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永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(16)

2018年01月27日 | 枕草子を読んできて
七    うへに候ふ御猫は   その1  (16) 2018.1.27

 うへに候ふ御猫は、かうぶり給はりて、命婦のおとどとて、いとをかしければ、かしづかせたまふが、端に出でたまふを、乳母の馬命婦、「あな正無や。入りたまへ」と呼ぶに、聞かで、日のさしあたりたるに、うちねぶりてゐたるを、おどすとて、「翁まろ、いづら。命婦のおとど食へ」と意ふに、まことかとて、痴れ者は走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾の内に入りぬ。朝餉の間に、うへはおはしますに、御覧じて、いみじうおどろかせたまふ。猫は御ふところに入れさせたまひて、をのこども召せば、蔵人忠隆まゐりたるに、「この翁まろ打ちてうじて、犬島にながしつかはせ、ただいま」と仰せさあるれば、あつまりて狩りさわぐ。馬命婦もさいなみて、「乳母かへたむ。いとうしろめたし」と仰せらるれば、かしこまりて御前にも出でず。犬は狩り出でて滝口などして、追ひつかはしつ。
◆◆主上のおそばに伺候している御猫は、五位をいただいて、名を「命婦のおとど」いって、たいそうかわいいので、たいせつに養っておいであそばす、その猫が、縁先に出ていらっしゃるのを、お守役の命婦が、「まあ、お行儀の悪いこと。お入りなさいまし」と呼ぶのだけれど、聞かないで、日のあたって
居るところで、眠ってじっとしているのを、おどかすために、「翁まろ、どうしたの。命婦のおとどに噛みつけ」というと、本当かと思って、おろか者の翁まろは走って向かっていったので、ねこのおとどは怖がってうろたえて、御簾の中に入ってしまった。朝餉の間に、主上はおいでになっていて、ご覧になって、ひどくびっくりあそばされる。猫はご自分の懐にお入れあそばされ、殿上の男の人たちをお呼び寄せあそばすと、蔵人の忠隆が参上したので、「この翁まろを打ちこらしめて、流して犬島に追いやれ、今すぐ」とお命じあそばすので、集まって大騒ぎして追いたてる。主上はこの馬命婦をも責めて、「守役を変えてしまおう。ひどく気がかりだ」と仰せになるので、恐縮して御前にも出ない。犬は狩り立て見つけて、滝口の武士などに命じて追放なさってしまう。◆◆



 「あはれ、いみじくゆるぎありきつるものを、三月三日に、頭弁、柳のかづらをせさせ、桃の花かざしにささせ、梅腰にささせなどして、ありかせたまひし。かかる目見むとは思ひかけけむや」と、あはれがる。「おもののをりは、かならず向ひさぶらふに、さうざうしくこそああれ」など言ひて、三四日になりぬ。
◆◆「ああ、これまでたいへん得意げに身体をゆすって歩き回っていたのに、三月三日に、頭弁が、柳のかずらを頭にのせさせ、桃の花をかんざしとして挿させ、梅の枝を腰に差させなどしてお歩かせになりましたよ。こんな目にあおうとは思ってみただろうか」とみんなで気の毒がる。「皇后様のお食事の時は、必ず御前の正面に向かった伺候していたのに、いないのは物足りなくさびしいことだ」などと言って、三、四日になってしまった。◆◆



 昼つかた、犬のいみじく鳴く声のすれば、何ぞの犬のかく久しく鳴くにかあらむと聞くに、よろづの犬ども走りさわぎ、とぶらひに行く。御厠人なる者走り来て、「犬を蔵人二人して打ちたまふ。死ぬべし。ながさせたまひけるが、帰りまゐりたるとて、てうじたまふ」と言ふ。心憂の事や。翁まろなンなり。
◆◆お昼頃、犬がひどく鳴く声がするので、いったいどういう犬がこんなに長く鳴いているのであろうかと思って聞いていると、たくさんの犬どもが走りさわいで、見にたずねて行く。御厠人なる者が走ってきて、「犬を蔵人二人でお打ちになります。死んでしまうでしょう。お流しになったのが帰ってきたとて、お懲らしめになるのです」と言う。可哀そうなことよ。翁まろであるようだ。◆◆


■うへ=一条天皇。以下の事件は定子が内裏におられた長保二年(1000)三月中旬のことと推測される。
 定子は皇后になられたころ。

■命婦のおとど=猫の呼名。命婦はもと五位以上の女官の称。延喜以降は中臈女房をもいう。「おとど」は婦人の敬称。

■乳母の馬命婦(めのとのむまのみょうぶ)=猫の養育係。

■翁(おきな)まろ=宮中で飼われている犬の名。

■犬島=犬の流刑地。萩谷氏は淀の湿地帯の中州の島を当てる。

■滝口(たきぐち)=(清涼殿の東北隅の御溝水の落ちる所)に詰めている禁中警護の武士。蔵人所に属する。

■頭弁(とうのべん)=弁官で蔵人頭を兼ねている者。ここでは藤原行成。書家として高名。

■御厠人(みかわようど)=便器の掃除をする最下級女官。


                        

枕草子を読んできて (15)

2018年01月23日 | 枕草子を読んできて
六    大進生昌が家に  その3  (15)  2018.1.23

 姫宮の御方の童べの装束せさすべきよし仰せらるるに、「童の衵のうはおそひは何色にかつかまつらすべき」と申すをまた笑ふ、ことわりなり。
 また「姫宮の御前の物は、例のやうにてはにくげにさぶらはむ。ちうせい折敷、ちうせい高坏にてこそよくさぶらはめ」と申すを、「さてこそはうはおそひ着たる童べもまゐりよらめ」と言ふを、「なほ例の人のつらに、これな笑ひそ。いときすくなるものを、いとほしげに」と制せさせたまふもをかし。
◆◆(中宮様が)姫宮のお付きの童女たちの装束をつくらせるようにということをお言いつけになるのに、生昌が、「童の衵(あこめ)の上覆いは何色にしてさしあげさせたらよろしゅうございましょう」と申し上げるのを、また女房たちが笑うのは、もっともである。
 また、「姫宮様の御食膳は、普通のものではにくらしく見えることでございましょう。ちうせい折敷やちうせい高坏であるのが、よろしゅうございましょう」と申し上げるのを、わたくしが「そうしてこそ、上覆を着ている童女もお近くにお伺いすることでしょう」というのを、中宮様は「やはり世間の人と同じ並みに扱って、これを笑わないでおくれ。とても真面目なのだから。気の毒に見えること」とお止めあそばされるのも、おもしろい。◆◆



 中間なるをり、「大進、物聞こえむとあり」と、人の告ぐるを聞しめして、「またなでふこと言ひて笑はれむとならむ」と仰せらるる、いとをかし。「行きて聞け」と仰せさるれば、わざと出でたれば、「一夜の門の事を中納言に語りはべりしかば、いみじう感じ申されて、『いかでさるべからむをりに対面してもうしうけたまはらむ』となむ申されつる」とて、またこともなし。
◆◆ちょっと用事が途絶えている時、「大進が、お話し申し上げたいと言ってします」と人がわたしに告げるのをお聞きあそばして、「また、どんなことを言って笑われようというのだろう」と仰せになるのも、たいへんおもしろい。「行って話を聞け」と仰せになるので、わざわざ出たところ、生昌は、「先夜の門のことを中納言に話しましたら、たいへん感心申し上げなさって、『どうかして、適当な機会にお目にかかって、お話を申し上げたり承ったりしたいものだ』と申しておられました。」というのであって、他には何のこともない。◆◆



 一夜の事や言はむと、心ときめきしつれど、「今静かに御局に候はむ」とていぬれば、帰りまゐりたるに、「さて何事ぞ」とのたまはすれば、申しつる事をさなむとまねび啓して、「わざと消息し、呼び出づべきことにぞあらぬや。おのづから静かに局などにあらむにも言へかし」とて笑へば、「おのが心地にかしこしと思ふ人のほめたるを、うれしとや思ふとて、告げ知らするならむ」とのたまはする御けしきも、いとをかし。
◆◆先夜の部屋へ来た時のことを言うのだろうかと、胸がどきっとしたけれども、「そのうちゆっくりとお部屋に伺いましょう」と言って立ち去るので、帰って御前に伺ったところ、「それで、何だったの」と仰せあそばすので、生昌が言ったことを、あれこれとそのままそっくり申し上げて、仲間の女房たちに、「わざわざ申し入れをして、呼び出さなければならないことではないわね。自然な感じで静かに部屋などにゐそうな時にでも言えば良いのに」と言って笑うと、中宮様は、「自分の気持ちの中で優れている人だと思うその人がほめているのを、そなたも多分うれしいと思うだろうというつもりで、報告するのであろう」と仰せあそばすご様子も、たいへんすばらしい。◆◆


■姫宮の御方=一条天皇第一皇女脩子(しゅうし)内親王。母は中宮定子。長徳二年(996)十二月二十六日誕生。当時四歳。

■衵(あこめ)のうはおそひ=上の衣と下の単衣どの間に着るもの。「上襲(うはおそひ)」は表着。衵の上に着るのは童女の場合は汗衫(かざみ)だから、そういえば良いのに、「衵のうわ着」と言ったから笑ったのである。

■ちうせい=「ちひさき」の訛りであろう。

■中間(ちゅうげん)なるをり=中途半端な時。

■中納言=生昌の兄、平惟仲。

■心ときめき=胸がある期待でどきどきすることであるが、好ましいことに限らない。ここでは、あの時生昌に間の悪い思いをさせたので、恨み言を言われるかと、さすがにどきっとした、の意か。

■まねび=「まねぶ」は、そのまま、まねをして言うこと。

枕草子を読んできて (14)

2018年01月19日 | 枕草子を読んできて
六    大進生昌が家に  その2  (14) 2018.1.19

 東の対の西の廂かけてある北の障子には、かけがねもなかりけるを、それもたづねず。家ぬしなれば、よく知りてあけてけり。あやしう嗄ればみたるものの声にて、「候はむにはいかが、候はむにはいかが」と、あまたたび言ふ声に、おどろきて、見れば、几帳のうしろに立てたる火の光はあらはなり。障子を五寸ばかりあけて言ふなりけり。いみじうをかし。さらにかやうの好き好きしきわが夢にせぬものの、家におはしましたりとて、むげに心にまかするなンめりと思ふも、いとをかし。
◆◆東の対屋の、西の廂の間にかけて立ててある北の襖障子には、掛け金もなかったのだが、それも詮索しもしなかった。生昌は、この家の主人だから、勝手を知ってあけてしまったのだった。変にしわがれたものの声で「そこへお伺いしてはいけませんか、そこへお伺いしてはいけませんか」と何度も何度も言う声に目が覚めて、見ると、几帳のうしろに立ててある灯台はあかあかとしている。ふすま障子を五寸ばかり開けて言うのであった。たいへんおもしろい。いっこうにこうした色好みめいたことは夢にもしない人が、さては、わが家に中宮様がおいであそばしているということで、やたらに気ままなことをするのであるようだと思うにつけても、ひどくおかしい。◆◆



 わがかたはらなる人を起こして、「かれ見たまへ。かかる見えぬものあンめるを」と言へば、頭もたげて、見やりていみじう笑ふ。「あれは誰そ。顕証に」と言へば、「あらず。家ぬしと局あるじと定め申すべき事の侍るなり」と言へば、「門の事をこそ申しつれ、障子あけたまへとやは言ふ」「なほその事申しはべらむ。そこに候はむいかに、そこに候はむいかに」と言へば、「いと見苦しき事。ことさらにえおはせじ」とて笑ふめれど、「若き人々おはしけり」とて、引き立てていぬる後に笑ふ事いみじ。あけぬとならば、ただまづ入りねかし。消息をするに「よかンなり」とは、たれかは言はむと、げにをかしきに、つとめて御前にまゐりて啓すれば、「さる事も聞こえざりつるを、昨夜の事にめでて入りにたりけるなンめり。あはれ、あれをはしたなく言ひけむこそいとほしけれ」と笑はせた.
◆◆私の側にいる人を起こして、「あれをごらんなさい。あんなみかけないものがいるようよ」と言うと、頭を上げてそちらに目を向けてひどく笑う。「あれは誰なの。開けっぱなしで」と言うと、「いえ違います。ここの主と、この局の主(清少納言)とご相談申し上げなければならないことがございますのです。」と言う。「門のことこそ申し上げましたが、襖障子をお開けくださいとは言いはしませんよ」「それのことを申し上げましょう。そこにお伺いするのはどうでしょう。そこにお伺いするのはどうでしょう」と言うので、側の女房が、「ひどくみっともないこと。今さらあらためてお入りにはなれないでしょう」と笑って言うようだけれど、「若い方がおいでだったのですね」と言って、ふすまを引いて閉めて立ち去った後に笑うことはたいへんなものだった。ふすまを開けたしまったなら、ひたすらまず入ってしまえばいいのだ。申し入れをするのに、「だれが、さしつかえないようです」などと言うはずがあろうか、と、なるほどおかしいので、翌朝、中宮様の御前に参上して、申し上げると、「そんなことをするといううわさも聞いていなかったのに、昨夜のことに感心して入ってきてしまったのだったろう。まあまあ、生真面目なあの男を、間が悪い思いをさせるように言ったようだが、それは何ともかわいそうなことだこと」とお笑いあそばされる。◆◆


■廂(ひさし)かけてある=廂の間。寝殿造りの母屋の外側にある細長い一間。「かけてある」はわかりにくい。続いてあるのに、か?

■ことさらにえおはせじ=色好みの行動と受け取っての発言とみる。黙って無理にでも入ってくるのなら格別、いまさらわざわざ改めて許可をもらって入るなどまぬけなことはできまい。

枕草子を読んできて (13)

2018年01月12日 | 枕草子を読んできて
六    大進生昌が家に    その1  (13) 2018.1.12

 大進生昌が家に、宮の出でさせたまふに、東の門には四足になして、それより御輿は入らせたまふ。北の門より女房の車ども、陣屋のゐねば入りなむやと思ひて、頭つきわろき人もいたくもつくろはず、寄せておるべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛の車などは、門小さければ、え入らねば、例の筵道敷きておるるには、いとにくく、腹立たしけれど、いかがはせむ。殿上人、地下立ち添ひ見るもねたし。
◆◆大進生昌の家に、中宮がお出ましあそばす折に、東の門においては、四足の門に改装して、そこから中宮様の御輿はお入りあそばされます。北の門から女房どもの牛車は、陣屋の武士が詰めていないから、多分入ってしまえるだろうと思って、髪かたちのみっともない人もたいして繕わず、車は直接建物に寄せて降りるはずだとのんきに考えていたところ、檳榔毛の車などは、門が小さいので、入れないので、例のとおり、筵を敷いて降りるというのには、ひどくにくらしく、腹立たしいけれど、どうしようもない。殿上人や地下の役人たちが、陣屋のそばに立ち並んで見てるのも、いまいましい。◆◆



 御前にまゐりて、ありつるやう啓すれば、「ここにても人はみるまじくやは。などかはさしもうち解けつる」と笑はせたまふ。「されど、それはみな目馴れて侍れば、よくしたてて侍らむしもぞおどろく人も侍らむ。さても、かばかりなる家に、車入らぬ門やはあらむ。見えば笑はむ」など言ふほどにしも、「これまゐらせむ」とて、御硯などさし入る。「いで、いとわろくこそおはしけれ。などてか、その門せばく造りては住みたまひけるぞ」と言へば、笑ひて「家のほど、身のほどに合わせて侍るなり」といらふ。
「されど、門の限りを高く造りける人も聞こゆるは」と言へば、「あなおそろし」とおどろきて、「それは于公が事にこそ侍ンなれ。古き進士などにはべらずは、うけたまはり知るべくも侍らざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへられはべり」など言ふ。「いで、御道もかしこからざんめり。筵道敷きたれど、みなおちいりてさわぎつるは」と言へば、「雨の降りはべれば、げにさも侍らむ。よしよし、また仰せられかくべき事もぞ侍る。まかり立ちはべりなむ」とて、いぬ。「何事ぞ、生昌がいみじうおぢつるは」と問はせたまふ。「あらず。車の入らざりつる事申しはべり」と申しておりぬ。
同じほど、局に住む若き人々などして、よろづの事も知らず、ねぶたければ、寝ぬ。
◆◆中宮様の御前に参上してさきほどのありさまを申し上げると、「ここでだって、人が見ないということでもなかろう。どうしてそんなに気を許してしまっているのか」とお笑いあそばされる。「ですけれど、そうした人がみな見慣れておりますから、こちらがよく身づくろいをして飾っておりましたら、それこそかえって驚く人もおりますでしょう。それにしてもまあ、これほどの人の家に、車の入らないような門があってよいものだろうか。ここに現れたら笑ってよろう」などと言っている折も折、「これを差し上げましょう」と言って、成昌が御硯などを御簾の中に差し入れる。「まあ、あなたは、つまらない方でいらっしゃいましたね。どうして、その門を狭く作って、お住みになったのですか」と言うと、笑って「家の程度、身分の程度に合わせているのでございます」と応じる。「でも、門だけを高く造った人もあると聞きますよ」と言うと、「これはまあ恐れ入ったことで」とびっくりして、「それはどうやら于公のことのようですね。年功を積んだ進士などでございませんと、とても伺ってわかりそうにもないことでございましたよ。私はたまたまこの文章の道に入っておりましたから、せめてこれくらいのことだけは自然に弁別いたすのでございます」などと言う。「いえもう、その御『道』も立派ではないようです。筵道をしいてあるけれど、みな落ち込んで大騒ぎしましたよ」と言うと、「雨が降りましたから、なるほど、きっとそうでございましょう。まあまあ、またあなたから仰せさけられることがあると困ります。下がってしまうことにいたしましょう」と言って立ち去る。中宮様は「何だったの、成昌がひどく怖がったいたのは」とおたずねあそばされる。「なんでもございません。車が入らなかったことを申したのでございます」と申し上げて、局に下がってしまう。同じころ、局に住む若い女房たちと一緒に、何にも知らず、眠たいので寝てしまった。◆◆



■大進生昌(だいじんなりまさ)=中宮識の三等官。平生昌。珍材(よしき)の次男。邸は三条にあった。ここに中宮がお産のために行啓された。

■檳榔毛(びりょうげ)の車(びろう)の葉を細かく裂いて白く晒したもので屋形を覆った牛車。

■于公(うこう)が事=前漢の于定国の父。門を大きく作ったら、子の于定国は相丞になり子孫が栄えたという故事。



枕草子を読んできて (11)(12)

2018年01月08日 | 枕草子を読んできて
四   ことことなるもの  (11) 2018.1.8

 ことことなるもの 法師のことば。男女のことば。下衆のことばに、かならず文字あましたる。
◆◆別々なもの 坊さんの言葉。男・女の言葉。身分の低い者の言葉には、なくてもよい余計な言葉が必ず加わっている。◆◆

■ことことなる=「異異なる」と解いたが「言異なる」「異言なる」「言言なる」などの諸説がある。




五   思はむ子を   (12)

 思はむ子を法師になしたらむこそは、いと心苦しけれ。さるはいとたのもしきわざを、ただ木の端などのやうに思ひたらむ、いといとほし。精進の物のあしきを食ひ、いぬるをも言ふ。若きは、物もゆかしからむ。女などのあり所をも、などか忌みたるやうに、さしのぞかずもあらむ。それをもやすからず言ふ。
◆◆(その子を親が)かわいがっている子を僧にしていようなら、このことは大層気の毒である。とはいえ、(一人出家すると、七生の父母も救われるなどと言われた)親としてとても頼りになる仕事であるのを、世の人はまるで木の端などのように非情のものと思っているようなのは、たいへんかわいそうである。精進物の粗末な食事をし、寝るのまでやかましく言う。若い法師は好奇心もあろう。女性などの居場所をも、どうしていやがって避けているように、のぞかないでいられようか。ところが、それをもおだやかでないように言う。◆◆



 まして験者などの方は、いと苦しげなり。御嶽、熊野、かからぬ山なくありくほどに、おそろしき目も見、しるしあり、聞こえ出で来ぬれば、ここかしこに呼ばれ、時めくにつけて、やすげもなし。いたくわづらふ人にかかりて、物の怪調ずるもいと苦しければ、困じてうちねぶれば、「なぶりなどのみして」とがむるも、いと所せく、いかに思はむと。これは昔の事なり。今様はやすげなり。
◆◆まして験者などの方面は、ひどく苦しそうである。御嶽、熊野、足跡のおよばない山もなくめぐり歩くうちに、恐ろしい目にも会い、やがては効験があり、自然評判が立って、あちこちに呼ばれて、羽振りをきかせるに従って、気楽ではなくなる。ひどい重病人にとりかかって、物の怪を調伏するのも、ひどく苦しいので、疲れ切って、ついちょっと眠ると、「ねむってばかりいて」と非難するのも、たいへん窮屈なことで、当人は、いったいどう思うだろうかと。でも、これは昔のことである。現代は、法師生活は気楽そうである。◆◆


■験者(けんざ)=修験者。病気平癒その他息災の加持・祈祷をする修験道の行者。

■物の怪(もののけ)=「もの」は眼に見えぬ霊的存在。「け」は「異」「気」なども当てる。人にとりつく生霊・死霊の類。



枕草子を読んできて  (10)

2018年01月04日 | 枕草子を読んできて
三   正月一日は   その3  (10) 2018.1.4

 三月三日、うらうらとのどかに照りたる。桃の花は今咲きはじむる。柳などいとをかしくこそさらなれ。それもまた、まゆにこもりたるこそをかしけれ。ひろごりたるはにくし。花も散りたる後は、うたてぞ見ゆる。おもしろく咲きたる梅を長く折りて、大きなる花がめにさしたるこそ、わざとまことの花かめふさなどしたるよりもをかしけれ。梅の直衣に出袿して、まらうどにもあれ、御せうとの君達にもあれ、そこ近くゐて物などうち言ひたる、いとをかし。鳥虫の額つきいとうつくしうて飛びありく、いとをかし。
◆◆三月三日の節供の日は、うららかにのんびりと日が照っているのがいい。桃の花は今咲きはじめたのがいい。柳などがたいへん明るくこころよいのは言うまでもない。その柳もまた、まゆにこもっているのこそ、おもしろい。ひろがっているのはにくらしい。花も散ってしまった後は、不愉快にみえる。明るく晴れやかに咲いている梅を、長く折って、大きな花瓶に挿してあるのこそ、わざわざ本当の花カメフサなどしてあるのよりもおもしろい。梅の直衣を着て出袿(いだしうちき)をして、それが客であるにせよ、兄弟の君達であるにもせよ、その花の近くに座って、ものなどちょっと言っているのは、とてもいいものである。鳥や虫が、額のかっこうがたいへんかわいらしい様子で飛び回るのはとてもおもしろい。◆◆



 祭のころは、いみじうをかしき。木々の木の葉まだいとしげうはなくて、わかやかに青みたるに、霞も霧もへだてぬ空のけしきの、何となくそぞろにをかしきに、すこし曇りたる夕つかた夜など、しのびたる郭公の遠う空耳かとおぼゆるまでたどたどしきを聞きつけたらむ、なに心地かはせむ。
◆◆賀茂の祭のころは、たいへん趣深い。木々の葉がまだ多く茂っているほどではなく、若々しく青々としていて、霞とも霧とも分かちがたい空の様子の何とも言えない快い感じがするのに、少し曇っている夕方や夜などに、声を忍ばせているほととぎすが遠くの方で聞き違いかと思うほどおぼつかない声で鳴いているのを聞きつけたような時は、まったくどんなにすばらしい気持ちがすることだろう。◆◆



 祭近くなりて、青朽葉、二藍などの物どもを押し巻きつつ細櫃の蓋に入れ、紙などにけしきばかり包みて行きちがひ持てありくこそをかしけれ。裾濃、むら濃、巻染など、常よりもをかしう見ゆ。童べの頭ばかりを洗ひつくろひて、なりはみなほころび絶え、乱れかかりたるが、屐子、沓などの緒すげさせて、さわぎ、いつしかその日にならなむといそぎ走りありくもをかし。あやしくをどりてありく者どもの、装束きたてつれば、いみじく定者といふ法師などのやうに、練りさまよふ、いかに心もとなからむ。ほどにつけて、おほやうは、女、姉などの、供人してつくろひありくもをかし。
◆◆祭の日が近くなって、青朽葉、二藍などの布地を巻き巻き、細櫃の蓋に入れて、紙などにほんの体裁だけ包んであちこち行きちがい持って回るのこそおもしろい。裾濃、むら濃、巻染などで染めたものも、いつもよりおもしろく見える。女の童の、頭だけぐらいを洗って手入れして、身なりの方はすっかりほころびて糸目が切れ、乱れて下がっているといった格好のが、足駄や沓などの鼻緒をすげさせて、はしゃいで、早くお祭りの日になってほしいと、大急ぎではしゃぎまわるのもおもしろい。おかしなかっこうをして踊って歩きまわる童女たちが、祭の日になって衣装を立派に飾り着けていますと、ご大層に、法会の時の定者(じょうざ)という坊さんのように、もったいぶって練り歩く、それはどんなに不安なことであろう。身分に応じて、だいたいは、親族の女性、姉などが、供人となって世話をしながら歩くのもおもしろい。◆◆



■三月三日=上巳(じょうし)の節供。水辺でお祓いをし、曲水宴などが行われた。

■まゆ=柳の葉を糸と形容する縁でまゆという。

■うたて=物事が移り進んで一段とひどくなってゆくさまを表す副詞。

■おもしろし=明るく晴れやかで心楽しい意。音楽・月・花・紅葉・水(雪)・邸宅・絵・詩歌・催しなどに限定して用いられた。

■祭のころ=四月中の酉の日に行われる賀茂祭。勅使の奉幣がある。

■青朽葉(あをくちば)=青みがかった朽葉色。朽葉は赤みを帯びた黄色。

■二藍(ふたあゐ)=藍と紅の間の色

■屐子(けいし)=足駄

■定者(ぢやうざ)といふ法師=法会の時行道に香炉を持って前行する役僧。



枕草子を読んできて  (9)

2017年12月30日 | 枕草子を読んできて
三   正月一日は   その2  (9) 2017.12.30

 八日、人々よろこびして走りさわぐ車の音も、常よりはことに聞こえて、をかし。
◆◆八日、叙位で加階した人々であろう、お礼を申し上げに走りさわぐ車の音も、いつもよりは違って聞こえて、おもしろい。◆◆



 十五日は餅かゆの節供まゐり、かゆの木ひき隠して、家の子の君達、若き女房のうかがふ、打たれじと用意して、常にうしろに心づかひしたるけしきもをかしきに、いかにしてけるにかあらむ、打ち当てたるは、いみじう興ありと、うち笑ひたるも、いとはえばえし。ねたしと思ひたるも、ことわりなり。
◆◆十五日は餅かゆのお食事を主上に差し上げ、一方、貴族の家では、かゆの木を隠して、一族の姫君たちや若い女房がうかがっているのを、打たれまいと用心して、いつも後ろに心を配っている様子もおもしろいのに、いったいどうしてやったものだったのであろうか、うまく打ち当てているのは、とてもおもしろいと、皆で笑っているのも、たいへん引き立って華やかな感じがする。くやしいと打たれた人が思っているのも、もっともである。◆◆



 去年よりあたらしうかよふ婿の君など内へまゐるほどを、心もとなく、所につけてわれはと思ひたる女房ののぞき、奥の方にたたずまふ。御前にゐたる人は心得て笑ふを、「あなかま、あなかま」とまねきかくれど、君見知らず顔にて、おいらかにてゐたまへり。「ここなるもの取りはべらむ」など言ひ寄り、走り打ちて逃ぐれば、ある限り笑ふ。男君も、にくからず愛敬づきてゑみたる、ことにおどろかず顔すこし赤みてゐたるもをかし。また、かたみに打ち、男などをさへ打つめる。いかなる心にかあらむ、泣き腹立ち、打ちつる人をのろひ、まがまがしく言ふもをかし。内わたりなどやんごとなきも、今日はみな乱れたるかしこまりなし。
◆◆去年から新しく姫君の家に通うようになった婿の君などが、そのお邸から宮中へ参内する時刻なのを、待ち遠しがって、それぞれの家で得意顔で幅をきかせている女房が、今か今かとのぞいて、奥の方にたたずみつづけている。姫君の御前に座っている女房は、気づいて笑っているのを、「しっ、しずかに」と手まねで知らせるけれども、姫君は気づかない様子で、おっとりとして座っていらっしゃる。「ここにあるものを取りましょう」などと言って近寄って、走って姫君の腰を打って逃げると、そこにいる人々はこぞって笑う。男君も、かわいらしく愛想よい様子でにこにこしているのが、特別に驚きもせず顔が少し赤らんで座っているのも、おもしろい。また女房同士がお互いに打ち、男性などをまで打つようであるよ。いったいどういう気持ちなのであろうか。泣いて腹を立て、打った人をのろい、不吉なまでに言うのもおもしろい。宮中あたりなどの尊い所でも、今日はみなうちとけて乱れていることについてのお咎めはない。◆◆



 除目のほどなど内わたりはいとをかし。雪降り氷りなどしたるに、申文持てありく四位五位、わかやかに、心地よげなるは、いとたのもしげなり。老いて頭白きなどが、人にとかく案内言ひ、女房の局に寄りて、おのが身のかしこきよし、心をやりて説き聞かするを、若き人々はまねをして笑へど、いかでかは知らむ。「よきに奏したまへ」など言ひても、得たるはよし、得ずなりぬるこそ、いとあはれなれ。
◆◆除目のころなど、宮中のあたりはとてもおもしろい。雪が降り凍ったりしている時に、上申の手紙などを持ってあちこちしている四位や五位の人の、若々しく、心地さわやかに元気がよさそうなのは、とても頼もしい様子に見える。だが、年とって頭の白い人などが、人に何やかやと自分の内情を話して頼み、女房の局に寄って、自分の身の立派である由来を、いい気になって説明して聞かせるのを、若い女房たちはまねをして笑うのだけれど、本人はどうして知ろうか。「どうぞよろしく主上に申し上げてくださいませ」などと言って、それでも、思いの官を得ているのはよい。得ないでしまったのこそは、ひどく気の毒である。◆◆ 


■餅かゆの節供まゐり=正月十五日望(もち)の日に七種の穀物の粥を食べて邪気を払う。節日に奉る供御(食事)。

■かゆの木=粥を煮た焚き木を削ったもので腰を打つと男児を懐妊するという。

■除目(じもく)=官吏任命の儀式。前官の名(目)を除き当任の名を記すの意。毎年春秋二回行われたが臨時のもあった。ここは春の除目。正月九日から三日間行われるのが古例だが、一定していない。

■申文(もうしぶみ)=任官を申請する文書。
                  

枕草子を読んできて (8)

2017年12月27日 | 枕草子を読んできて
三   正月一日は   その1  (8)  2017.12.27

 正月一日は、まして空のけしきうらうらとめづらしく、霞みこめたるに、世にある人は、姿、かたち心とにつくろひ、君をもわが身をもいはひなどしたる、さまことにをかし。
◆◆正月一日は、まして空のようすはうららかにいつもと変わって清新な感じで、あたりのものを、霞んでこもらせている折から、世の中にいる人はだれでも、身なりや顔を念入りにつくり飾って、主君をも自分の身をも祝いなどしているのは、いつもは見られない様子で、たいへんおもしろい。◆◆



 七日、雪間の若菜摘み青やかに、例は、さしも、さるもの目近からぬ所に、もてさわぎ、白馬見むとて、里人は車清げにしたてて、見に行く。中御門の戸閾、引き出づるほど、頭ども一所にまろびあひて、さし櫛も落ち、よそいりなど、わづらふもをかし。
◆◆七日、雪の間からのぞいている若菜摘みは、青々としていて、普段は、そんなに、そうした見慣れりしているわれわれは牛車をきれいに装い立てて、見に行く。その牛車を待賢門(たいけんもん)のしきいのところで、引き出す時に、みなの頭がひとところにぶつかりころがり合って、挿し櫛も落ち、ヨソイリ(?)など苦しみ悩むのもおもしろい。◆◆



 左衛門の陣などに殿上人もあまた立ちなどして、舎人の馬どもを取りておどろかして笑ふ。はつかに見入れたれば、立蔀などの見ゆるに、立蔀などの見ゆるに、主殿司、女官などの行きちがひたるこそ、をかしけれ。いかばかりなる人、九重をならすらむと思ひやらるるに、うちにも、見るはいとせばきほどにて、舎人が顔のきぬもあらはれ、白きものの行きつかぬ所は、まことに黒き庭に雪のむら消えたる心地し、いと見苦し。馬のあがりさわぎたるも、おそろしくおぼゆれば、引き入れられてえよくも見やられず。
◆◆建春門の外側にある衛府の役人の詰所などに殿上人も大勢立ったりして、舎人の馬どもを取って、舎人をはっとさせて笑うのを、牛車の簾の隙間から、門内をちらっと覗き込んだところが、向うに立蔀などが見えるのに、そのあたりを主殿司(とのもりづかさ)や女官などが行ったり来たりしているのこそおもしろい。いったい、どれくらい前世からの果報にめぐまれたしあわせな人が、宮中をなれなれしくふるまっているのであろうかと自然はるかに想像されるのであるが、宮中でも、今見るのはたいへん狭い範囲で、舎人の顔の地肌も現れ、おしろいが行きわたらないところは、ほんとうに黒い土の庭に雪がまだらになって消えているような感じがして、とても見苦しい。馬が躍り上がってあばれているのも、恐ろしく感じられるので、自然に身体が車の中に引きいれられて、十分にも外を見ることができない。◆◆



■正月一日=宮中では四方拝、朝拝、節会など、一般には年始の礼がある。

■姿(すがた)=きちんと着物を着た様子。「そ(衣)型」の転かという。

■若菜つみ=七種の菜。なずな・はこべら・せり。なずな・ごぎょう・すずしろ・ほとけのざ。

■白馬(あをむま)=白馬の節会。馬は陽の獣、青は春の色で、正月七日に青馬を見ると、年中の邪気を除くという中国の習俗によって、当日宮中で天覧があった。青馬とは青白雑毛の馬なのでのちに白馬とも書いたとも、全くの白馬に代えられたので白馬と書いたともいう。

■中御門の戸閾(なかのみかどのとじきみ)=大内裏の東面の待賢門。

■よそいり=意味不明。

■立蔀(たてじとみ)=蔀のように格子の裏に板を張り、目隠しのため庭に立てるもの。

■主殿司(とのもりづかさ)=灯油・薪炭などを司る。

■女官(にょうかん)=命婦以上の上級の女官を「ニョカン」と呼ぶのに対し、下級のを「ニョウカン」と呼びならわすという。ここでは下級。

              

枕草子を読んできて(6)(7)

2017年12月23日 | 枕草子を読んできて
一  春はあけぼの   (6) 2017.12.23

 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
 夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ蛍とびちがひたる。雨などの降るさへをかし。

◆◆春はあけぼの。だんだん白んでゆく山ぎわが、少し明るくなって、紫がかった雲が細く横になびいているの。夏は夜がいい。月のあるころはいうまでもない、月のないころのやみもやはり蛍が入り乱れて飛んでいるのはいい。ふつう嫌われる雨などの降るのまでおもしろい。◆◆



 秋は夕暮れ。夕日花やかにさして山ぎはいと近くなりたるに、烏のねどころへ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。まして雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など。
◆◆秋は夕暮れがいい。夕日が華やかにさして山ぎわにたいへん近くなっている時に、烏がねぐらへ行くというので、三つ四つ二つなど、飛んで行くのまでしみじみとした感じがする。まして雁などの列を作っているのが、たいへん小さく見えるのは、たいへんおもしろい。日がすっかりはいってしまって、風の音や虫の音などがするのも。◆◆



 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜などのいと白く、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭もてわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもて行けば、炭櫃、火桶の火も、白き灰がちになりぬるはわろし。
◆◆冬は早朝がいい。雪が降った朝などは言うに及ばない。霜などがたいそう白く、またそうでなくてもたいへん寒い折に、火などを急いでおこして、炭火を持って廊下などを通るのも、折にかなっていていい。昼になって、だんだん寒気もうすらいでゆるむようになると、いろりや火鉢の火も、白い灰がちになってしまうのは、劣った感じがする。◆◆


■春はあけぼの=春は曙をかし、などの略。
■紫だちたる=今の赤紫色 
■をかし=明るく心楽しい感動を示す。
■あはれなり=しみじみとした感動をいう。
■つとめて=早朝。名詞。
■炭櫃(すびつ)=いろり。一説に角火鉢。
■わろし=「あし」が善悪に当たるのに対し、「わろし」は優劣に当たるという。見劣りがする。




二   ころは   
 
 ころは、正月、三月、四五月、七八月、九十一月、十二月。すべてをりにつけつつ、一年ながらをかし。
◆◆ころは、正月、三月、四五月、七八月、九十一月、十二月。すべて季節季節に応じて、一年そっくりおもしろい。◆◆



枕草子を読んできて  (4)(5)

2017年12月19日 | 枕草子を読んできて
枕草子を読んできて 読む前に (4)(5) 2017.12.19

「作品の背景について」その2  (4)

 作者が定子のもとに出仕してから一年半ほどたった長徳元年(995)四月十日、定子の父の関白道隆は病没した。この後継者の座をだれが占めるかということが、中宮の運命を決するのであった。大まかに言えば、道隆の息子と、道隆の弟との間でこの座は争われ、息子たちの側が敗退するに及んで、定子の悲運は決定的なものとなったのである。

 定子の兄伊周は内大臣であったが、帝の生母東三条院詮子の力によって、兼家の次男道兼が伊周を押しのけて関白となった。ところがわずか十日ほどのちの五月八日に、疫病のために道兼も病没し、この折にも伊周は敗れて、五月十一日に道長に内覧の宣旨が下ったのである。
 
 以後、道長の伊周らに対する攻撃ははげしいものとなり、長徳二年(996)花山院に対して従者が矢を射かけ奉った、という罪状をもって、伊周は太宰の権の帥に、その弟のう隆家は出雲の権の守として宮中から追われることとなる。
 
 中宮定子も宮中から、里邸である二条の宮に移られた。このころ清少納言は、道長方の人であるということで中宮の女房たちから敵視され、しばらく里に籠っていたらしい。
 
 更に六月八日には里邸二条の宮が焼失し、中宮は二条の高階明順の邸に移られるなどの不幸があった。
十月には定子の母貴子が心痛の中に世を去ってしまう、といった悲しみにたえて、中宮は十二月に第一皇女脩子を出産された。

                  


「作品の背景について」その3  (5)

 長徳三年(997)大赦によって伊周、隆家は罪を赦されて入京したが、すでに昔日の面影はなくなっていた。しかし中宮も宮中に帰り、職の御曹司にはいられ、清少納言もお供をした。一条天皇のもとには数人の女御が次々入内するのであるが、てんのうとしては中宮定子を最も寵愛しておられたようである。
  
 長保元年(999)十一月七日、中宮は大進生昌(だいじんなりまさ)の家で第一皇子敦康親王を出産された。これより先十一月一日に入内した道長のむすめ彰子は、この敦康親王生誕の同日に女御となった。
 
 長保二年(1000)二月には、定子は皇后に、彰子は中宮となって、彰子の力はついに定子の存在をおびやかすものとなる。同年十二月十五日、皇后となった定子は第二皇女を御産になったが、翌十六日、二十四歳(または二十五歳)の短い生涯を閉じた。

  以上のように、ほぼ八年ほどの作者の宮仕えの中で、光輝にあふれた後宮であった時期はわずか一、二年にすぎない。この明暗の時期を宮仕え前期、宮仕え後期と呼び分けることもあるが、確かにこの面から作品を細かく読み分けることは必要な手続きであろう。ただし描かれた記事の年時と、それを回想して執筆した年時とは当然へだたりがあることが多く、また、ほとんどこうした年時の手がかりのない段が大部分でもある。したがってわれわれとしては、なぜこうした暗さが見られないのかという疑問にまたも立ち帰らざるを得ないのである。