元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

幸福の科学はどんな修行をしているの? 清水富美加さん出家で注目

2017-02-16 12:36:06 | 日記


http://the-liberty.com/article.php?item_id=12590

女優・清水富美加さんが幸福の科学に出家することが報じられ、幸福の科学の「出家」や「修行」とはどのようなものかについて注目が集まっている。

これについて、宗教学者の島田裕巳氏が、テレビ朝日の情報番組で「幸福の科学は、研修はやっているが、お坊さんという人がいるわけではないので、修行というものはやっていない」「聖職者みたいな人はいない」などと発言した。

一般的に、宗教の修行といえば、滝に打たれたり、座禅を組んだり、千日回峰で山を歩くといったことを思い浮かべる人が多いかもしれない。
「修行をしている」ことが目に見えて分かりやすいし、実際に、心身を鍛える効果がないとは言えない。

だが、そうした「修行」をしていたとしても、「千日回峰を達成して名声を得たい」という欲望が渦巻いていたり、普段、他の人の目の届かないところではふしだらな生活をしていたりしたら、修行者としての尊さは感じられないだろう。


◎修行の目的とは

そもそも、宗教の修行とは何のためにあるのか。
仏道修行の目的は、欲望や迷い(煩悩)を断ち、仏に近づいていくことにあるとされる。

毎日の生活の中で、嫉妬で心が揺れたり、欲望が満たされないことに苦しんだり、失恋や仕事の失敗などでショックを受けたりすることは誰にでもある。そうして心に迷いや悩みがあると、気持ちが沈んで毎日が重苦しくなるし、眠れなくなることだってある。
修行を重ねることで、同じような苦しい出来事に直面しても、他の人よりも軽やかに乗り越えていけるようになる。

幸福の科学における修行の目的も大きくは変わらないが、自らの思いや行いを神様、仏様と呼ばれる理想の存在に近づけていき、「智慧」を得ることを重視する。
智慧は「高い認識力」といってもよいし、宗教的には「悟り」という言葉で表現されることもある。

この「智慧」を得れば、自分の悩みを解決するだけでなく、さまざまな逆境や苦しみの中にある、他の人々をも救えるようになる。

「智慧」を獲得するために修行しているならば、滝行や千日回峰は合理的ではないだろう。


◎幸福の科学の修行スタイル

では、幸福の科学ではどんな修行をしているのか。

まずは、教えを学び、神仏の願いや考え方を知る「教学」。幸福の科学では、どのような考え方をすれば幸福になれるのかという「心の教え」を中心に、仕事や経営の指針、政治、経済のビジョンなど、さまざまな教えが説かれている。その一部が、2100冊を超える大川隆法・幸福の科学総裁の経典や霊言として発刊されている。これをしっかり学ぶことが基本となる。

そして、毎日の生活の中で、教えを実践していく。例えば、心の教えに基づいて、「人の悪口を言わないようにしよう」「ライバルの成功を一緒に喜んであげよう」など、自ら目標を立てて実行する。

一日の終わりには、一人で静かな時間をとって、自分で決めた目標が守れたか、他人への嫉妬心や欲望など、神様に見られて恥ずかしい思いが浮かばなかったかなどを反省し、瞑想で雑念を取り払う。

現在、ビジネスの世界でも「マインドフルネス」と呼ばれ、瞑想が注目されているが、宗教の瞑想は、神様やあの世の存在を前提とし、自分を導いてくれる守護霊、認識の高い霊人たちと一体となることを目指す。

その上で、「もっと理想に近づけるように」「もっと多くの人の幸福に貢献できるように」という祈りを捧げる。
こうした、反省、瞑想、祈りといった「精神統一」の修行は、心を整える上で欠かせない。

また、布教誌の配布や大川総裁の経典のお勧め、説法などを通じて教えを広げることも、修行のひとつ。説法や悩み相談などを行うと、本当に教えを理解していたかが問われ、自分の未熟さに気づかされる。

さらに、認識力が高まれば高まるほど、いろんな人の悩み解決の指針や、多くの人の幸福を左右する政治、経済の指針も示すなどして、人々を教化できるようになる。

幸福の科学の信者からは、「夫との関係がよくなった」「仕事で成功できた」という個人の悩みの解決はもちろん、「日本と世界の未来に対して希望が持てた」「日本の歴史に誇りが持てるようになった」という声も出ている。


出家者はプロの修行者であり聖職者

こうした修行のスタイルは、宗教になじみがない人にとっては分かりにくいだろう。

だが、成功している人を見ては嫉妬し、上司に叱られたら憎しみを持ち、仕事をしない部下に苛立ちを覚え、「相手が悪いから私が苦しむんだ」と考えている人と、「成功者を見習ってがんばろう」「仕事のやり方を見直し、上司の期待に応えよう」「部下を導ける人格者になろう」と努力を重ねている人とでは、10年、20年と経つうちに差が開き、まったく違う人生が開けていくことは間違いない。

幸福の科学の信者は、ごく普通の日常生活を送りながら、こうした修行を重ねていく。
その中でも出家者は、人生を神様のために捧げ、布教活動を含めた修行に専念する「プロの修行者」であり、神社の神主、お寺のお坊さん、キリスト教会の神父、牧師と同じく聖職者である。

宗教を外見でしか理解できない宗教学者に、「修行」の本質を語ってほしくはないものだ。

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2017年2月13日付本欄 清水富美加さんが宣言した、幸福の科学の「出家」って何?
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Web限定記事 釈迦の有名説法から見る、仏教の「幸福論」とは? 【幸福の科学「大学シリーズ」】
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8684


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