落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

千円まつり

2007年07月01日 | movie
『ボルベール <帰郷>』
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アルモドバルの映画ってズルイよねえ。
観るたび「やられた〜」という気分になる。いい意味でね。
大筋はサスペンスなんだけど、サスペンスとしてだけみるとあまりにベタすぎる。女性賛歌としても奥行きというほどの含蓄はない。ストーリーも毎度のごとくめちゃめちゃ強引。
それなのに、観るたび登場人物に魅了され、作品の世界に強烈に惹きつけられてしまう。
ズルイよー。

これってたぶん、アルモドバル作品の登場人物たちの多くがあらかじめ罪を負ってるからなんじゃないかと思うんだよね。
現実を生きてる人間なら、誰しも多かれ少なかれなんらかの罪を負っている。その罪ゆえに、観る者は彼・彼女たちに共感し、ひそかに応援したくなってしまう。
主人公ライムンダ(ペネロペ・クルス)もそうだ。彼女は娘(ヨアンナ・コボ)が誤って刺殺してしまった夫(アントニオ・デ・ラ・トーレ)の遺体を始末しようとあれこれ画策するけど、それ以前に、物語の始まるずっと前にもっと大きな罪を犯している。そのことは直接的には映画のずっとあとになって語られるのだが、序盤でもそれを示唆する伏線はきっちり表現されている。
しかしアルモドバル作品のほとんどがそうであるように、映画では彼女たちを決して断罪はしない。罪を罪としてかたづけるのは簡単なことだ。だがその罪が生まれるのは、我々人間が生きているからで、生きているからには誰もが罪を負っているはず、それなら、生きている人間は皆、許しあったり受け入れあったり、罪がどこから来て、人をどこへ連れていくものなのか、それぞれにもっとしっかりと考えるべきではないのか、そんなことを、彼は女性映画というかたちで語っているような気がする。

アルモドバルはゲイだけど、クルスの魅力には思わずぐらっとくるという発言をしている。ぐりも彼女大好きです。きれいだよねえ。造形的にもきれいだけど、あの少年のような少女のような独特の雰囲気がステキ。ハ?潟Eッドではあんましぱっとせんけど(トムクルのせいかなあ?)、もっと活躍してほしーですー。

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