毎朝味噌汁をつくり、野菜を漬けて食べる一人暮らしを楽しんでいた悟(二宮和也)は、ある日、自分が内装をデザインした喫茶店「ピアノ」でみゆき(波瑠)という携帯電話を持たない女性と出会い、心惹かれるようになる。
毎週同じ時間に喫茶店で待ち合わせてデートを重ね、結婚を申し込もうと決意したその日、彼女は悟の前から姿を消してしまうのだが、後にある偶然からその事情が判明し…。
ビートたけしの同名小説をタカハタ秀太が映画化。
※この映画好き!感動した!という人・これから観たいという人は絶対に読まないでください!ネタバレもしてます。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーんダメーーーーーーーーーーーーーーーーー。
このダメ具合はもっそい見覚えがある。同じ恋愛映画としては『嘘を愛する女』ですな。同じ二宮和也主演では『ラーゲリより愛を込めて』とか『プラチナデータ』ってのもありましたね。どれも同じパターン。
設定はいい、キャストもいい、芝居もいい。お金もちゃんとかけている。映像の完成度も及第点。なのに映画としてはアウトという。昨今の邦画にありがちな失敗作。
何がダメってね。
まず恋愛ってそもそものスタートがミステリーなわけじゃないですか。
相手のことが頭から離れない。思いが自分の中で溢れていくのを止められない。どうしてかとかなぜその人なのかとか、理屈はよくわからないままに恋心が膨らんで、やがて自分を見失っていく。
それをだな。『アナログ』では懇切丁寧に全部説明しちゃうわけですよ。情緒もへったくれもないのよ。
つくりとしては紙芝居といっしょです。
はい妙齢の男と女が出会いました。お互い憎からず思っています。ええ感じです。女には何かしら過去がありそうです。男はそんなもんどうでもいいぐらい女にのめりこんでます。はいそれからそれから〜ってか。
これほど興醒めな恋愛映画がありますかね。
そんな何から何までいちいちみちみちに説明されて、どうすりゃ感情移入できるっちゅうねん。
物語はほぼほぼ悟視点で描かれていて、みゆき側の話は映画の後半になってから「説明」される。
これがまたね。悟の友人たち(桐谷健太・浜野謙太)とみゆきの姉(板谷由夏)がぜーんぶ台詞で喋っちゃうんだな。
オイコラー!そこ手ぇ抜くんかーーーーーーい!
ですわ。
謎めいたみゆきの人物像そのものがこの物語を牽引する最も重要な軸なのに、その描写が超おざなりなわけ。びっくりするわあ。
みゆきは元バイオリニストでかつて深く愛した伴侶がいたのだが死別してしまい、悲嘆のあまり自分の殻に閉じこもって暮らしていたところ、悟に出会ってともに過ごす時間の中にようやく心の安らぎを見出すという、それだけでも立派な映像作品になり得るはずの物語を疎かにしてしまったのはなぜなんだろう。
何もそこを微に入り細を穿って描写せいとはいわない。せめて数カットでもいい、説得力のある丁寧な画がきちんと挿入されるだけでも全然違ったはずだと思う。
演奏シーンとかボロ過ぎるもんね。ほんと酷い。
結果として、女性(=みゆき)の人間性を踏み台にしたジェンダーバイアスぎゅいんぎゅいんなお涙頂戴メロドラマになってしまっている。
残念過ぎる。
実は観たのは何週間か前で、公開されてからしばらく経ってて、他の入場者はおそらく何回目かのリピーターなわけです。だからここはおたくのリビングか?ってぐらい上映中べらべら喋りまくるグループはいるし、後半の「感動してください」パートではみんなしくしく泣くし、ぶっちゃけ相当居心地悪かったです。
日本の映画界は何でこういう2時間ドラマでもよさそうな代物をお金かけてぼんぼんつくっちゃうんだろう。
二宮くんの芝居は好きだし(毎度天才的だと思う)、個人的には是枝裕和とか大森立嗣とか李相日とか吉田大八とか石川慶とか濱口竜介とか西川美和とかその辺の、作家性もありつつちゃんとエンタメに仕上げられる監督の作品に出てほしいといつも思う。
近作でいえば『浅田家!』なんかめっちゃ良かったんだけど…。
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