まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

松本まち歩き(その4)

2024-09-12 18:23:25 | 建築まち巡礼中部 Chubu

先行して、松本まち歩き(その1)から(その3)で、建築の紹介をしました。ここからは、まち歩きの順路に沿ってまちの印象を確認していきます。スタートはJR松本駅でした。明るい屋根(張弦梁ですね)が迎えてくれました。部材を細くして自然光をたっぷり入れようという発想でしょう。

バスやタクシー上屋もすっきりとして、いわゆる機能的な形態です。いろいろごちゃごちゃした感じがないということで、まずは好印象を持ちました。

最初に向かったのは、閉鎖が決まったという地元百貨店。

中は、いわゆる従来型の百貨店ですね。懐かしい。

廻りには立体駐車場や地下駐車場も完備しており、車のアクセスの問題ではないのでしょう。つぶれるわけではなく、郊外店に経営を集中するということです。中心市街地で、従来のように「ものだけを売る」というスタイルは難しいということでしょう。

続いて、閉鎖が決まっているパルコへ。

広場もあり、人が集まることもできそうです。スケートボード禁止の看板が出ていますが、若者も集まれるように工夫すれば、跡地はうまく活用できるように思いました。周りも歩車共存方式で、ゆったりと歩ける雰囲気になっています。

電柱や電線もなく、道路空間の整備に力を入れていることが分かります。その印象はまち歩きを通して、変わりませんでした。

サインなどストリートファーニチャーも、きちんと整備されています。教科書に出てきそうなサインです。緑も充実しています。

竹中工務店設計の開運堂です。竹中工務店らしい、端正で静かな存在感のある建築です。

この近くに、伊東豊雄さん設計の信濃毎日メディアガーデンがあります(松本まち歩きその1)。まずはお城に向かって歩きます。外堀のような位置に女鳥羽川。

 

橋詰に、竹山聖さん設計の商業ビルがあります。目立っています。川の方にもう少しオープンにな表情を見せるというのもあったのではないか・・などと思いました。

お城に向かう道も、電線などなくまた歩道もきちんと整備されています。これは旧第一銀行。1938(昭和13)年、古典建築の持つスタンダードな様式からは遠く離れていますが、アーチで列柱的な表現を取るなど、古典主義の香りも残していて、面白い建築です。今もうまく使われているようでした。

こんな面白い建物もあります。いいですねー。つくった人の気持ちが伝わってきます。お城が大好きなんだと思います。

松本城は、大混雑でした。すいている時間を狙っても30分の待ち時間でした。でも見る価値ありです。

お堀端には、市役所と日本銀行が並んでいます。昭和30年代にできた比較的新しい「官庁街」です。これは日本銀行。時代的にも、古典主義とは遠いところにいるはずですが、まちに対する格式の作り方、威厳ある構え方などは、辰野金吾設計の本店(オーダーを持つ正当な古典様式)に始まる日本銀行の精神が流れているのですね。

松本は面白い建築の宝庫ですが、お城の廻りも楽しく歩けます。コーヒーが飲める本屋さんのようです。何か小物も売っています。

楽しそうなお店がたくさんあります。そういえば赤い郵便ポストをいろいろなところで見かけました。

 

弁護士さんあるいは会計士さんの事務所のようでした。蔵の改装ですね。

大正から昭和にかけてはやった玄関わきに洋間のある住宅です。

いろんなところに地下水を利用した水場があります。アルプスの伏流水ですね。水路も保全されています。

少し傾いていますが、ちゃんと使われているようです。味があります。

実は、お城周辺から上土通りをめざしてきました。ありました、映画館!

こういう映画館だったのです。電気館という名前からして、明治初期からの古い映画館であることが分かります。建物は、少し後のものでしょう。上の写真の左隣の建物が、今なお、下の写真のような雰囲気を伝えています。

中をのぞくとこんな感じ。一昨年?になりますが、東北公益文科大と松本大学の交流の一環で、映画館の保全運動をしている方々に、私が関わった鶴岡まちなかキネマの話をさせていただきました(ZOOM会議)。私の話は、どうしても建築の文化的な価値を継承するという話になってしまい、お役に立ったかどうかわかりませんが、何とか映画館活動が存続し、建築も再生されることを願っています。

それにしても面白い通りです。観光マップには「大正ロマンの街」と書かれています。よく見ると本当に楽しく自由に工夫されたデザインにあふれています。

 

左の建物は、古典主義的でいて、実はまったく自由な造形です。一番右(上写真と同じ建物です)は、タイルの使い方などから西欧の美術・建築史に対応させるとアールデコということになるのでしょうが、自由にいろんな要素をちりばめてデザインしたということでしょう。

下の写真には驚きました。松本市営住宅!と看板には書いてあります。かつてここには昭和30年代まで市役所があったそうです。

その市役所が下の写真です。これも実に面白い。

観光名所の縄手通りにも要所要所には水と緑が用意されています。

何か、カエルにいわれがあるようです。

女鳥羽川の南に東西方向に中町通があります。ここは、蔵造り、なまこ壁のまち並だそうです。江戸や明治の大火後に蔵造りになったようです。

蔵シック館というのがありました。

高山や北陸の町家と同様に、吹き抜けが素晴らしい。

日替わりショップのようでした。

本当にいろいろな建物があり、見飽きることがないですね。

 

関東大震災後から昭和の前期にかけてはやった看板建築(下写真)がここにもあります。木造家屋の前に壁を建てて、洋風建築を作っています。自由な造形に目を奪われます。最上部の縁取りは、古典建築でいうとコーニスというところでしょう。その下にはデンティルという垂木の小口のようなものが来ることが多いのですが、ここには卵型が並びます。卵型はオヴォロという名前で、古典主義建築の柱頭に飾られますが、ここでは自由に屋根型をかたどっています。雷紋もあります。薬という漢字もデザインに取り込んでいます。素晴らしい。

 

いわゆる白壁の街並みもありました。腰はなまこ壁ですね。

別の通りです。民家で本棟造りと呼ばれるような建築もありました。大きな棟端飾りは烏おどしと呼ばれるものです。本によると、信州松本平に多い建築だとのこと。本当に愉しいまちです。

最初に書いたように(松本まち歩きその1)、大型店が次々と閉店になるというので、まちがどのようになっているのか見たいと思い急遽訪れました。さびれているという印象は私にはありませんでした。逆に多くの古い建物がお店として再生活用されていること、水飲み場や用水路などの公共空間がきちんと整備され歩いて楽しいまちであることなど、プラスの印象が残りました。

確かに、ものを売ることに特化した大型物販店舗は郊外に出るしかないのでしょう。それはそんなに悪いことではないのではないか。地方都市中心部は、職住近接で、文化的な質の高いライフスタイルを求める人たちの住まいと生業の場となり、個性あるひと・ものの出会いの場、そして何か新しいものや文化をつくり出す場として再生していくことになると私は思います。松本はその最先端にいるような印象を持ちました。

例えばパルコにしても、その前にある広場や歩行者空間、周辺の面白いお店等と一体のものとして、再生していく道はあるのではないかと思いました。こういう課題こそ、将来の(中心部の生活スタイルに基づいた市街地環境のありかたについての)ビジョンと(空間的、マネジメント的)戦略・戦術を持つ都市デザインチームが、取り組むべき課題だと思いました。

とはいえ・・・観光客の無責任な感想の域を出るためには、もう少しこのまちのことをきちんと知る必要がありそうです。

 


松本まち歩き(その3)

2024-09-12 16:32:57 | 建築まち巡礼中部 Chubu

松本に来ると誰もが訪ねるのがお城とこの開智学校でしょう。

ただ残念なことに、ただいま耐震補強工事中で閉鎖されています。いわゆる擬洋風の建物ということです。昔は、物真似のキッチュなものという見方が多かったと思いますが、最近は洋の建築に接した明治の人たちが、創意工夫を凝らして作り上げた一つの作品としてきちんとした評価がされているように思います。設計は立石清重、1986(明治9)年ですから、本当に「文明開化」の時代の産物です。

擬洋風とは言うことで、壁を石積みのように見せたり8角の塔や、玄関のポーチが合ったりしていますが、細部は日本の伝統建築だともいえます。唐破風や龍の彫刻などは寺院にもあります。また天使が持っている看板も、懸魚の一種ともいえます。いろいろ試行錯誤を繰り返したのだと思います。中が見られないのが残念ですが、机やいすは、隣の旧司祭館に展示してありました。かわいい家具です。いきなり、椅子と机で勉強したんですね。

旧司祭館は1989(明治22)年の建物。フランス人の神父さんが設計したそうです。アーリーアメリカン(コロニアル)様式とのこと。

確かに、下見板張りで、ヴェランダもあります。

ただ、縦長の窓や、下写真の2階屋根の破風など、古典主義的な香りもある・・・と藤森照信先生の解説がありました(コピーをして来ればよかった!)。

「古典様式(クラシシズム)」としてみると、屋根の軒の水平要素(コーニスなどで構成されるエンタブラチャー)を断ち切るように三角形の破風(ペディメント)があるなど、オーソドックスではなく、設計した神父さんの自由な造形だと思います。もちろん、切妻破風を両端で支える持ち送りなどは古典様式の柱(オーダー)の柱頭になっているので、その下に付け柱があれば、立派な古典様式です。

そのあたりのことを藤森先生は述べておられるのかもしれません。ヴェランダについても、藤森先生の解説をお聞きしたいと思いました。

高谷時彦

建築・都市デザイン

TAKATANI Tokihiko

architect/urban designer