によってあっさりつじつまが合わないことが分かります。
アメリカ主導で世界が一つになるのなら、どうして米ソは対立しているのでしょう。
本来ここで”アメリカ=全世界”なのですから「日本はアメリカと一体化すれば良い」と言うパラダイムは崩壊して当然でした。
そこは日本人の器用なところで、上手にこれを切り抜けてしまうのです。実際にはアメリカの世界戦略につきあっています。追随しています。
しかし、「自分たちは未来を目指す平和国家なのでこういった国際社会の対立とは無縁」、
もしくは「過去の対立から足を洗って一段上のレベルでおります」という顔もします。
もちろんこれは建前で、日米安保条約があり、在日米軍がいることからも本音はアメリカ側に付いています。ダブルスタンダード、二枚舌です。
これが上手くいってしまうのです。
敗戦のショックから新しく信じようとした物語が占領政策転換までで3年、朝鮮戦争勃発までで5年でまたつぶれたというんじゃ精神的に非常に悪いのです。
「そんなことはない、まだまだこの物語は有効だ」と信じる方が楽であった事は間違いありません。
しかも、ここで皮肉なことに冷戦の深刻化、特に朝鮮戦争の勃発によって日本経済は復興のチャンスをつかむのです。
本来自分たちに都合の悪かったことによって大きく得をすることになります。
もし冷戦が起きなかったら、日本が思い描いていた通り連合国が一枚岩だったなら、戦後日本はこれほどまでに発展しなかったでしょう。
ポツダム宣言には「日本は”平和的産業”以外持ってはいけない」と書いてあるからです。
”平和的産業”とは、重工業は全て戦争目的に使用できるので、第一次産品、農水産物を輸出する「永遠の途上国でいろ」という含みがありました。
現在の経済大国日本は冷戦のおかげで生まれたのですが、建前上自分たちは国家間の対立は超越したという顔をします。
そこが戦後日本のおもしろい所であり、根本的矛盾であります。ただし、この矛盾を日本人は死守しようとするのです。なんでそれほどまでに懸命に守るのでしょうか。
根底に非常に重要な守るべき必要性があるからです。それが「敗戦の屈辱を忘れたい」という欲望です。しかし、抑圧された物は必ず甦るのです。
それは「敗戦がまた帰って来るんじゃないか?」という不安です。これは戦後ずっと取り憑かれているのです。「第二の敗戦」です。
左翼の言う「この道はいつか来た道」です。「また戦争をしちゃうんじゃないか」。言い換えれば「また負けるんじゃないか」ということです。
「今度は勝てるだろう」とはけっして思えないのです。日本人は「第二の敗戦」を恐れ続けるのです。日本の復興は朝鮮戦争を受けて軌道に乗ります。
独立回復も達成され、アメリカを中心とする西側諸国、自由主義陣営の一員として経済面でIMFに加盟でき、
GATTにも参加でき、輸出促進も達成し、高度成長が始まります。しかし、良いことばかりは続きません。1970年代半ばに最初の挫折が来ます。
石油ショックによる高度成長の終わりです。この時に「第二の敗戦」という言葉が登場します。次にバブル崩壊と阪神大震災の時にも「第二の敗戦」。
また、2010年代初頭東日本大震災とリーマンショックで「第二の敗戦」。なぜかいつも経済危機と天変地異が同時に来るのです。
おもしろいのはいつも第二であって第三、第四とはなりません。なぜかカウントは進まないのです。
結局日本人が感じるのは戦後の出発点で押さえつけた物、敗戦の経験、屈辱、衝撃が甦ってくるんじゃないかと怯えているのです。だからカウントは進みません。
おもしろいことにこの「第二の敗戦」が登場するたびに日本はいつも同じような方法で対処しだします。
それが新自由的な保守主義です。

☆お知らせ
カレンダー通りのお休み(日曜祝日)です。臨時の休診はここで随時お知らせします。
営業日の午後12時~午後4時は、手術、治療業務のため留守番電話にしている場合があります。
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