落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

どうして私だけ?

2020年09月29日 | movie
『ミッドナイトスワン』

新宿2丁目のショーパブでダンサーとして働く凪沙(草なぎ剛)のもとに、広島の親族から従姉妹の娘・一果(服部樹咲)を預かってくれないかという電話がかかってくる。一果はシングルマザーの早織(水川あさみ)から虐待をうけていた。
凪沙のアパートから通学し始めた一果は、学校帰りに誘われたバレエ教室のレッスンに夢中になり、教師の実花(真飛聖)も彼女の持って生まれた才能を伸ばしてやるべきと凪沙を激励するのだが・・・。

なんだか凄まじいものを観てしまった。
セクシュアル・マイノリティを扱った映画なんて今どき玉石混交世間に氾濫しているといっていいくらいだと思うけど、この映画が玉なのか石なのかも自分でさえハッキリわからないけど、間違いなくいえるのは、この映画は、少なくとも国内で、これまでのどんな映像作品でも触れてこなかったタブーをがっちりと掴み、その上にしっかりと両脚で立っている映像作品ということだ。
それくらい、ぶっちゃけ途中から頭が追いつかなかったくらい、物語は人間性の最も弱く儚い部分を確実に抉ってくる。
観ていて胸が痛かった。悲しかった。苦しかった。

作中に明確な説明はないが、演じている草なぎ剛がもう46歳(!)というからには、ヒロイン・凪沙の年齢もだいたいそれぐらいなのだろうと思う。彼女の同僚たちも多くはトランスジェンダーで、それぞれ抱えている悩みは似通っている。恋人に貢がされて性風俗に流れていく者もいる。ホルモン治療や整形手術を必要とする彼女たちの悩みの多くが経済状況につながっている。果たしていつまでこの仕事が続けられるのか、家族の理解もないままひとりぼっちで歳だけをとっていく将来にどう向かいあえばいいのか。凪沙がいう「強うならんといけん」という言葉はだからこそあまりにも重い。
一果はそこに、一筋の光を照らした。彼女には輝く才能があり、可能性があり、未来があった。その眩しさに、みんなが幸せな気持ちを抱くことができた。それゆえに、凪沙は彼女をまもろうともがき、それまでの人生で決してしてこなかった決断をするのだ。

観る前はトランスジェンダーの女性と少女の心の交流というハートウォーミングな?題材は『彼らが本気で編むときは、』と被ってるなぐらいにしか思ってなかったけど、あにはからんやまるっきり別方向の映画だった。これまで国内で映像化されてきたトランスジェンダーはみんな綺麗で女性より女性らしく華やかな人、細やかな人として描かれてきたように思う。それも彼女たちの真実の一面ではあるが、もちろんそれだけではない。
この映画での彼女たちはさらに苛酷な、『オール・アバウト・マイ・マザー』『リリーのすべて』に登場する彼女たちにより近い。
劇中繰り返し出てくるセリフがまだ耳について離れない。
「どうして私だけ?」「なんで私は女じゃないの?」「どうして私だけ?」

観ていて気になったのは、この作品をトランスジェンダーの当事者の方々はどんな捉え方をするだろうということだった。
演じているのは俳優だし、監督もとくにセクシュアリティを公表しているわけではないから、他者からの視点でこれほどまでに深くトランスジェンダーの苦悩を暴いた映像作品を、当事者の方々はどんな風にうけとめるのだろう。
それぐらい、ちょっとやそっとでは映像にはできないぐらい残酷な側面がはっきり描かれているから。

草なぎ剛の映画というと、『山のあなた 徳市の恋』ぐらいしか映画館では観てないけど、この人の芝居は一体なんなんでしょうね?全然つくりこんだ風なんか欠片もないのに、もうその役そのものその人にしか見えない。この作品でいえば、画面には草なぎ剛はまったく映ってない。40がらみで女装して、夜の街で踊ることで糊口を凌ぐ孤独なトランスジェンダーの女性・凪沙しか映っていないのだ。
『山のあなた』のときも劇場の座席で度肝抜かれましたけど、今回も抜かれました。すっぽり。



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