幼少の頃読んだ本にキングストン原作の「捕鯨少年ピーター」がある。いわゆる海洋冒険小説で少年ピーターが数々の苦難にもめげず経験を積み、大人へと成長する姿が描かれている。
調査捕鯨が禁止された。愛護団体などから合唱により世界の流れは禁止へと動いたのだ。団体にはシーシェパードなども含まれ日本の調査船への過激な暴行に効果があった。一時中国で発生した日本商店への略奪や国旗毀損行為が「愛国無罪」とされたのと同じ構図である。前述の小説では捕鯨の目的は鯨油を採る事であり肉などは捨てられていた。食肉はキリスト教の許す牛肉など宗教上の肉に限られ、すべて利用する日本の捕鯨は残虐なのである。200年前の英国や米国がどれほど文化的と言うのだ。外国の肉屋の店頭に豚の首が飾られているのは日本の魚の船盛と同じである。日本人は彼らの文化について裁判所に提訴していない。ピーターは捕鯨船に乗り人間として成長していくが、この小説は「発禁書」になったのだろうか?
もちろん資源の枯渇は万人の危惧するところである。西洋人の殺戮捕鯨ではなく、アメリカ人の旅行鳩絶滅でもなく、独自の道を歩めばよい。松岡洋右のごとく脱退すればよいが、総合的に考察するとそれも出来ぬ。敗戦国民はハムレットの心境である。
鯨、イルカ、すべて美味しい食材である。国によっては犬や蛇、鼠に虫さえ食材である。異常な愛護運動はヒス女の叫びである。と思うが諸氏は如何であろう?
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