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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

I get my own numbers.

2014年03月06日 | movie
『ダラス・バイヤーズクラブ』

1985年、テキサスでその日暮らしをしていたカウボーイ・ロン(マシュー・マコノヒー)は末期のエイズで余命30日を宣告される。まだアメリカでは認可の下りていないあらゆる治療法を試みるためにメキシコに向かった彼は、そこでエイズ患者に処方されている薬を密輸、会員に無償で配布する共同購入組織をたちあげ、製薬会社と癒着したFDA(アメリカ食品医薬品局)に真正面から抵抗する。
4000人の会員にカクテル療法を勧めた実在のエイズ患者ロン・ウッドルーフの物語。2013年アカデミー賞で主演男優賞と助演男優賞(ジャレット・レト)を受賞した。

ロサンゼルスで初めてのエイズ患者が報告されたのが1981年。あれから30年経って、いま全世界でHIV感染者数は推定5000万人以上といわれている。5000万ってもあんましぴんときませんよね。えーと簡単にいうと、全世界の15~49歳の1.1%がキャリアです。要は日常的に性交が可能な年齢層ってことね。とはいえ、いまのところ感染者の多くがアフリカ、東南アジア、中国に集中している。最も感染者の人口比が高いのはボツワナで成人の39%。エイズの蔓延によってアフリカの一部の国では平均寿命が40代前半にまで低下している。
抗ウィルス薬がいくつも開発され、発病前に治療を始めれば35年は生きられるようになったこんにち、HIVは死の病ではなくなった。だがもともとは感染後7~10年といわれていた潜伏期が、最近では2~4年で発症する例も珍しくなくなってきている。これはHIVウィルスがインフルエンザなどと同じようなレトロウィルスという、絶えず変異していくタイプのウィルスであり、このグローバルな環境の中でその流れをとめる方法がまだないからである。
いずれにせよ感染すれば専門医の観察と治療が必要になり、妊娠出産も自然にはできないし、他の病気や怪我の治療も簡単には受けられず、年をとっても収容してもらえる高齢者施設もほとんどない。日本の医療界にHIV感染者のケアに関する専門知識が全く浸透しておらず、そのための制度も存在しないからである。うっかり発症したらいまも治療法はなく、2年以内に死ぬ。予防にこしたことはない。

この物語の始まった当時、アメリカでは初めての抗ウィルス薬AZTの臨床試験が行われていた。ロンはそのAZTを入手しようと奔走するが、この薬はもともと毒性の強い抗がん剤であり、免疫系統をも弱めてしまう副作用があった。アメリカの医療制度に疑問を持ったロンは、自分自身で病を克服するための冒険を始める。
そう、これはエイズに負けまいとして国を相手に喧嘩を売ったカウボーイの冒険鐔なのだ。
エイズの話で実話を基にしているというとなんとなく真面目で堅そうな映画を想像してしまうが、この映画はそのまったく逆の表現で、あくまでも潔くテンポよく、無駄なく主人公のストラグルを描いている。まずロンはホモフォビアのブルーカラー、酒と女とドラッグとロデオが好きなだけ、教養もなければ向上心もないろくでなしである。だがその彼が、エイズという病を得て自ら学び、世界中を飛び回るビジネスマンとして成功し、差別と無理解を乗り越えて多くの患者を助け、政府を訴えるという暴挙にまで出る。気持ちいい。
だから上映時間117分がすごく短く感じた。個人の話でありながら、アメリカの医療保険制度の矛盾や、HIVを取り巻く偏見や誤解など社会環境への批判もストレートに描かれている。教養映画でありながら、かなりしっかりしたエンターテインメント映画でもある。バランスがとてもいい。

マシュー・マコノヒーやジャレット・レトの演技はオスカー並みかといわれるとちょっとよくわからないけど、あまりの痩せっぷりは確かに凄まじい。てゆーかもうここまでいったら原型ないよ。ジャレット・レトに至っては細すぎて既にドラアグ・クイーンにすらみえない。ふつうにちょっとごついお姉さんである。まあオスカーは同業者同士で労いあう「お疲れさん賞」みたいなもんだから、この超人的ダイエットに対する「お疲れさん賞」だとしたら納得するしかない。
ほとんど全編がステディカム撮影、自然光を活かしたロケが中心でカットが細かく、ものすごくスピーディーな構成になっていたのがとにかく印象的でした。
それにしても、エイズになるまではただの電気技師だったロンが、どんどんエイズのスペシャリストに変わっていく変身ぶりが凄まじかった。とくに感心したのは、ロンとジャレット演じるレイヨンがスーパーで食料品を買うシーン。ジャンクフードが好きなレイヨンに加工食品は体によくないなどと諭し、かつての友人を相手にホモフォビアを強く否定するロンの生き方の変貌ぶりが、スーパーでの買物というごく日常的な風景で表現されているところがうまい。実話なんだからおそらくはほんとうにそれだけ変わったんだろうけど、人間がこれだけ見事に変われるというのが見ていて心から清々しく感じた。
ゲイの病気なんかにかかって余命30日を宣告されたことが不本意だったから、自分はfaggotじゃない、こんな病気で死にたくない、という火事場の馬鹿力が彼をこれだけ変えたのだとしても、きっとそれは人間がもともともっていた力なのだろう。
だとしたら、誰だって明日から変わろうと思えば変われるはず。きっとそうだと思う。


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