2021年7月10日(土)一時雨後晴れ
この日は「水無集落跡・旧登山道整備プロジェクト」による第一回目の登山道整備が行われる予定でしたが、雨のため中止となりました。
(後で聞くと、S氏とH氏は雑誌「のぼろ」の方を水無へ案内・整備していたそうです)
この日は作業するつもりでいたので、超真面目な私達は😄 山へ行くこともせず、自主的にアジサイの花がら剪定をすることにしました。
一週間前にS氏が手を付けた残りを、全部綺麗に「やっちまおうぜ」のつもりでしたが、少し残りました。
9時前に作業開始の時からすでに雨。

小雨が大雨になり、下着までべちょべちょのずぶ濡れになったので、やめようかとも思いましたが、作業そのものが楽しくなり、頑張っていたら晴れてきました!
濡れた体に風が通って気持ちよく、3時間の作業がはかどりましたよ。
急斜面なので、足を踏ん張っての作業です。
花の下、2節目か3節目に芽があることを確認して、芽の数センチ上でカットします。
一株が大きく、花数が多いので、意外と時間がかかりましたが、一本一本丁寧に行いました
花が付いていない枝はそのまま残します。

青空が広がったところで、疲れてお腹もすきました。
時計を見ると12時を過ぎていたので、今日はここまでです。

花がらは下に落としたままで、ごめんなさい。
帰ります。

「水無集落跡・旧登山道整備プロジェクト」について
「かつてそこに水無集落があった!」(往還倶楽部H氏より)
今年五月末に「山の図書館」に、かつて水無集落で生活していた土地所有者の方から、この地を自然を生かして登山者の皆さんの役に立ててほしいとの相談が持ち込まれました。
現在の井原山・水無登山口駐車場から野河内渓谷方面へ延びる林道を少しくだると林道が崩落している場所がありますが、そこの北側方面一帯が、元の水無集落があった場所です。
戦後間もない頃は10軒ぐらいの住人がいたそうですが、一人去り、二人去り、ここに住む人はいなくなりました。
また、昭和30年代から40年代は井原山への登山者が休憩の場所として利用されていたそうです。
また、昭和30年代から40年代は井原山への登山者が休憩の場所として利用されていたそうです。
今ある林道は昭和50年代に作られた林道で、当時は途中に架かる橋「室見川橋」の袂までで、渓流の周辺に田んぼと畑で八町歩あまりの土地があったそうです。

7月初めには土地の所有者さん、各山岳会、植物の専門家、大学教授等の協力を得て、下見・調査が行われました。

その結果は以下の通りです。(簡略に記載)
今は、大木が茂り藪になっていましたが、ところどころ畑の跡と思われるところは草が生い茂っていますが、木は生えていません。集落があった場所は階段状に石垣が残っています。旧登山道は、その集落の中を通るようになっています。
そこで、水無地域の自然環境維持を中心に考えて、水無集落跡へ続く林道ならびに集落跡の整備は,むしろ極力実施せず,安全・清潔を保てる範囲にとどめるくらいがいいという見解です。


糸島市役所の農林水産課、建設課に確認を取ると、このような里道はそこの住民の管理に任せるとのことで、登山道として利用できるように道を整備するくらいであれば問題ないようです。
(web上ではこのような記載もありました)