3月7日佐村河内守氏会見全文・質疑応答1/2/3
いまからこういうことをいうのはものすごく気が引けるんだけど、ぐりはこの方をごく最近まで知らなかった。
この騒動の少し前に、たまたま朝観ていた情報番組で紹介されていて、そのとき「こんな茶番をなぜ誰もがこんなに真剣にありがたがってるんだろう」という疑念を強く感じたのが強烈な印象に残っている。
ぐりは音楽に疎い人間だし、この人自身についても作品についても何も知らない。それでも、芸術は作品そのものの内容で評価されるべきなのに、作者のバックグラウンドばかりやたら劇的に紹介されることに異常な違和感を感じた。けどそんなこと誰にもいえない。だって「現代のベートーベン」だもんね。
だからいま、彼ひとりを悪人にして騒いでいるメディアに、果たして本当にあなたがたは騙されていたのか、もしかしたら、真実に気づいていながら、あえて彼の嘘に加担していたのではないのか、そこを糾したい。ぐりがほんの何分か彼を紹介した映像を観ただけで強く感じた疑問を、プロのジャーナリストたちが誰ひとりいっさい感じなかったとしたらそれはそれで大問題ではないのかと、そこは声を大にしていいたい。あるいは感じていたのかもしれないけど、ではなぜその疑問をその場で糾すことなくここまで彼を祭り上げてしまったのか、そこにメディアの罪はないのか、とくと自省してもらいたい。
要はライブドア騒動と同じ構図じゃないのかと。そもそもライブドアや堀江貴文氏を持ち上げ祭り上げたのはメディアだったのに、そして疑惑はもともと誰もが知っていたのに知らないふりをしておいて、旗色が悪くなってから一斉に袋叩きにする。そこに報道精神などひとかけらもない。他人を攻撃することで得る暴力的なカタストロフの大安売り。
おそらくは佐村河内氏本人は、自分の嘘がここまで大きくなるとは自分では予想していなかっただろうと思う。でなければもっと緻密な計算もし、もっと周到に立ち回れたはずだ。代筆の新垣隆氏に対しても他に対応の仕方があったはずである。それができない人であることが、この会見でよくわかる。だってこんな会見する必要どこにもない。完全に時間とエネルギーとメディアの無駄遣いだから。
佐村河内氏の嘘で傷ついた人は確かに多いだろうけど、彼を無批判に持ち上げ続けたことで騒ぎをここまで大きくしたのは間違いなくメディアだし、そのことで被害者がより深く傷ついたことも間違いないと思う。
しかし今回メディアによって傷つくのは、佐村河内氏の嘘の被害者だけではない。彼の嘘に巻き込まれた多くの身体障害者や、被爆者や被災者もまた深く傷ついているに違いない。
いうまでもなく佐村河内氏は聴覚障害者である。そこにもう疑念はあってはならない。なぜなら専門家の診断が既に下されているから。自治体の認める障害者手帳発行の対象者であるかないかは別として、感音性難聴という、音の質を正確に聞き取れない聴覚障害だ。その点をどこのメディアもまともに報道しようとしていないのが不思議なのだが、視覚障害と同じく聴覚障害にもさまざまな性質とレベルがある。たとえば視覚障害で有名なのが色覚異常だ。これは日本人なら男性20人にひとりという一般的な障害で、日常生活には支障はないが障害であることには変わりない。このような正確ではないが一応見えるという視覚障害もあれば、まったくいっさい何も見えないという視覚障害もあり、その間にはレベルも質も違う視覚障害が複雑に存在している。
聴覚障害についても同じで、ただ音が聞こえにくく補聴器をつけて音量を拡大すれば聞こえるという軽度の難聴もあれば、音は聞こえるがその質を聞き分けることが困難で言葉や音楽を正確に聞き取ることができないという難聴もある。重度になればほぼまったく無音の世界だ。聴覚は耳が悪くても聴覚神経が悪くても聞こえない。そのどちらが悪いかによっても障害の質は異なる。
佐村河内氏の障害への無理解は、おそらくは日本社会の障害への不寛容さとそのままつながっている。
話を最初に戻すけど、芸術家に障害があるかどうかなんて、本来は作品の評価そのものには関係がないはずだからだ。その背景が芸術作品の評価にいくばくか寄与するのは、作品が芸術であるか否かを超えた先の付加価値の話であって、芸術の域に達していない作品にどんな付加価値を足そうが、イケてないものはイケてないんである。佐村河内氏が指示し新垣氏がつくった音楽がほんとうに多くの人の心を打ったのだとすれば、それは純粋に音楽そのものの力でしかないのではないか。ぐりはあんま聴いてないんでよくわかりませんけど(w。
繰返しになるが、その付加価値の部分を独自の検証もなく拡大して劇的に演出したのは、視聴率や販売部数に障害を利用したかったメディアや企業の側の知性の欠如でしかないし、愚かにも佐村河内氏はそれに不用意に乗ってしまっただけではないだろうか。佐村河内氏には嘘をついた責任はあるけど、社会的影響力という点でいえば、一作曲家よりもメディアの方が何倍も巨大であることは誰にも疑いの余地はない。その責任をメディアにはもっと認識して、これを機会に障害者の社会参加やクラシック音楽界の現状についてしっかり伝えてもらいたい。
とりあえず佐村河内さんはもう天地神明ってワードは使用禁止でお願いします。もうそのワード、全然意味ないから。ね。

我が家の朝日。
いまからこういうことをいうのはものすごく気が引けるんだけど、ぐりはこの方をごく最近まで知らなかった。
この騒動の少し前に、たまたま朝観ていた情報番組で紹介されていて、そのとき「こんな茶番をなぜ誰もがこんなに真剣にありがたがってるんだろう」という疑念を強く感じたのが強烈な印象に残っている。
ぐりは音楽に疎い人間だし、この人自身についても作品についても何も知らない。それでも、芸術は作品そのものの内容で評価されるべきなのに、作者のバックグラウンドばかりやたら劇的に紹介されることに異常な違和感を感じた。けどそんなこと誰にもいえない。だって「現代のベートーベン」だもんね。
だからいま、彼ひとりを悪人にして騒いでいるメディアに、果たして本当にあなたがたは騙されていたのか、もしかしたら、真実に気づいていながら、あえて彼の嘘に加担していたのではないのか、そこを糾したい。ぐりがほんの何分か彼を紹介した映像を観ただけで強く感じた疑問を、プロのジャーナリストたちが誰ひとりいっさい感じなかったとしたらそれはそれで大問題ではないのかと、そこは声を大にしていいたい。あるいは感じていたのかもしれないけど、ではなぜその疑問をその場で糾すことなくここまで彼を祭り上げてしまったのか、そこにメディアの罪はないのか、とくと自省してもらいたい。
要はライブドア騒動と同じ構図じゃないのかと。そもそもライブドアや堀江貴文氏を持ち上げ祭り上げたのはメディアだったのに、そして疑惑はもともと誰もが知っていたのに知らないふりをしておいて、旗色が悪くなってから一斉に袋叩きにする。そこに報道精神などひとかけらもない。他人を攻撃することで得る暴力的なカタストロフの大安売り。
おそらくは佐村河内氏本人は、自分の嘘がここまで大きくなるとは自分では予想していなかっただろうと思う。でなければもっと緻密な計算もし、もっと周到に立ち回れたはずだ。代筆の新垣隆氏に対しても他に対応の仕方があったはずである。それができない人であることが、この会見でよくわかる。だってこんな会見する必要どこにもない。完全に時間とエネルギーとメディアの無駄遣いだから。
佐村河内氏の嘘で傷ついた人は確かに多いだろうけど、彼を無批判に持ち上げ続けたことで騒ぎをここまで大きくしたのは間違いなくメディアだし、そのことで被害者がより深く傷ついたことも間違いないと思う。
しかし今回メディアによって傷つくのは、佐村河内氏の嘘の被害者だけではない。彼の嘘に巻き込まれた多くの身体障害者や、被爆者や被災者もまた深く傷ついているに違いない。
いうまでもなく佐村河内氏は聴覚障害者である。そこにもう疑念はあってはならない。なぜなら専門家の診断が既に下されているから。自治体の認める障害者手帳発行の対象者であるかないかは別として、感音性難聴という、音の質を正確に聞き取れない聴覚障害だ。その点をどこのメディアもまともに報道しようとしていないのが不思議なのだが、視覚障害と同じく聴覚障害にもさまざまな性質とレベルがある。たとえば視覚障害で有名なのが色覚異常だ。これは日本人なら男性20人にひとりという一般的な障害で、日常生活には支障はないが障害であることには変わりない。このような正確ではないが一応見えるという視覚障害もあれば、まったくいっさい何も見えないという視覚障害もあり、その間にはレベルも質も違う視覚障害が複雑に存在している。
聴覚障害についても同じで、ただ音が聞こえにくく補聴器をつけて音量を拡大すれば聞こえるという軽度の難聴もあれば、音は聞こえるがその質を聞き分けることが困難で言葉や音楽を正確に聞き取ることができないという難聴もある。重度になればほぼまったく無音の世界だ。聴覚は耳が悪くても聴覚神経が悪くても聞こえない。そのどちらが悪いかによっても障害の質は異なる。
佐村河内氏の障害への無理解は、おそらくは日本社会の障害への不寛容さとそのままつながっている。
話を最初に戻すけど、芸術家に障害があるかどうかなんて、本来は作品の評価そのものには関係がないはずだからだ。その背景が芸術作品の評価にいくばくか寄与するのは、作品が芸術であるか否かを超えた先の付加価値の話であって、芸術の域に達していない作品にどんな付加価値を足そうが、イケてないものはイケてないんである。佐村河内氏が指示し新垣氏がつくった音楽がほんとうに多くの人の心を打ったのだとすれば、それは純粋に音楽そのものの力でしかないのではないか。ぐりはあんま聴いてないんでよくわかりませんけど(w。
繰返しになるが、その付加価値の部分を独自の検証もなく拡大して劇的に演出したのは、視聴率や販売部数に障害を利用したかったメディアや企業の側の知性の欠如でしかないし、愚かにも佐村河内氏はそれに不用意に乗ってしまっただけではないだろうか。佐村河内氏には嘘をついた責任はあるけど、社会的影響力という点でいえば、一作曲家よりもメディアの方が何倍も巨大であることは誰にも疑いの余地はない。その責任をメディアにはもっと認識して、これを機会に障害者の社会参加やクラシック音楽界の現状についてしっかり伝えてもらいたい。
とりあえず佐村河内さんはもう天地神明ってワードは使用禁止でお願いします。もうそのワード、全然意味ないから。ね。

我が家の朝日。