四七 木は (60) その3 2018.6.9
譲る葉のいみじうふさやかにつやめきたるは、いと青う清げなるに、思ひかけず似るべくもあらぬ茎の赤うきらきらしう見えたるこそ、いやしけれどもをかしけれ。なべての月ごろは、つゆも見えぬものの、師走のつごもりにしも、時めきて、亡き人の物にも敷くにやと、あはれなるに、またよはひ延ぶる歯固めの具にして使ひたンめるは、いかなるにか。「紅葉せむ世や」と言ひたるも、たのもしかし。柏木いとをかし。葉守りの神のますらむも、いとをかし。兵衛督、佐、尉などいふらむも、をかし。姿なけれど、すろの木、唐めきて、わろ家の物とは見えず。
◆◆譲る葉のたいへんふさふさとつややかなのは、とても青くて清らかな様子であるのに、それとは似合いそうもない茎が赤くきらきらと派手に見えるのは、品がないけれどもおもしろい。このゆずり葉の場合、普通の月には全く見られないものだが、十二月の晦日に幅をきかせて、亡き人の精霊に供える食物にも敷くのだろうかと、しみじみとした感じがするのに、一方では、寿命を延ばすおめでたい歯固めの食膳の品としても使っているようであるのは、いったいどういうわけなのだろうか(祝儀、不祝儀両方に使う)。「紅葉せむ世や」と歌にも詠まれているのも、頼もしいことだ。柏木はたいへんおもしろい。葉を守る神様がいらっしゃるようであるのも、たいへんおもしろい。兵衛督(ひょうえのかみ)、佐(すけ)、尉(じょう)などを柏木というようであるのも、おもしろい。木の格好は趣がないけれど、棕櫚の木は中国風で、下品な家の物とは見えない。◆◆
■譲る葉=ゆずり葉
■師走=亡霊は十二月末日午の刻に来て、正月一日卯の刻に帰るという。
■歯固めの具=新年の延寿の祝膳。肉や餅を食べ歯を食い固めたという。餅などにゆずり葉を敷いたのであろう。
■「紅葉せむ世や」=「旅人に宿かすが野の譲る葉の紅葉せむ世や君を忘れむ」(夫木抄・雑四)。常緑樹で紅葉しないからこういったもの。
■柏木=ぶな科の落葉喬木。
■木の葉を守る神=柏の葉は枯れても春まで落葉しない。「柏木に葉守の神のましけるを知らでぞ折りしたたりなさるな」(大和物語)
■すろの木=棕櫚の木
譲る葉のいみじうふさやかにつやめきたるは、いと青う清げなるに、思ひかけず似るべくもあらぬ茎の赤うきらきらしう見えたるこそ、いやしけれどもをかしけれ。なべての月ごろは、つゆも見えぬものの、師走のつごもりにしも、時めきて、亡き人の物にも敷くにやと、あはれなるに、またよはひ延ぶる歯固めの具にして使ひたンめるは、いかなるにか。「紅葉せむ世や」と言ひたるも、たのもしかし。柏木いとをかし。葉守りの神のますらむも、いとをかし。兵衛督、佐、尉などいふらむも、をかし。姿なけれど、すろの木、唐めきて、わろ家の物とは見えず。
◆◆譲る葉のたいへんふさふさとつややかなのは、とても青くて清らかな様子であるのに、それとは似合いそうもない茎が赤くきらきらと派手に見えるのは、品がないけれどもおもしろい。このゆずり葉の場合、普通の月には全く見られないものだが、十二月の晦日に幅をきかせて、亡き人の精霊に供える食物にも敷くのだろうかと、しみじみとした感じがするのに、一方では、寿命を延ばすおめでたい歯固めの食膳の品としても使っているようであるのは、いったいどういうわけなのだろうか(祝儀、不祝儀両方に使う)。「紅葉せむ世や」と歌にも詠まれているのも、頼もしいことだ。柏木はたいへんおもしろい。葉を守る神様がいらっしゃるようであるのも、たいへんおもしろい。兵衛督(ひょうえのかみ)、佐(すけ)、尉(じょう)などを柏木というようであるのも、おもしろい。木の格好は趣がないけれど、棕櫚の木は中国風で、下品な家の物とは見えない。◆◆
■譲る葉=ゆずり葉
■師走=亡霊は十二月末日午の刻に来て、正月一日卯の刻に帰るという。
■歯固めの具=新年の延寿の祝膳。肉や餅を食べ歯を食い固めたという。餅などにゆずり葉を敷いたのであろう。
■「紅葉せむ世や」=「旅人に宿かすが野の譲る葉の紅葉せむ世や君を忘れむ」(夫木抄・雑四)。常緑樹で紅葉しないからこういったもの。
■柏木=ぶな科の落葉喬木。
■木の葉を守る神=柏の葉は枯れても春まで落葉しない。「柏木に葉守の神のましけるを知らでぞ折りしたたりなさるな」(大和物語)
■すろの木=棕櫚の木